(明慧日本)
●華南理工大学職員の妻・余素昭の自殺の真相
余素昭は文革大革命の期間中、精神病のために広州市芳村精神病院で数カ月治療を受けたことがある。1995年、彼女は精神病を患っていることを隠して法輪功を習った。(法輪功には精神病患者、過去に精神病を患った者、一族に精神病罹患者がいる者は法輪功の修煉をしてはならないという規定がある)。1998年の初め頃、余は精神病が再発して精神病院に送られた。法輪功学習者は彼女に修煉を止めるように説得し、彼女も止めることを表明し、全ての法輪功書籍とカセットテープを返却し、それから煉功をやめた。半年後、彼女の精神病は再発し、彼女は屋上から落ちて死亡した。明らかに彼女の死は法輪功と何の関係もない。
●重慶市永川県双石鎮の龍剛「入水自殺」の真相
重慶永川県の双石鎮双橋街70号に住んでいた龍剛は精神病が再発し、川に身を投げて死亡した。龍剛が死んだ後、「杜」という名前の記者が彼の妻を取材し、法輪功を中傷する言葉が書かれた紙と200元(日本円約3000円)を妻に渡して、紙の内容を復唱するよう要求した。しかし龍剛の両親は明慧ネットに投稿し、「息子に精神病があるかどうか、両親として誰よりも分かっています。天下に子供を愛さない親がどこにいるでしょうか? しかし息子は確かに精神病が再発して川に身を投げて死亡しました。法輪功とはいかなる関係もなく、これは誰であっても抹消できない事実です。両親として私達は本当のことを言わなければならず、良心に背くことをしてはならないからです」と述べた。
●河北省任丘市の朱長久「両親惨殺事件」の真相
朱長久は河北省任丘市青搭郷張各村の村民で1997年に精神病を患った。よく朱は精神が恍惚として異常な言動をしていたが、1999年初め頃に少し症状が好転した。1999年7月、中共が法輪功への迫害を開始した後、彼の父親は彼が保存していた法輪功書籍を全て焼き払った。村の幹部と派出所は毎日彼を呼び出して事情聴取をしたので、彼は巨大な精神的圧力を受けて精神病が再発した。11月25日、彼は素っ裸になって笑い続け、異常な目つきをしていた。翌日の明け方、彼は突然金づちで両親を殺害した。
これはもともと、発病した精神病患者が両親を殺した事件であるが、中国共産党メディアは彼の病気について一言も言及せずに「法輪功分子が両親を惨殺」と報道し、事件の責任を法輪功に着せて「1400例」に収録した。
●馬建民「割腹自殺」、もともと精神病患者
河北省任丘市華北油田在住の馬建民は本人と一族に精神病の遺伝がある。彼は気功愛好者で、ある気功が流行すればそれを練り、計10数種類の気功を練ったことがある。馬は流行を追って法輪功を練ったこともある。ある日、馬建民は1人で家にいたが、家族が帰って来ると床に多くの血が流れていた。馬建民は腹が切り裂かれ腸が外に出た状態で、便所で死亡していた。家族は警察に通報し、死体は華北油田の総医院で縫い合わせられた。馬建民が死んだ時、彼は1人で家にいたので、なぜ腹が切開されたのかは誰にも分からない。しかし江沢民の法輪功迫害政策に迎合して出世の機会を掴むために、地元公安局は馬建民の死を「腹を切開して法輪を探すため」とねつ造した。中央テレビ局が馬建民の家に行って番組に出るように要請した時、馬建民の息子は何度も「父の死は法輪功と関係ない」と言い、テレビの出演も断った。しかし中央テレビ局は依然として事実に背き、「腹を切開して法輪を探した」と報道した。
●劉品清「井戸に投身自殺」、彼は法輪功学習者ではない
遼寧省東港市孤山鎮のトラクター工場の責任者・劉品清は、生活のプレッシャーに耐えられず精神異常になって自殺した。劉を知る人によると、劉は商売に失敗して10数万元を失い、また妻と仲が悪く長期にわたって別居していたようだ。このようなプレッシャーの下、劉の精神に問題が現れた。当時、彼の知り合いは彼に法輪功を紹介し、彼はすこし本を読んだが修煉をしていなかった。彼を知る近所の人は皆、彼は法輪功学習者でなく、彼は家庭の不幸のために自殺したと述べた。しかし江沢民が法輪功への迫害を決定した後の1999年7月22日午後、中央テレビ局は「1400例」を放送して、「劉品清は法輪功を煉功してから、井戸に身を投げて自殺した」と報道した。
(続く)