文/中国の大法弟子 遠山
【明慧日本2011年12月18日】大法弟子の役割は、世の人々の理解と同情を求めることではなく、常人に「法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい」ということを認めてもらい、彼らを救い済度するのです。中共(中国共産党)当局の数十年にわたる洗脳と、天地を覆い隠すほどの虚言の中で、どのようにしたら大法が素晴らしいということを人々に正しく理解してもらえるのでしょうか? それは大法の真相を伝え、大法のすばらしさを知ってもらうことです。すでに私が彼らに法輪功を理解してもらうための窓口になっている以上、日常の生活でも仕事でも、私は彼らと同じでなければなりません。しかしよくよく考えてみれば、同じであってもいけません。同じというのは、同じ仕事を同じ職場でやっているということです。私と彼らとの違いは、いつも健康な体で元気に仕事に臨み、他人に対して寛容で、言動も伴っていて他人から信用されているということです。私たちが「真・善・忍」の原則に従って己に要求する時、歩む道は歩むほど広がり、師父の要求された三つのことを行うことも難しくはありません。
職場の休憩時間に学法する時、近寄ってくる同僚もいますが、私が読んでいる本をちらっと見て去っていきます。私は会社の同僚とよく出張することがありますが、誰かと同じ部屋に泊まることになっても、朝になり全世界の大法弟子が煉功する時間になると、私はいつも通りに煉功します。一度、職場の幹部と同じ部屋に泊まったことがあります。幹部は起き上がって私が煉功しているのを見ましたが、何も言わずにまた寝ました。翌日、みんなの前で「あなたは本当に普通ではありませんね」と言いましたが、他の人たちはその意味を理解できませんでした。
会社で真相を伝えた時の一つの逸話があります。昇級できる人の数は少なく、各種の試験、評価を受けなければなりません。ある同僚は私の家族に電話をして、私に圧力をかけてほしいと言いました。後になって、会社の党書記秘書が私を訪ねてきて、「書記があなたと話があるそうです。ある人が、あなたは法輪功をやっていると言っています」と言いました。私は「誰か私が職場で煉功するのを見たのですか? はっきり言いますが、私は職場では煉功しません」と言いました。その時、秘書は何も言いませんでした。事後、私は党書記を訪ね、自分の態度を明確に伝えました。しかし書記は、私を説得しなければならなかったため、後で私とすれ違った時の表情は硬くなっていました。私は、この生命に真相を分かってもらえなかったことを後ろめたく思いました。私は、書記が私に興味を持っていることを知り、当然良いことだと思いました。中共の各部門に勤める人は当局の本性を他の人よりもっと知っているはずで、彼らがそれを十分把握していれば本音を言うはずです。実は彼らも内心では非常に苦しんでいるのですが、その苦しみを他人には打ち明けられないのです。職場での比較的ゆったりした環境は、師を信じ法を信じながら法を実証する中で、少しずつ変わったきたものだと分かりました。
三、学法をしっかり行う中で一歩を踏み出す
2001年の前半、中共の迫害の下で職場は私に仕事を任せませんでした。実際は師父が私の修煉の決意をご覧になり、すでに落伍した私に半年間、真剣に学法と修煉をする時間を与えて下さったのだと感じています。その期間、私は家でも職場でも『転法輪』と新経文を拝読し、同修から定期的に明慧交流文章をもらいました。師父は常に、弟子に「法を多く学ぶように」と促してくださっています。学法する中で、7.20前後の自分を振り返ってみると、本当に穴があったら入りたいくらいです。当時、迫害の前でも「修煉したい」という強い決意があったら、自分の修煉に汚点を残さなかったはずです。「大法を修煉することは難しいか?」といえば、難しくはありません。ただ私たちがしっかりと学法し、常に法の中に溶け込んでいれば、法の威徳を体現することができるのです。
(続く)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)