(明慧日本2011年12月28日)
五、利益を求める心を取り除き、衆生を救い済度する
時々、利益にこだわる心が生じることもあります。店では色々な人間と出会います。社会の様々なよくない現象が、店に来る顧客を通してすべて現れます。しかし私は師父の弟子ですから、誰も私を動じさせることはできません。しかも私は常に、できるだけ人のために考えていますので、通常の状況では自分の心構えを正しくすることができますが、しかし放下できないときもあります。たとえば、屋台を開いている隣人はあまりにも人となりが悪く、お金にこだわり過ぎていると感じていました。これまでに何度も私の店は妨害され、それを全部我慢してきましたが、そのうち我慢できなくなり、関係もさらに緊張するようになりました。実は完全に利益の心を放下できず、これらの人間の人となりが悪いことを見て、さらにその子供の教育も悪いので、子供すらこのようになってしまっているのを見て、さらに彼を見下すようになりました。私は彼らが私の店に来るのを嫌がるようになりました。実は偶然なことはありません。彼らがこのようにするのは因縁関係と私の心性を向上させる要素があったからです。
人に対する債務はいずれ返さなければなりません。ある日、これらの隣人夫妻は、私の店に商品を買い付けに来ました。しかし私はある品物を計算し忘れていたため、契約額を本来より5000元少なく見積もってしまいました。しかし、私はこのことを放下できました。確かにこれらの隣人は好きではありません。しかしこのような損をしたことで、逆にほっとしたように感じました。なぜならば、法理から明確にわかっているように、私のものでなければ必ず失われ、私のものでなければ執着してはなりません。たとえ必要以上にお金をとられたとしても、他空間では少なくとも徳の償いがあるはずです。しかしこのように私は相手に良い印象を残すことができず、相手を救うチャンスを見逃してしまいました。ですから、できるだけ人と利益に関して何かトラブルをおこさないようにするというのは、深刻な教訓でした。
六、神通力を使って大法の素晴らしさを体現する
大法の中で修煉する生命は、いずれも神通力が使えます。これは法の中にあるものです。修煉して長年が経ち、私は師父の神通力を使って、2度逃げ出すことが出来ました。ある時、マンションの下で真相資料を貼っていたときに警官に見られ、私を逮捕しようとしたときに、私はある修煉体験の中で、迫害を否定し多空間を走った功能のことを思い出しました。そして私はすぐに走り出しました。その時、周りではたくさんの人が私を見ているのに気づきました。私が走り出すのを見ると、みんなが一斉に道をあけてくれました。後ろから追ってくる声はしましたが、すぐに静かになり、どうやったのかはわかりませんが、私は逃げ出すことが出来ました。
もう一つは、夜に同修と一緒に真相資料を配るとき、神通を使いました。邪悪に気付かれないように、私は多くの資料をトウモロコシ畑の中に隠しました。家に帰って、資料が誰にも触れられないように発正念をしました。2日後、同修と真相資料を取りに行った時、資料が隠されていたトウモロコシ畑以外の所のトウモロコシはすべて収穫されていましたが、そこだけはトウモロコシが残っていました。
少し前、同修と3人である同修の家にいたとき、警官に囲まれました。夏でしたので、廊下の下からの声がはっきりと聞こえました。一晩中、私たちは正念を発し続け、パトカーがこれ以上来ないようにしました。さらに警官らが下痢になるようにと発正念をしました。2時間の発正念の後、夜も更けたころになると、パトカーのドアが何度も開閉され、近くのトイレに行く警官がたくさん見えました。朝になると、警官がいつ立ち去ったのかはわかりませんが、消えていました。
師父は慈悲です。大法は素晴らしいです。数年前、私が非常に苦しい境地に陥った時、私は長い間リンゴを食べていませんでした。ちょうど、仕事のついでに同修の家に行ったとき、同修は私のためにキッチンで料理を作ってくれました。私は部屋に座り、丁度このとき、「リンゴが食べられたらいいのに」と思いました。この考えが現れたその時、同修は急に扉を開いて「リンゴはあの棚の上にあります。自分で取って食べてください」と言ってくれました。私は驚きました。あまりにも不可思議だと感じました。そして感動しました。しばらくの間、弟子がつらい日々を送っているのを師父が見られて、弟子にリンゴを与えてくださったのです。そしてご飯を食べるとき、同修は私に対して、「本当に師父の按排ですね。私はご飯を作りながら、なぜか突然、あなたにリンゴを食べさせてあげようと思いました」と言ってくれました。
数年前、一年間の迫害を経て家に帰った直後、家族が私を占い師のところへ連れて行き、厄除けのためだと言って占わせました。私は行こうとしませんでしたが、それが原因でお母さんは私を罵り、お父さんも影響を受けて、お父さんは包丁を私の首の前で振りかざして脅迫するようになりました。なぜこうなったのでしょうか? お母さんがこのように私を罵るのは、まだ正常なことだと言ってもいいのですが、お父さんはそのような人ではありません。私は夜に起きて、一生懸命発正念をしました。そして、私はその占い師(憑き物がついている)に対して、「私を妨害しないでください。私には使命があります。私を妨害したらよい結果にはなりません。もしあなたが私に対して悪い影響を与えなければ、私が圓満成就した日にあなたを救います」と発正念をしました。2日後、両親は占い師のところへ行くようにと、これ以上強制しなくなりました。その後、私はおばの弟の家に行き、彼は私に一つの質問をしました。「お姉さん、あの占い師は私とおばに、あなたは使命をもって天上から来た方で、あなたは使命を終えたのち、天上に戻る予定だと言いました。さらにあなたにこれ以上強制しないようと言ってくれました。なぜでしょう?」と言いました。私はこれを機会に弟に真相を伝え、弟も喜んで共産党組織から脱退してくれました。大法の素晴らしさは常に見られます。
七、できることは何でもやる 同修と寛容さを持って接しよう
実は私は自分がどのような役割をしてきたのかわかりません。協調人でしょうか? いや何かがあった時にだけそれをやっただけで、その時ついでに協調の仕事をしただけです。技術者でしょうか? いや、しかし誰かのパソコンの調子が悪くなったのに気づいたら、私はできるだけそれを治してあげています。真相資料を配る同修でしょうか? いや、しかしこのようなことがあれば、私も一緒にやります。情報のダウンロードを担当する同修でしょうか? いや、しかし誰かの電子辞書の中に大法の経文を取り込もうとするときに、もしくは音楽などを取り込もうとするときに私はいつも助けてあげました。真相資料の作成を担当する同修でしょうか? いや、しかし誰かが迫害され、誰かが真相資料を必要としたときに、私がちょうどその場にいたら一緒に作りました。私は何物でもありませんが、私は何物でもあるのです。なぜならば私は大法弟子であり、衆生を救い済度することに有益なことであれば何でもやります。
これらのことをする時、いつも心性の関に出会うので、通常私は自分がよくできていないと思っています。しかし多くの同修がいつも寛容さをもって接してくれたことに感謝します。たとえば同修が電子辞書に本を取り込むときに、いつも自分ができないと言って、遠く離れているにもかかわらず、自分の電子辞書に本を取り込んでくれと依頼してきます。もしくは、私がほしいのはこのようなバージョンだとか、私が欲しいのはこのようなフォントなど、実は自分で調整できるものであるにもかかわらず、教えようとしても学ぼうとしません。最初、私は根気よく教え、そのうち色々と体験してだいぶ慣れてきました。いずれにしても、同修には技術がよくわからないので、私から見れば簡単に見えることでも実は難しいのです。私が人にお願いするときも同じような状況でした。ですから、できない人を責めてはいけません。
大法が迫害されるようになってから、私の叔父(同修)は何度も不法に労働教養所に収容され、もともと修煉者であった叔母も、大法に対してよくない行いをするようになりました。そのため叔母は、私が彼女の家に行くのを嫌がるようにあり、それは叔父を大法弟子と接触させないためだとわかりました。私もこんなに大法によくない行為をして、お金ばかり稼ごうとしている叔母を見下してしまいましたが、同時にできるだけ叔母を助けようとしました。ですから、私は叔父が迫害されていた期間中、極力叔母の二人の子供を見に行き、たくさんのものを買って持っていき、三退してもらおうと思っていました。しかし叔母が、私の母に私から脱退を勧められたと言い、私が家に帰ってから母に罵られることを恐れて、何度も三退を勧めようとしましたがやめてしまいました。最後に私はこの観念を放下し、奇跡が起きました。叔母に真相を伝えたときに叔母は食卓の茶碗を片付けながら、「脱退に応じましょう。このようなことですね。時代が変わるのは天象の変化です。誰も変えられません。毛沢東が死んだ時、天上から大きな石が落ちてきていました。どうせ、私たちは共産党から何の恩恵も受けていません。文化大革命のときに家族中が苦難を体験しました。今も私の主人が迫害されているように」と言いました。そして私はついでに叔母と2人の子供に脱退してもらいました。
2500年前に釈迦牟尼の弟子が自ら仏陀の説法が聞けたことを、私はいつも羨ましく思っていました。小さい時、ある仏教の居士が私に、しっかり修煉すれば将来、未来仏である弥勒仏の弟子になるチャンスがあると教えてくれました。今、その願いがかないました。
私はまだまだ多くの執着心があります。ですから、色々な不足がまだあります。今後、全部改善してきます。師父に感謝します! 同修に感謝します! 合掌!
(完)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)