【明慧日本2012年1月23日】私の名前は娜娜です。年は十七歳で、田舎育ちです。物心のついた頃から、両親が遠くへ出稼ぎに出掛けている為、祖父母と暮らしていました。女の子に生まれながらも、小学生の頃から祖父母の畑仕事を手伝うようになりました。両親が長年北京で働いている為、私は夏休みしか北京に会いに行く機会がありませんでした。
いつもと変わらない小学校のある夏休みの出来事でした。私は、お母さんの職場でとても優しい人と出会いました。このおばちゃんは、私に「法輪大法はすばらしい、真善忍がすばらしい!」という言葉を教えてくれました。また、「洪吟」を暗唱できるように教えてくれました。当時、詩の内容をよく理解できていませんでしたが、読んでいる時、心が穏やかになり、間もなく自然に暗唱できるようになりました。ある日おじいちゃんが肝臓癌を患い、医師から半年の余命宣告を受けているとお母さんから聞きました。すると同僚のおばちゃんは、おじいちゃんに誠心誠意「法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい!」と黙読してくださいとお母さんに勧めました。すると、おじいちゃんは病気から奇跡的に回復しました。あれからもう4年余りの年月が経ちましたが、おじいさんは現在、顔色が良く畑仕事にも復帰することができました。大法がおじいちゃんの命を救いました。それをきっかけにお母さんは法輪大法を修煉すると決意しました。私もその不思議な力を切に感じました。
その後、私は中学に進学しました。中学は寄宿学校でした。学校生活の始めは何もかも慣れることができず、生活と勉強でたくさんの問題に直面しました。しかし、お母さんが修煉大法の小冊子をたくさんくれたので、夜眠れない時は必ず読むようになり、私は気持ちよく眠れるようになりました。段々と学校生活が軌道に乗り、成績も徐々に上がってきました。普段の成績は平均的だった私が、高校受験の時には名門校の合格点を60点も超えるような驚きの成績をとることができました。成績が優秀だった為、高額の入学費も免除され、両親にも経済的な負担をかけないで済みました。私は再び大法の英知とパワーを深く感じました。
高校の時の学生寮は十人部屋で、環境は劣悪でした。余裕な空間が全くない二段ベッドでした。夏は扇風機もなく、浴室もありませんでした。お水で体を拭くのが精一杯で、部屋中の湿気が多くとても蒸し暑かったです。蚊と虫が多くて体中は常に虫刺されだらけでした。ある日、朝起きたらクラスメートが私の顔中に赤いブツブツができているのを見て、半分の顔と首周りだけで50箇所もあると、思わず数えていました。しかし、その時は師父がついてくださっていると思い、全く心配していませんでした。心の中では繰り返し「法輪大法はすばらしい、真善忍がすばらしい!」を黙読し、一日したらほとんど消えて、二日目にはもう完治しました。夜、寝返りするだけで私を刺した蚊が下敷きになって服に血液が付いてしまうことがよくあったので、それを聞いた父が隠れて涙をすることもあったようです。しかし、私はそれを全く苦に思いませんでした。
中学の頃から、心の中には常に真善忍が入っていた為、クラスメートとの衝突が一度もなく、先生達からも好かれていました。ある時、「心性の制御ができなくなってお父さんと喧嘩した」とのお母さんからのメールをみて、自分なりの大法への理解から、「お父さんの事を気遣うべきだ」とお母さんに話したら、お母さんはよく反省し、家庭の円満にもつながりました。
今年の夏休みも、私はお母さんの職場を訪れて、同僚のおばちゃんと再会しました。おばちゃんは、大法の書籍と動画資料がぎっしりと入っているメディアプレイヤーをプレゼントしてくれました。毎日どこにいても大法を見ることができるようになったので、とても嬉しく思っています。最後におばちゃんは、私が5通りの功法をできるまで教えてくれました。私と私の家族がこんなにたくさん、大法の恩恵をお受けしているので、私はそれを伝えずにいられませんでした。私と母は、大法修煉の決意が固く、これからも師父についていきます。同世代の小弟子も、大法の中で更なる精進ができるようと願います! 合十。