【明慧日本2012年1月30日】
≪中国大陸からの投稿≫”ぽっちゃりさん”は今年、高校1年生になりました。政治の科目を先生が講義していた時、教科書に法輪功を中傷する内容が書かれていました。彼はすぐに「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。先生はどうしたらよいのか分からない様子でした。クラスメートたちも互いに顔を見合わせ、皆が彼をじっと見ていましたが、しかし、彼は落ち着き払っていました。先生も彼を罰しませんでした。それどころか、先生は彼がますます好きになりました。さらに、彼は政治係になり、クラスメートは皆、彼に感心しました。ある時、彼は授業の合間にクラスメートたちに「法輪大法は素晴らしい」という歌を教えました。歌詞は全部、彼が自分でアレンジしたものでした。
彼のおばあさんは法輪功修煉者です。大法を修煉してから、心身が健康になりました。70歳なのに見たところ50歳そこそこです。おばあさんは彼が子供の時から法輪功の真相や法輪大法の素晴らしさについて話をしていました。彼は法輪功の真相のチラシやパンフレットが落ちているのを見つけると、折りたたんで、きれいにふき取り、道端の自転車のかごに入れるようにしています。ある時、おばあさんは彼に真相が書かれたお札を持たせて買い物に行かせました。彼は字が書かれている面をわざと上に向けて露店主に言いました。「よく見てください。お金の上に良い物があるよ!」
小学校の時のある日、彼は楽しそうに走って家に帰り、おばあさんに言いました。「僕、今日、算数のテストで、一問だけできなかったんだ。でも、「法輪大法は素晴らしい」を3回黙読したら思い出したんだ。それで、100点を取ったんだよ!」
「法輪大法は素晴らしい」を誠実に念じて、みるみる成績が上がりました。
≪黒竜江省からの投稿≫私は海山と言います。大興安峰塔河県に住んでいます。今年10歳で、小学校4年生です。学校へ通い始めてから、私の成績はいつも学年で最後から1、2番目でした。また、私はいつも教室の規律に違反していました。いつも喧嘩をするので、着ている服をめちゃくちゃに汚してしまい、保護者である親をとても心配させました。
退屈な勉強は、私にとって一種の負担でした。特に算数です。私にはちんぷんかんぷんでした。先生が教壇の上で話をしても、よくわかりませんでした。家族は私の成績のためにため息をついていました。
家族は私の出世を願っていましたので、私が小学1年に上がってから毎日、お金を惜しまず塾に行かせました。月曜日から金曜日まで毎日、私は学校から家庭教師の家に行きました。土曜日、日曜日、夏休みと冬休みは先生に英語、国語と数学の補習をしてもらいました。毎日、私は遅くまで補習を行ってからでないと帰宅できませんでした。今まで祝日と休日に休みを取ったことがありませんでした。私は毎日疲れていました。しかし、私の成績はやはり最後から数番目でした。私は他の子供達が羨ましく思いました。他の子供は一人で宿題を終え、遊ぶことができたのです。
偶然、チャンスが訪れました。祖父母が法輪功を煉功するおばさんと知り合いになりました。おばさんは祖父母、母、私に法輪功の真相を話し、私と祖父母、母を三退させました。おばさんが話した法輪功の病気治療と健康保持、さらには子供の知力を開発できるという話に、私は興味がありました。その後、私はおばさんの家に行くようになりました。おばさんは私に「法輪大法は素晴らしい!」「真善忍は素晴らしい!」と念じることを教えてくれました。もし何事か問題に見舞われたら、法輪大法の師父に助けを請うために「法輪大法は素晴らしい」、「真善忍は素晴らしい」と唱えなさい、とおばさんは説明しました。
私は頭とお腹がとても痛いことがありました。そこで私が「法輪大法は素晴らしい!」「真善忍は素晴らしい!」と念じると、お腹と頭の痛みがすぐになくなりました。その後、私はよくおばさんの家に行きました。おばさんは神韻芸術団の公演DVDを見せてくれました。ある時、おばさんは『転法輪』という本を持ってきて、法輪功創始者の李洪志師父の写真と法輪の図形を見せてくれました。とても良かったです。私はおばさんに、「私も法輪功を勉強したい」と言いました。
その時から、おばさんは常に大法の本を読み聞かせ、李洪志師父の説法のテープを聞かせてくれました。段々と、私は変わりました。私は喧嘩を止め、授業中も話をしなくなり、もうわざと服を汚さなくなりました。
前期の中間テストと期末テストの時、私は解けない問題が数問ありました。すぐにおばさんが教えてくれた話を思い出しました。「誠心誠意、敬意を持って『法輪大法は素晴らしい』を念じなさい」私は念じました。すると突然、問題の解き方が分かりました。解答用紙が返ってきた後、親と先生はとても喜びました。私にとっても驚きでした。私は生まれてこのかた、テストでこんなに良い成績を取ったことはありませんでした。どの教科も80点以上でした。特に英語ですが、私はいつも20~30点でした。ところが、この時は90点を取ったのでした。クラスの担任の先生はわざわざ私の父兄に電話をかけてお祝いを言い、「もう海山が劣等生になることはないでしょう。すでにそこそこの生徒になりました」と言いました。私は礼儀正しく、清潔さを保ち、他人を手助けする良い学生になりました。
祖母はちょっと信じられなかったので、自ら学校に出向きました。先生から話を聞いて私の事情を理解しました。先生は私がどのように変わったのか、私が一人で宿題を終え、テストもよくできるようになり、規律、勉強など、各方面でとても大きくレベルアップしたと語ってくれました。
祖母は私を連れておばさんの家に遊びに行きました。おばさんは「私はいつも海山君に大法の本を読んであげています。海山君もいつも『法輪大法は素晴らしい』と念じています。すべて大法のおかげです」と言いました。私と親は法輪大法と李洪志師父に「ありがとうございました」と言いました。