文/江西省の大法弟子
【明慧日本2012年3月4日】
三、明慧ネットにアクセスし、大法の花を咲かせましょう
(一)明慧ネットに繋がった
大法に戻ってきたばかりの時、私は独修の状態で、ただ1人の同修と交流していました。精進している同修の助けがありましたので、私の向上は速かったと感じていました。同修との毎回の交流を大事にしていましたが、後になって多くの原因から、同修と交流することができなくなりました。同修は私に、ノートパソコンを買って明慧ネットにアクセスすれば、全世界の大法弟子と交流できると勧めてくれました。しかし、私は少し迷いました。私は書き読みができない人間ではありませんが、パソコンのことは全然知らず、26のアルファベットがキーボードのどこに配置されているのかも分かりませんでした。家族から「新文盲」と笑われていました。修煉を始める前、私は一生パソコンを学ぶことはないだろうと思っていました。しかし、今はパソコンで法を実証することが必要です。同修も難しくないと励ましてくれました。私は常人から基本の操作を学び、まもなく入力やインターネットができるようになりました。
私はパソコンを買い、同修がシステムとソフトウェアを準備して、どうすれば邪党の封鎖を突破して、安全に明慧ネットに繋ぐことができるかをやって見せてくれました。そして、私も明慧ネットにアクセスすることができました。明慧ネットを見る事ができて本当に良かったです。直接師父の最新の経文を読むことができ、大法が世界に広がっている状況もわかります。更に、中国大陸で大法弟子が迫害されている情況も分かり、迫害された同修に対して正念を発し、迫害者に悪いことをやめるように手紙を書くこともできます。各地の同修の大事な交流体験を読んで、自分の不足を正すこともできます。それだけではなく、様々な技術的な方法も学ぶ事ができます。しかも紙を節約できます。皆インターネットを使っているので、『明慧週刊』などの内部の出版物も印刷することが少なくなりました。印刷しなくてもよいのです。
インターネットで資料をダウンロードする他に、自分で三退リストを発表することで、同修の負担を減らす事ができます。それ以外に、私は文章を書いて明慧ネットに送りました。大部分の文章が掲載されました。能力のある同修は、積極的に明慧ネットに寄稿したらよいと思います。文章を完成させることは難しいので、書くには何日もかかり、パソコンが下手な私は、入力するにも何日もかかりました。しかし、明慧ネットは私たちの「家庭」であることを思えば、皆の力で維持すべきで、いつも求めるだけではいけないのです。そのため、明慧編集部が文章を募集する時、私はいつも参加します。実際に、文章を書くことも心を修めることです。文章を書いている時、怠ける心や焦る心を克服しなければなりません。寄稿して、名を求める心を乗り越えなければいけません。掲載されたら、また歓喜心や顕示心を取り除かなければなりません。掲載されなかったら、落ち込む気持ちを克服しなければなりません。実は文章を書くことは難しくないのです。純粋な心で、普段何をやったか、何を考えているかを書けばいいのです。文学の方法で書く必要はありません。私たちは法を実証しているのであり、自分を実証するのではありません。
とにかく明慧ネットは尽きることのない宝物です。皆さんに明慧ネットに来てくださいとお勧めします。そこは私たちの家です。私はもう離れることはできません。一日明慧ネットを見なかったら、落ち着かなくて何かを失うように感じます。ですから、私は特殊なことがなければ、外泊することはありません。どんなに遅くなっても何とかして家に帰って明慧ネットを見ます。その理由は、外部には学法や煉功の環境がないことと、もう一つは明慧ネットを見る事ができないからです。親戚や友達などによく、「家には何か宝物があるようで、取られることを心配しているかのように、どうしても家に帰ろうとしますね」と笑われました。私は喜んで「全くその通りです」と返事しました。
(二)あなたも大法の花を咲かせることができる
最初、すべての新経文と真相資料は同修から提供され、私は何処からきた資料なのかと聞きませんでした。一度、私は二千数元を同修に渡して、資料拠点に寄付してくださいと言いました。同修は、「このお金で自ら設備を買い、自分で資料を作ればどれほどいいでしょう」と言いました。これを聞いた私はビックリしました。自分で資料を作ることなど考えたこともありませんでした。
その後、私は同修がインターネットで、どのように大法の花を咲かせたかなどの文章を何度も読んで、だんだんと自分も花を咲かせようという考えが出てきました。その考えを同修と交流すると、同修も支持してくれました。私はパソコン店に行き、DVDドライブとプリンターを買ってきて、家でも大法の花が咲きました。
この過程は、簡単そうに見えますが、実際にやるとかなり難しいと思いました。家庭の資料拠点なので、技術の問題は全て自分で解決しました。技術の問題に遭ったら、同修は詳しく説明してくれましたが、パソコンに詳しくない私はよく理解できませんでした。近くに技術の同修がいる同修はとても羨ましいです。しかたがないので、自分でやるしかありませんでした。時々、いくらやっても解決できず、苛立つ気持ちを抑えられず止めるところでした。しかし、振り返って考えて見ると、師父がいらっしゃり、法があり、どんな困難が乗り越えられないというのでしょう。そこでパソコンの電源を切り、別のことをして、自分を落ち着かせ、法を読んだり同修の文章を見たり、静座したりしていました。静座しているとき、よく頭の中に一つの方法が突然現れ、その通りにやってみると解決出来ました。時々、技術の難題に遭うと、同修のまねをして、まず内に向けて探し、師父にお願いをし、パソコンとコミュニケーションをして、最後にキーボードの上に手を載せると、ほんとうに出来たのです! こんな時、私はいつも両手で合十し、師尊に感謝しました。
時に、私は同修に「今、私は賢くなって、上手くできるようになりました」と冗談を言いました。実はこの全ては師父がしてくれたと分かっていました。私たちはただ手を動かすだけでした。実践の過程を通して、師父は私たちの執着心を取り除いてくださいました。
振り返って見ると、大法の花を咲かせることは難しくありません。パソコン音痴だった私でも、きれいな資料を作る事ができました。あなたにもきっと出来るでしょう。人に依頼する心を取り除き、正念さえあれば、師尊はきっと助けてくださるのです。
(続く)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)