【明慧日本2012年3月9日】
三、利己心を取り除き 寛容な態度で同修と共に向上する
現地の学法に参加するようになりましたが、状況は決して楽観的ではありませんでした。同修のほとんどは知識人で、長年にわたって現代科学の影響を受け、固定観念が既に頭の中で形成されているようでした。「見たものは確実だ」の理論から脱出できませんでした。迫害を受けた経験のある同修は恐怖心に妨害され、なかなか外へ真相を伝えに出ることができず、大法の資料に対して「待つ 頼る 貰う」という消極的な態度を持っていました。継続的に集団学法に参加する同修の人数も少ない状況でした。私達はこの学法に参加してから、師父の按排に従い、皆と修煉の経験を交流し、一緒に精進しました。
不満を抱えている同修がいて、同修に裏切られたとか傷つけられたとか思っているようでした。大法がいいと思っていますが、常人の執着を放下できず、本心では師父と大法を完全に信じていませんでした。それを見た私は、師父がずっとそばで加護してくださっている真実を同修に伝えました。彼女に誤解されている時も、師父はずっと導いてくださり教示してくださいました。身の回りに起きている実例を挙げて彼女と意見を交わし、修煉は厳粛なことだと伝えました。人のやり方で人の執着心を取り除くのではなく、理性的に学法を繰り返すことを通じて、正念が緩むことなく修煉の道を歩むべきだと告げました。毎回の交流の後、彼女は考えこんでいる様子で、恐らくこのような交流は暫く続ける必要があると覚悟しました。
集団学法に途中から入ってきたCさんは、真相資料の仕事を引き受けてくれました。テキパキしている彼女は学法チームの現状を見て焦り、現地の同修を引率して真相を伝えに外へ出かけようとしていました。毎回、学法の後に持ってきた明慧ネットの交流文章を同修達と一緒に読み、それについて討論しました。「三つの事」については、他人の良い経験を受け入れながら大法全体の進展に付いて行けるようにリードしてくれました。交流後にCさんは真相資料と「真相紙幣」を提供し、自分の能力に合わせて引き受けてほしいと呼びかけました。学法チームに経験豊富なCさんがいれば、保障付きだと皆は安心して、ついつい真相資料や、チームとの交流活動や、同修の不正への指摘などの仕事をCさんにおしつけていました。私も知らず知らずの内に、依頼心と安逸心から「待つ 頼る 貰う」状態になってしまいました。
旧勢力はその状況を見て、再び私達の間に隔たりを作ってしまいました。CさんとDさんの意見が大きく分かれていました。Cさんはとても忙しいので今後もう来ることはできなくなると言い出して、私達の資料源が絶たれてしまいました。暫くして私はCさんを訪ねて「常人の執着心に邪魔されないように、戻ってきて同修を助けるように」と説得しました。Cさんは率直に、多忙な日々を送っている現実を話してくれました。まずいくつかの学法チーム間を歩き回っていること、それから黒い巣の付近での発正念に参加していること、最後に真相資料を作成しているなどで大変な忙しさでした。何かお手伝いすることはないかと尋ねたところ、Cさんは「真相紙幣」を造る流れを見せてくれました。大量の紙幣を両替した後に洗浄し、きれいに伸ばしてから干したあと、紙幣に真相を伝える文字を印刷し、それから一枚ずつロウを塗り、最後に決まった枚数毎に束ねます。彼女の希望は、私に「真相紙幣」作りを手伝ってほしいのだとわかりました。最近、資料拠点の同修に相次いで不祥事が起きているので、「真相紙幣」を手伝うことで、私に厄介な事が起きないかという念が頭に一瞬よぎったものの、すぐその仕事を引き受けると、Cさんにやってみると答えました。それから徐々にその仕事を担当するようになりました。
「真相紙幣」を造る過程は修煉の過程でもあります。破れたり、古くなっていたり、汚かったりする紙幣を選別し、同量の新札を補填します。しかし注意しなければならないのは、絶対に大法の資金を流用しないことです。きれいに仕上げる為に、私は常に大法の法器である設備と交流し、正念を発し、法を聞かせると、印刷は非常に順調でした。私は1枚の「真相紙幣」が、一つの命に繋がっていると考え、大法の真相を伝えるチラシの中から、分かりやすい真相の内容を選んできちんと紙幣に印刷しました。ちょっとでも印刷の汚れが見つかったら、すぐきれいに洗って最初からやり直しました。長く流通するように、出来る限り色を長く持たせたいと思い、細心の注意を払いながらロウを塗りました。同時に福音が全て縁のある人の手元に届くように正念で加持しました。
また同修の間に溝があってはならないと思い、CさんとDさんにそれぞれ連絡を取りました。同時に、これらの出来事が私の周りに起きているという事は、自分自身にも責任があると感じました。同修達と交流している時、しっかり守らなければならない一つの原則があると気づきました。それは寛容の態度をもって同修を理解しようとする姿勢です。つまり自分の考えを相手に押し付けない、叱責しない、非難しない、軽蔑しないことで、同修を助けることも修煉の一部だと認識することです。苛立ち、依頼心、利己心を取り除き、大法を全ての指針にして同修達と一緒に精進すべきです。
(続く)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)