文/黒竜江省の大法弟子 安琪
【明慧日本2012年3月14日】
四、原稿を書く中で心性が絶えず昇華する
『精進要旨』「仕事ではなく修煉である」で、師父は「法輪大法は修煉であって、仕事ではありません」と説かれました。謹んで師父の言葉を覚えて、私は原稿を書く過程を自分の修煉過程と見なします。原稿を書いたり直したりする中で、常に心性に関わることが存在しています。
若い男性の同修Cさんは労動教養所で迫害を受けたことがあります。彼の原稿を整理した時、彼は労働教養所の警官らがそれほど悪くないと思って、断固して「凶悪警官」の表現を使用せずに「警官」だけにすることを主張しました。私は感情的になってCさんに「あの労働教養所では、ほとんどの大法弟子がひどく殴打をされたあげく、仕方なく「反省文」を書きました。あなたまでも仕方なく屈服したのではないですか。あの警官らはまだ邪悪と言えないのですか? あなたは『ストックホルム症候群』になったのよ」と話しました。私の感情が高ぶった言葉にCさんはとても反感を覚えて、自分の考えを再度主張しました。私は少し穏やかになって、では日をあらためて書こうと提案しました。
私が数人の同修と相談すると、皆が私に賛成しました。さらに私は、地元の協調人にまで意見を伺って、彼も私に賛成しました。それで、私はもう一度Cさんを説得しようと思った時、私は突然、これは自己に固執する強い執着心だと気付きました。私は自分に「たとえ自分が正しいとしても、自分の考えを放下してCさんの意見を尊重しよう。『凶悪警官』であれ『警官』であれ、文章にあまりに大きい影響がない」と言い聞かせました。また、私はもう一つの執着心、すなわち「情」も見つかりました。私とCさんは10年前から知り合って、私より2歳年下の彼は、ずっと私を「お姉ちゃん」と呼んでいました。残酷な迫害に遭い、「反省文」まで書いて自分の修煉に汚点を残したのに、まだ法理がはっきり分かっていない彼を、私は心から惜しんでいます。ここまで考えて、私は彼との意見の相違を自分を高める機会と見なして、気持ちを落ち着かせて私は彼の意見を尊重して投稿しました。
同修Dさんは2回も不法な労働教養を強いられたことがありますが、恐れる心があるため自分の迫害事実を暴き出す勇気がありませんでした。私との交流を通じて、彼女はついに書き出すことに同意しました。彼女が口述した内容を私が書き終えた後、彼女は「三人称で書きたい」と言ったので、私が三人称に書き換えると、彼女はまた「今は投稿したくない」と言いました。彼女は申し訳なさそうに「すみません。面倒をかけました」と言い、私も「かまいません。これは私のすべき仕事です。あなたが投稿に賛成するまで待ちます」と答えました。それから、私は彼女を励ましてくれるように他の同修に頼み、最後、彼女は投稿を賛成しました。
Dさんの原稿を書き出してから発表までの数カ月の間、私はずっと自分の容量を拡大していました。嫌になるたびに私は、師父が『二〇〇二年ボストン法会での説法』で説かれた法を心に刻みます。「それは一種の洪大な寛容であり、生命に対する慈悲であり、全てに対して善意をもって理解するという状態なのです。人間の言葉で表現すると、相手のことを理解することができるということです」
もう一人の同修Eさんとの間のことです。Eさんの迫害文章を整理して発表した半年後、彼女は「自分の覚え違いのせいで、発表した文章に数カ所の間違いがあります」と言ってきました。「では明慧ネットの編集者に訂正の連絡を入れてみます」と私は返事したのですが、「書く時も真面目に行い、投稿前もちゃんと校正したのに」と思って、内心では少し不愉快になりました。明慧ネットの編集者に「それはEさんの記憶の間違いで、私のミスではない」と弁明したいと思った時、この思いは大法から離れており、「自分のために弁解したい人心を放下しなければならない、これは自分を高める機会だ」と私はふと思いつきました。師父は『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』で「このすべては私の修煉と向上のための階段だ」と説かれました。最後、私は明慧の編集者にメールを送って訂正すべき箇所を説明しましたが、理由に関しては何も言いませんでした。
五、大法弟子は一つの全体であり、明慧の同修および全ての同修の無私なる貢献に感謝します
師父は『アジア・太平洋地区学習者会議での説法』で、「多くの大法弟子の修煉も良くできています。皆さんが良く行い、特に全体が協力して非常に大きな作用が働いたのを私が見たとき、神々まで感心していました。しかも、皆さんは真相を伝え、迫害に反対する中で重要な役割を果たしました。長所を発揚し、大法弟子の正念を発揮し、さらに良く行ってください。皆さんが良く行うこと自体に対して、邪悪は恐れを感じているのです」と説かれました。ここを読んで私は、いつも抑えきれずに涙を流します。師父の励ましは私に精進の原動力を与えてくださいました。
ここ1年あまり、私は明慧編集者に訂正された箇所を、毎回真面目に原稿と対照することで、文章能力が絶えず向上しました。そして、明慧ネットに携わる同修の真剣な態度がさらに分かってきました。
文章を正確に書くために、私はよく当事者に確認したりします。65歳の同修Fさんは私の父より年上ですが、どんなに寒くても暑くても、私がどこで誰に会いたいと言うと、Fさんは快くオートバイに私を乗せて行ってくれます。私があまりに忙しい時、Fさんはオートバイで往復して当事者を自分の家に迎えてくれます。原稿を書くために地方の同修が来たら、書き終わるまでFさんは彼らを家に泊らせたりしてくれます。
この1年来、私が書いた各種の原稿は90篇以上もあります。最終原稿を完成させたのは私一人ですが、実はこれは皆の共同作業の成果で、中に他の地方の協調人の努力と協力も含まれています。これから私はいっそうに努力したいと思います。
師父、ありがとうございます! 同修の皆さん、ありがとうございます!
(完)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子修煉体得交流会)