文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2012年3月15日】
正しい法理に従い、確実に修煉する
法を正す修煉と個人修煉の関係が分かってから、私は生まれ変わりました。私は2、3年ほど、現地の学法グループに参加せず、いつも色々な観念を持って、行かない理由を考えていました。しかし、私が法を正す修煉について分かった翌日、協調人から法会に参加するよう誘われました。最初は行かないと思っていましたが、すぐにこれは師父が残してくださった修煉の形式であると思い直し、承諾しました。法会の中で、私は自分の体験を話しました。たくさんの同修が共感してくれ、皆が涙を流しました。ずっと魔難の中に陥って、向上できないでいる同修は、最も苦しいのです。
それから協調人は、私を同修の救援グループに入れました。このプロジェクトは大変難しいので、以前の私では絶対に無理でした。今回のことは、私が法を正す修煉の基点から認識し、個人修煉を捨てるチャンスだと認識しました。参加することにも強い意志とそれを貫く決心が必要です。最初、私の体調が良くなかったのですが、正念が強くなって、その念を捨ててからすぐに良くなりました。当時の私は、法理を認識してからすぐに電流が流れたように感じ、生命が大法に同化され、時にとても忙しくて疲れても、座って発正念をすると強大なエネルギーによって、良くない状態はすぐに解消されました。私の体中の良くない物質が一つ一つ解体され、「心性の高さは功の高さ」(『転法輪』)であることを実感しました。
法を正す時期の大法弟子として、私の修煉と私がしてきたことは、大法の基準に照らし合わせると、はるかにほど遠いのです。旧勢力の「私と我」の物質が私の中にまだまだあります。毎回一つを突破してから振り返ると、さらに一つ一つの自我が存在しており、利益の心がまだまだあると気付きました。最後の最後になり、真剣に学法して、大法の基準に達して初めて向上できます。法を正す時期の大法弟子は、師父が与えてくださった称号であり、この上ない栄光です。この大法弟子の使命と責任を、必ず負わなければなりません。弟子は感謝の気持ちを持って、着実に修煉し、正しい法理に従って修煉するしかありません。
再度師父に感謝します。
同修に感謝します。
(完)