文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年3月22日】現在、公安、検察院、裁判所、政府の関係者に真相を伝えるとき、最大の問題は無神論の思想だと分かりました。この無神論は霊体のように他空間に存在していて、人々の考えを左右し特に上記の場所にいる人々を最もきつく束縛しています。このような人々は伝染病から逃げようとでもするかのように、人の意見を聞かない、見ない、真相を知りたくないのです。かつて私は何度もこの無神論を打ち破ろうと試みましたが、相手にされず、まともな会話はできませんでした。
昨日また無神論者と自称する人と話しました。話の途中で「神はどのように存在しているのですか、あなたがいう神とはなんですか、さっぱりわからないです」と言われました。私はいかなる方法を考えてみてもうまく答えられなかったのです。そのとき突然、「神を知りたかったら、神韻の公演をみてほしい」という念が湧いてきました。そこで自分の頭の回転が速くなって「そうですね、神韻を見れば分かりますよ。神韻は神の様態と内包を見せてくれます」と言いました。すると、相手は興味津々で「神韻とはなんですか、どこで見られますか」などと聞いてきました。残念ながらそのとき自分のポケットの中に神韻のDVDの持ち合わせがなく、無神論の幽霊を解体しようとするところで止まってしまいました。
ここで師父が自ら神韻を率いておられることが大変意味深いと分かりました。さらに私たち中国大陸にいる弟子には責任と使命があり、神韻を伝播する時の正念がいかに重要かということもわかりました。今回、神韻が人を救うことに対する認識が明らかになりました。長い間、自分では神韻を理解できていましたが、なかなか自分の感動を伝えられなかったのです。頭の中で、神韻は人を救うことができると思うのですが、根本的に神韻は無神論を打ち破る法器であり、表面でも内面でもずっと無神論の毒害を消滅しているという認識がなかったのです。もちろん神韻の外観、DVDディスクとパッケージも法器の一部です。私たちが神韻のDVDを世人に渡す時に、私たちは神の使いとして人と神の間に絆を結びますので、無神論を当然破る事ができます。
こうして新しい扉が開かれました。私がずっと真相を伝えることを突破できなかった原因は、やはり自己を実証する心に阻害され、法理に基づいて認識せず、いつも自分が無神論を破ろうとして、人間の観念から着手して、大法の内包を忘れてしまうため、当然人と口論になりました。真に他人のために考え、無私無我の境地になるとき、初めて法の力が現れるのです。
明慧ネットが私たちに修煉と交流の場を設けてくださったことに感謝します。大法弟子全体の力で私が突破できて、同時に世人を救うことに新しい門を開くことができました。