【明慧日本2012年3月23日】遼寧省営口市バ魚圏区に在住の法輪功修煉者・伏承友さん(66歳)は、法輪功を修煉しているという理由で、バ魚圏区裁判所から秘密裏に懲役7年の不当判決を言い渡された。現在、伏さんは営口市バ魚圏区留置場に拘禁されている。
伏さんは法輪功の修煉を始めてから、「真・善・忍」に基づき、いつも他人のことを優先して思いやるようになり、長年に続けてきた飲酒と喫煙の習慣を止めた。しかし、中共(中国共産党)は1999年7.20から、法輪功修煉者への迫害を開始した。伏さんは2002年から、迫害を避けるため自宅を離れ、家族との連絡もできず数年間の放浪生活を余儀なくされた。2012年の始め、伏さんは警官に身柄を拘束されてバ魚圏区留置場に拘禁され、親友に電話し、息子に着替えを持って来るようと頼んだため、伏さんの家族はやっと伏さんの情報を得られた。
その後、家族は数回にわたって伏さんとの面会を求めたが、すべて当局に断られた。
2002年7月2日、伏さんは遼寧省海城市南台公安局に身柄を拘束され、海城市留置場に拘禁された。留置場で受けた迫害により、伏さんは全身が腫れてしまい、乾癬にかかり、皮膚は痒くて臭い匂いもした。2002年11月末、伏さんは海城病院に連れていかれ、全身の検査を受けた。結果、伏さんの内臓は全体的に状態が悪く、危篤状態だと診断された。
伏さんの状況を知った鞍山市と海城市の610弁公室、政法委員会、司法関係者らは、伏さんが留置場で死ぬことに恐れて、伏さんを釈放した。
伏さんは帰宅後も法輪功の修煉を続け、10数日後に徐々に元気を取り戻したという。
しかし、2002年12月のある日、営口市バ魚圏区国保(国家安全保衛)大隊の大隊長は数人の警官を率いて、伏さんの自宅に不法に侵入し、家宅捜査を行い、伏さんを連行しようとした。伏さんは警官らに自分が無罪で釈放されたことを教え、腫れている両足を見せた。すると、警官らは伏さんの妻、息子、孫を公安局に連行した。その後、警官らは再び伏さんの家に戻り、伏さんを連行しようとしたが、伏さんはすでに自宅から離れていたため、連行を免れた。伏さんの家族はその日に釈放された。その日から、伏さんは放浪生活を余儀なくされた。
伏さんの妻も法輪功修煉者で、数度も警官に連行された。長期的な迫害で、伏さんの妻は糖尿病が再発し、死亡してしまった。
2011年6月28日、営口市公安局は伏さんの息子の自宅を訪ね、遼寧省上級裁判所、遼寧省検察院、遼寧省公安庁、遼寧省司法局が連合して発表した『逃走中の人に自首を催す通告』という文を渡し、息子に父の居場所を聞き出そうとした。
しかし、警官らは伏さんに関する情報を何一つ得られなかったため、さらに伏さんの孫娘の小学校に行き、伏さんの居場所を聞こうとした。警官らはまた、伏さんの次男を連行して伏さんの居場所を聞き出そうとしたという。
2011年11月28日、伏さんは盤錦市大窪県で身柄を拘束され、拘禁された。2011年12月2日、伏さんはバ魚圏区裁判所から秘密裏に懲役7年の実刑判決を下されたという。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)