文/大陸の大法弟子 一蓮
【明慧日本2012年3月27日】
迫害を否定し、多くの衆生を救う
家庭の経済状況はずっと私の悩みの種でした。退職した後、毎月の収入は千元ちょっとしかありませんでした。残りわずかの貯金は主人の商売に投資しました。主人は定職を失って商売を始めたものの、なかなかうまくいかず、月々銀行へ3千元以上のローンを返済する以外に、高齢で多病、無収入の舅と姑を扶養しなければなりません。それに主人が個人から借金しているお金と従業員への給料は未払いの為、いつ取り立てに来られてもおかしくない状況にありました。いつも毎月の銀行の引落し日が迫ると、どうやってお金をそろえればいいかと頭を抱えていました。
法理上から経済的な迫害の問題をはっきり見出せませんでした。商売をしながらずっと生活を切り詰めていました。すべての事は節約の為に自らこなしました。苦境を抜け出す為に毎日忙しく、骨が折れました。ある時重い荷物を持ち運びながら、命を削ってまで稼ぐお金はすべて借金返済の為で、「三つの事」をする暇すら取れないと思うと、思わず目には涙が湧いてきました。
法理への理解がきちんとできていないと、その隙に邪悪が入り込んで修煉を邪魔します。暫くの間は多忙な日々を送りました。常人の仕事に追われ座る暇もなければ、食事や睡眠の時間すらろくに取れませんでした。学法と煉功が滞っており、真相を伝えて衆生を救うどころか、疲れ果てて心が乱れていました。この状態がしばらく続いていたある日、忽然と一つの現実が分かりました。邪悪は旧勢力に操られて同修を捕まえ、刑務所に入れて迫害を加えています。その目的は修煉者の意志を破壊して修煉を断念させることです。私は今、住んでいる所を監視され、電話を盗聴され、出入りを尾行され、北京に行けば尋問されます。このような生活は、刑務所に入って自由が奪われている同修達と何が違うのですか? 生活の為に借金の為に毎日ひたすら働いて「三つの事」を行なう暇がなく、旧勢力の言いなりになっているのではないですか? これ以上旧勢力に按排された道を歩んではなりませんでした。
ある日、営業の途中でオートバイにぶつけられました。顔面が地面に向けて倒れてしまいました。しかしその時柔らかいクッションのようなものが私の顔を受け止めてくれました。師父のご加護の下で私は怪我をしませんでした。しかし自転車は変形して壊れてしまいました。私は自分にまだ足りないところがあり、邪悪に付け込まれて迫害に遭ったとよく分かっていましたが、師父は守ってくださいました。その後はどこにも行かず家で心を静めて法を学びました。師父の法理が目の前に広がっていきました。「ある程度お金を稼ぎ、家族が安心して暮せるようにしてから、何もかも打ち捨てて修行を始めたいと言う人がいますが」(『転法輪』「心性を向上させる」) 「後顧の憂いもなくなり、厄介なことも全部なくなれば、何をもって修煉するのでしょうか? 気分よく楽に煉功しようとでも考えているのですか? そんなことがありえますか? それは常人の立場で考えたことに過ぎません」(『転法輪』 「心性を向上させる」) 「修煉は、錬磨の中でこそしなければなりません。常人の持っている七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません」(『転法輪』「心性を向上させる」)
同修に助けていただき、一緒に私の足りないところを探して法理について推し量りました。最終的に「商売への執着心が強すぎて心が純粋でなかったので、つい経済の面から邪悪の迫害を無意識に認めてしまい、旧勢力に造られた道を歩んでしまった」と自分の原因が見つかりました。私は直ちに自分の意識を調整して「三つの事」を最優先に考えて、徐々に金儲けの心を放下するようになりました。
「三つの事」をこなす時間と気力を確保する為に、経営の拠点を繁華街でなく住まいの付近におきました。生活とビジネスを一体化させ、仕事にメリハリをつけて基本的な生活費を稼ぐ程度にしました。同業者仲間には理解されずに、よく「どうして繁華街に進出してもっと金を稼がないのか」と聞かれますが、その都度チャンスだと思い、聞かれた人に真相を伝えました。
教訓を得て、邪悪は執着心を利用して忙しくさせることを一つの妨害の手段とするとわかりました。何をしたらいいのか分からなくなるくらい忙しくなり、無駄に時間を過ごし「三つの事」ができなくなるように妨害してきます。
私は「忙」を乗り越え、内に向けて自分の足りないところを探し、逆に「忙」を活用してより多くの衆生を救っています。
1.どちらが重要なのかを見極め、人を救うことを優先する
師父は「法を正す時期の大法弟子にとって、個人の解脱は修煉の目的ではありません。衆生を救い済度することこそ、皆さんがやってきた時の大きな願いであり、法が正される中で歴史が皆さんに賦与した責任と使命です。ですから、大量の衆生は皆さんが救い済度する対象になります。大法弟子は法が正される中で賦与された偉大な責任を台無しにしないでください。更に、救い済度される衆生を失望させないでください。皆さんは彼らが未来に入ることができるかどうかの唯一の望みとなりました」(『人心を放下し、世の人々を救い済度する』)とおっしゃいました。私は常に師父のお言葉を用いて自分に警鐘を鳴らします。日常生活の中で機縁に恵まれたら、どんなに手が離せなくても真相を伝えて人を救うことを優先しました。
ある日、午後の出社後すぐビジネスの打ち合わせに出掛ける予定でした。昼ごろに数人のグループと出会い真相を伝え始めました。中の1人は党文化による被害が深刻で、態度が激しくお手上げ状態でした。内心ではこれから午後の営業に悪い影響が出るのではないかと焦り始めました。しかし大法弟子の責任を強く感じて、心が次第に穏やかになりました。真剣に自分の伝える方法を整理して、相手の意見を聞きながら、心の結び目の所在を分析して、一つずつ結び目を解けるよう手助けしました。その時は普段の学法が役に立ち、学法の大事さを痛感しました。いつの間にかグループの皆が私を囲んで聞き入りました。態度の激しかった人も大法の素晴らしさに賛同してくれ、落ち着いてきました。「法輪功の修煉者はほとんど高レベルの人だと聞いたのですが、あなたは何卒ですか?」と、突然私に聞いてきました。「教育レベルとは関係ありません。大法の修煉者なら高い教育を受けていなくても法理が良く分かっています」と答えました。最後に彼は私に真相資料とDVDを求め、心から納得して去りました。話し終わった時はもう3時間が経過していました。
私は急いで約束したお客様のところに駆けつけました。打ち合わせの結果、予期せぬ良い展開になりました。取引先の雑誌とネットワークを使って自社製品の宣伝を許可してくれました。そうすることによって短期間でより多くの同地域のユーザーとビジネスを構築できます。予想より進展は順調で、真相を伝えて人を救うことを優先すればビジネスに悪い影響を与えるどころか、半分の労力で倍の成果を得ました。師父が私を励ましてくださっていると内心では分かっていました。「万事執着無ければ脚下に路自ずから通ず」(『洪吟二』「無阻」)
「師は入口まで導くが、修行は各自にあり」(『転法輪』)の理解が一層深まりました。ビジネスは努力だけでできるものではなく、きちんと心を修める内にできるもので、余計な心配はいらないのです。
(続く)
(第八回明慧ネット中国大陸大法弟子修煉体験交流会)