文/ハルビンの大法弟子 長安
【明慧日本2012年4月2日】師父が最も表面空間へ向けて正法を進ませるにつれて、また、大法と大法弟子が世間で形成した正のエネルギー場を加えて、表面空間にいる邪悪と世間の悪人は本当に悪いことができなくなりました。中国大陸の各地にいる大法弟子達は、次々に学法グループを再結成し、集団学法を再開しました。私が住んでいるハルビン地区の大法弟子達も自発的に、近所での方式に基づき、多くの学法グループを設立しました。大法弟子の一員として、私は学法グループに参加しただけではなく、尊師の按排と守りの下、幸いに本地域における他の学法グループの大法弟子と知り合い、集団学法と交流に参加しました。異なる地域の学法グループが一緒に交流することによって、皆はこのような共感を持ちました。それは集団学法の環境が取り戻されたことで、大法弟子は全体的に凝集力が更に強くなり、更に堅固で崩れないものになりました。かつ邪悪による大法弟子への妨害や迫害と向き合ったときに、更に迅速かつ有効に学法グループと大法弟子全体の威力を発揮することができ、できるだけ早く妨害と迫害を解体し取り除きます。
集団学法が深まるにつれて、幾つかの心を静めて学法することを妨げる要素と現象は、ますます際立ってきました。たとえば、学法時に眠たくなったり、甚だしくは寝てしまうことさえもあります(寝てしまい本を地面に落としてしまったこともあります)。意識がうつらうつらして、読み終わったのに何を読んだのか自分さえ分からずに、頭の中に、読んだ法に対する何の記憶と印象も残らなかったのです。また、読み間違えることがよくあります(字を読み間違えたり、読み漏れたり、読み加えたりすることを含む)。多数の大法弟子の学法状態は非常に良いですが、先に述べたような不正確な学法状態は幾つかの学法グループに依然として存在し、甚だしきは、その学法グループのほとんどの学習者に普遍的に存在しているという状態です。これらはすでに事実として存在しているため、大法弟子及び全体に対しても、これらの心を静めて学法することを妨げる要素はみな、切実に早急に解決されるべきです。
2006年12月22日に私は「明慧ネット」で「真に心を静めて学法しよう」というタイトルの交流文章を発表したことがあります。そのときに、文章の中にどのように心を静めさせ学法をするのについて、幾つかの理性的な認識を述べました。今日、学法グループと本地域の他の大法弟子に委託され、再び心を静めて学法をする認識について述べます。以下の認識は、私個人の認識と昇華であり、皆と交流して得た共通認識と昇華でもあります。以前に発表した「真に心を静めて学法しよう」の文章の中に師父の説法を引用したことがありますが、大法は異なる次元において、異なる指導作用がありますから、師父が説いた同じ内容の法に対しても、私は現在の認識がその当初に読んだときの認識と違ったため、本文の中に再度引用されたものもあります。
謹んでこの文章をもって、大法弟子のみなさんと一緒に交流して高めましょう。
一、心を静めて学法する過程は他の空間ではまさに天地を揺るがすような正邪の戦い
師父は『長春補導員法会での説法』でこう説かれました。「常人のところでの現れが簡単であればあるほど、皆さんの見えないところでは、皆さんの修煉している境地で本当に天地を揺るがすようなすごいことです。」実際に私たちが心を静めて学法する時に、どのようなやり方を採用しても、例えば通読、法を暗唱する、法を書き写す、録音を聞く、ビデオを見るなどがあります、それは世間においてただ一つの方式に過ぎないです、これらの方式は表の形式においては平凡で平静ですが、私たちの修煉境界の他の空間においては強烈に凄まじいもので、本当の正邪の戦いです。
大法弟子の頭の中にある、生まれてから形成された観念と執着(思想業と異なる境界で輪廻転生する際に出来た後天の要素を含む)、また旧勢力が大法弟子の頭と身体(異なる空間の身体を含む)の中に押し込んだ変異腐敗した要素、これらすべては生命のあるものです、もし大法弟子が学法する時に一心不乱になって身心とも法に溶け込むことができるなら、彼らは解体されて取り除かれることを、彼ら自身は分かっています、だから彼らは八方手を尽くして大法弟子の頭を妨害し、大法弟子が学法する時に心を静めさせません、私たちは学法する時に思想が集中しなかったり、ぼんやりしたり、または眠くなって眠りたいなどは、最も主要な現れでありながら、最も厳しく最も邪悪な邪魔でもあります。これらの邪魔が直接に私たちの法に対する理解、昇華と修煉境界の向上に影響しているからです。私たちすべての大法弟子が自分に真面目に問いかけるべきです。学法する時にこれらの最も厳しく邪悪な邪魔に対して、私たちは本当に心を静めることが出来たのでしょうか? 「なぜなら主意識が厳しく大脳を制御すればするほど、ほかの生命が入り込めないのです。」(『転法輪』第九講) 私たちの大法修煉は主元神を修煉しており、もし私たちが学法する時に主元神が高度に集中し、冷静になり、主元神がしっかりと大脳をコントロールし、読んだ法(勉強した法)を正々堂々と明白にはっきりと大脳に反映すれば、最大限に心を静めて学法することができるのです。
「その次元の理、その文句に含まれた理が分かった時、皆さんの身体には様々な反応があります。身体が一瞬震動したと感じる人もいれば、頭のてっぺんが熱くなって急に足の裏まで貫いたと感じる人もいます。突然身体が膨らんで熱い流れのようなものを感じ、一種の感動のような感覚です。皆それぞれ感じ方は違います。その時、全体の変化が非常に大きいのですが、最大の一層の分子で構成された人間の身体の表面まで伝わってくるものはとても弱いもので、ただ一つの感覚にすぎません。ところが、身体にある更なるミクロ的な粒子によって構成された一部分に生じた変化はかなり大きく、それは本当に換骨奪胎のような変化です。ある次元に入るには、その次元にある生命体の身体の基準及び思想の境地に到達しなければなりません。というわけで、大きな変化が起ったのです。」(『ヨーロッパ法会での説法』)心を静めて学法する中で、私たちは法への理解と心性が高まったことによって修煉の次元が絶えずに高まっていくだけではなく、他の空間にいる身体も絶えず高エネルギー物質の神体に演化されていきます。このような次元の高まりと本体の進化は他の空間で現れたときに、強く震撼し、この上なく素晴らしく、奥深く、かつ天地を揺るがす強烈なものです。
しかし、私たちの頭の中に後天に形成された観念と執着にしても、または旧勢力が私たちの頭と身体に押し込んだ変異した物質にしても、それらはみな私たちがいる空間の中に存在している旧宇宙の要素なのです。それらが私たちの大脳を妨害したときに、もし強い主意識を持って、かつ心を静めて学法できれば、それらを抑制し排斥することができます。それらを抑制し排斥する過程は、まさにそれらを解体する過程であり、この過程は他の空間で真実に現れた正と邪、両要素の間で激しく戦う場面です。まさに正邪の戦いです。私たちは心を静めて学法するときに、他の空間で起こったこのような激しい正邪の戦いは世間にあって肉眼では見えませんが、世間での表現形式は大法弟子が静かで落ち着いて、心を静めて学法する場面です。心を静めて学法できるかどうかは私たちの主意識に対する、もっともストレートかつ、厳しい試練であることを、肝に銘じて忘れないでください。この未曾有の正邪の戦いで、大法弟子が勝利を得られるかどうかの鍵は、私たちが心を静めて学法できるかどうかで決まります。
(続く)