文/ハルビンの大法弟子 長安
【明慧日本2012年4月3日】
二、数量と速度を求めず、学法の実効性を重視する
法に溶け込み、法に同化するため、私たちは学法しますが、そうすると学法する過程で実効性の問題が出てきます。師父が『転法輪』第七講「病院治療と気功治療」の中で、歯を抜く問題について話されました。「道具だけみてはならず、その実際の効果を見るべきです。」この事からこのように悟れます。学法するときに表面形式を重んじてはならず、学法の実効性を重視するべきです。もちろん、この効果は同じ時間内に早く読めたり、多く読めたりできる事を指すのではなく、学法時に全身全霊で法の中に溶け込むと同時に、最大限に学んだ内容を理解すること、最大限に心を静めて学法することが、最もよい学習効果を得ることだと思います。
「ですから、法を学ぶ際、形式に拘らず、必ず心を放下して読み、本当に学び、心ここにあらずとなってはいけません。注意力が分散してしまえば、無駄になります。」(『米国フロリダ州法会での説法』)
「法を学ぶ目的は皆さんを分からせることであり、何かが分かることが第一義のものです。法を読んでいるとき、自分が読んでいるこの行いの意味が分からなければならず、少なくとも、表面の意味が分からなければなりません。読んですぐ忘れるということですが、気にしないでください。それは大丈夫です。ひたすら読んでください。自分が何を読んでいるかも分からず、ただこのように読んで、読んで、口は朗読しており、目は追っていますが、心がここにあらずではいけません。それなら、修煉の目的に達することができません」(『カナダ法会での説法』)。
そのためには、学法するときにまず主元神が高度な集中力と冷静さを保たなければならず、決して意識がぼんやりしたり、その場を抜け出したりしてはいけません。学法する過程で、目で見た一つ一つの文字が明白にはっきりと大脳の中に反映されるだけでなく、一つ一つの文字の表面にある意味が必ずはっきりわからなければなりません。これらは心を静めて学法することをやり遂げる前提条件です。私たちが心を静めて学法することをやり遂げてこそ、一つ一つの文字の後ろにいる師父の法身が大法の内包を分からせてくださいます。一節、さらに一段落学んだだけでも無駄にはならず、学習の成果も得られます。さもなければ、同じ学法の時間内に、早く、たくさん読んだとしても、頭の中に読んだ内容が何も反応しなければ、このような学法には何も効果が得られず時間を無駄にするだけだと思います。だから、私たちは毎日何時間学法したか、どのくらい学法したかを重視するのではなく、学法時に、心を静めて学法する実効性を得られたか、法の中に溶け込んだかを、真に自分に問いかけることが大事だと思います。
一つ例を挙げましょう。もし一人の大法弟子が1時間、最初から最後までずっと心を静めて学法できれば、1時間の学法の効果が得られます。もう一人の大法弟子が2時間の学法時間の中で、半分の時間は心を静めて学法ができたが、もう半分は意識がぼんやりしたり、その場を抜け出したり、さらには眠ってしまったとすれば、彼は2時間法を学んでも、1時間の学法の効果しか得られません。このことから、二人がそれぞれ2時間と1時間学んだが、得られた効果が同じであるのが分かりました。
私は大法を読むことを主にし、法をゆっくり、静かに落ち着いて読んでいます。量と速さを求めず、質と効果だけを重視します。学法する過程では、終始主意識を強く冷静に保ち、一言一句漏らさずに読みます。外で真相を伝える時以外に外出して電車やバスに乗る時、私は法を暗唱する方法で学法します。法を暗唱するとき、いつも自分(主意識)の大脳をしっかりコントロールし、心身ともに自分自身を、暗唱している法の一句一句に溶け込ませます。この時、もし周りの環境が特に騒々しくなければ、得られた学法の効果は静かな環境の下で読んで得られたのと同じです。
心を静めて学法する過程で、大法の異なる次元に異なる法の内包を理解すると同時に、師父が時を移さず、修煉の中で現れた重大な問題を悟らせ、正してくださいます。
(続く)