文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年4月5日】明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会の原稿募集を見たとき、最初、私は無関心でした。自分は大したことをしておらず修煉の次元も高くなく、書けるような内容がないと思いました。年配のA同修が手書きの原稿を持って来て、私に入力と投稿を依頼しました。原稿はとても長く、私も毎日忙しいので、頼まれた時は少し嫌でした。しかしAさんの原稿を入力して訂正する中で、Aさんの真剣な態度に比べて、応募に対する私の態度は消極的で、不真面目であると気付きました。そこで、大法の仕事をしっかり行なうと同時に、Aさんの原稿を早く完成して投稿し、その後、自分の修煉に悔いを残さないように、時間を作って自分も原稿を書こうと思うようになりました。実は私はAさんを助けているのでなく、Aさんに頼まれることを通じて師父が私を向上させてくださったのです、師父の苦心の按排に感謝します。
次に、明慧リポーターになる中で体得したことを師父と同修の皆さんに報告したいと思います。
明慧ネットにアクセスできて、翼が生えたよう
あれは2007年の春頃だったでしょうか。迫害を受けていた私の経済状況はとても困窮し、借りたアパートの家賃さえ払えないほどでした。しかしその時でも、私が住んでいるこの部屋で大法の真相資料を作ることができればどんなに良いだろう、と考えていました。私の願望をみて師父が助けてくださり、ある日、現地の同修が私にコンピュータを一台贈ってくれました。しかしコンピュータの操作に私は全然詳しくありませんでした。
ある日、B同修が突然訪ねてきて、ある同修が公安局に連行されたので、すぐその情報を明慧ネットに発表してほしいと言いました。しかしその時まで、私は明慧ネットに一度もアクセスしたことがなく、頼まれてもやり方をまったく知りませんでした。そこで、私は普段読んでいた真相資料から迫害情報の書き方を参考にして、短い文章を書いてBさんに渡しました。Bさんは他の同修に頼んで明慧ネットに投稿しました。
私は勉強が好きな人間で、真相資料を製作する中で、少しずつコンピュータの操作を覚えていきました。特に資料の編集とレイアウトの技能を多く学ぶ機会がありました。秋ごろ、現地の同修はインターネットに繋ぐための無線カードを私のパソコンにつけてくれ、私は明慧ネットにアクセスできるようになりました。
明慧ネットにアクセスできるようになって、私は翼が生えたように明慧の自由な天地で思いきり翼を広げて飛び回りました。短い期間に、私は明慧ネットの大部分の内容と関連リンクを読みました。明慧ネットがこれだけ多くの情報を提供しているのに、私たちはこれらの情報を活用しているとは言えません。また、私が住んでいる地区ではずっと当地の真相資料を作っておらず、当地の法輪功学習者に対する迫害行為はほとんど暴露されていませんでした。
修煉交流「当地の民衆に向けて当地の邪悪を暴露する」に書かれた評注で、師父は「この方法にはあれらの理性を失った悪人を極大に震撼させる作用があり、同時に当地に対する真相を伝える中で、民衆に邪悪の迫害を最も直接に、はっきりと伝え、認識させ、同時にデマに毒され、騙された民衆を救い済度する一種の良い方法です。大陸の大法修煉者と新しい学習者全員がみなこのことについてよく行うよう希望します」と言われました。そこで、どのように明慧ネットの力を借りて現地でしっかり真相を伝えられるだろうかと、私は考え始めました。
間もなく、当地区でまた1人の同修が警官に連行されました。一部の同修が連行された同修の修煉状態は良くないと非難している間に、私は迫害の詳細な情況を確認して、すぐ明慧ネットで暴露し、いち早くこの同修の状況を資料に作って当地で配ろうと、私は頭の中ですでに次にやるべきことの段取りをしていました。
迫害情況を明慧ネットに投稿するのはまだやりやすかったのですが、真相資料の作成は難しかったのです。当時の私はまだ、シングルページの真相資料のレイアウトのやり方を把握しておらず、特にテキストフォームの使用方法をよく知りませんでした。今思えば簡単な操作ですが、あのとき、私は10数時間をかけて作業しました。できた資料は上出来とは言えませんでしたが、現地で初めての真相資料だったので、みんなはすごく喜びました。その後、みんなで協力して、一晩の間に真相資料を至る所に貼り出して、邪悪を震え上がらせ、連行された同修はとても早く釈放されました。
責任を引き受ける
初回の試みは良い結果を収めましたが、現地の真相資料の作成を自分の担うべき使命にするかについて、私は明確な考えを持っていませんでした。自分が書いた迫害を暴露する文章は質が高いとも言えないので、明慧ネットに投稿するのは恥ずかしいと思ったのです。しかし間もなく当地の協調人が、現地の迫害の実情を文章に作成して投稿し、真相資料に作成するという一連の作業を一つのプロジェクトとして、私ともう1人のC同修に担当してもらいたいと私に相談しました。これは師父の私に対する期待だ、自分はこの責任を引き受けないといけないと私は思いました。
しかし半月経っても、協調人はCさんを連れてきませんでした。これ以上待たずに1人でもやり始めようと思い、私は2日かけて、現地の迫害の実情を小冊子にして明慧ネットに投稿しました。経験がないため、内容選定の面において、未熟なところがまだ多くありましたが、発表された後に確認したら、小冊子は大きく改善されており、内容がより豊富で読みやすく、挿し絵も加えられたことに気付きました。我が地区の創刊号だと分かってくれた明慧の編集者が、多くの時間を費やして小冊子を改善してくれたのです。ここで明慧の編集者たちに感謝したいと思います。彼らの応援と励ましを頂きながら、私はまた現地の迫害の実情のビラを作って、小冊子と合わせて現地の同修たちに提供しました。
最も重要なことは迫害の情報、特に突発的な迫害事件の情報を収集し、発生してすぐ明慧ネットに暴露することです。しかし中国の現在の情勢下で、迫害情報の収集は容易いことではありません。同修間の連絡はほとんど一方通行で、多くの同修間でこのような認識が不足しているため、迫害情報をすぐさま伝え出すことは不可能です。私と一緒にこのプロジェクトを担当するようにと言われたCさんがずっと来ない状況下で、いかにこの作業をしっかり行うかは、私にとって大きな試練となりました。しかし師父のご加護の下で、すべてが順調に運びました。師父がずっと私を助けてくださっている、と私は実感しました。例えば、私がある情報の詳細を調べたい時、それを詳しく知る同修がすぐ私の前に現れ、私がある問題点を見逃した時、師父は同修の口を借りて私に注意してくださるのです。資料編集に当たってあるパソコンの技能が必要になる時、師父は私の知恵を開いてくださり、問題はすらすらと解決できました。
もちろん、しっかり法を勉強することがこのような作業をしっかり行なえる前提で、学法は正念を保って問題を解決するための保障です。もし法理がはっきり分かっていないならば、修煉者は複雑な表面現象に戸惑いがちです。また、絶え間なく自身に残っている党文化の毒素を除去し、清浄な心で原稿を書いて資料を編集することも必要です。
ある日、新しい学習者のDさんが連行されました。修煉する前に多くの悪い習慣を持っていた彼は、修煉してからそれらの悪い習慣を断ち切ったので、彼は大法に恩に感じて積極的に真相を伝えていました。しかし彼は法をしっかり学んでいなかったため、執着心がまだまだたくさんありました。連行された後、公安局は「彼はちっとも悪習を改めていない」と言いふらしたので、彼の家族も困惑してしまいました。彼は再び以前の悪習慣に陥ったりしないと私は信じていますが、彼の迫害の実例をウェブに暴露したものかどうか、万一彼が本当に大法に泥を塗ることをやったらどうしようかと、私はとても困惑しました。
私は協調人を通じてDさんの家族と連絡を取り、彼の情況を詳しく聴きました。彼が連行されてから関連部門の態度はとてもおかしくて、調査部門が彼の家族に伝えたことも前後で矛盾する点が多く、「彼がちっとも悪習を改めていない」というのは、当局の嘘だと私は判断しました。その上、悪習を持っていた彼は大法の中で新しい人生を歩み始めただけでなく、断固として大法を守って真相を伝えているので、当局はそれを恐れて隠そうとしていたのです。直ちにその事件を暴露して当局の嘘を暴くべきで、Dさんの身の安全にも有利だと私は判断しました。そこで、関連の同修と意思を確認したあとで、私は素早く明慧ネットに投稿し、発表された後に、現地で大きな影響を引き起こしました。
自分をよく修め全体で協力する
明慧リポーターの仕事をこなすのは決して容易いことでなく、時には当地区の全体的協力に大きく関係しています。ある時期、当地で同修が相次いで連行されていました。毎回迫害が発生した後に、同修たちは急いで発正念をしたり真相資料を貼りだして、表面上、救出の努力をしていますが、連行された同修を救出できず、次々と労働教養所や刑務所に入れられ、迫害は次々と発生していました。このような現状に対して、みんな困惑していました。現地で真相を深く伝えず、現地の邪悪をしっかり暴露していないことが主な原因だと私は思いました。
そこで、公安局、検察院、裁判所、610弁公室に、法輪功に迫害を加えるスタッフの個人情報を集めて明慧ネットに暴き出し、彼らに悪行を戒める手紙を書いて郵送し、現地で発生した善悪応報の事例を集め、連行された同修の現状を現地の同修たちに伝え、労働教養所や刑務所の近くに行って発正念をし、連行された同修の家族に協力して救出活動を行うなどを、私はみんなに提案しました。協調人はみんなを集めて交流を行ない、皆が共通の認識に立ってすぐ着手しました。
皆の必要に応じて、私は皆にできるだけ多種多様な資料を提供しました。現地の真相以外、私は明慧ネット上の『善を勧める手紙』という欄からも文章を選択して資料を作成しました。現地に突発的な迫害事件が起きると、私は速やかにその内容を作成し、同修たちはすぐそれを貼り出します。典型的な迫害事例を私は自ら文章に仕上げて、同修たちは一緒に関連の政府部門で配り、強力に悪を震え上がらせ、世間の人々に真相を分からせました。
師父は『二〇〇四年シカゴ法会での説法』で、「衆生を救い済度する中で自らを良く修めるべきです」と説かれました。
明慧リポーターをやる過程は、修煉を向上させる過程でもあります。2009年の冬、明慧ネットは真相資料の編集の面で大きな改革をして、各地が単独で真相資料を作るやり方をやめて、『明慧週刊』を中心に、各地の迫害事情を『明慧週刊』の地方版として掲載するやり方に替えました。これは、編集者の時間を節約すると同時に、各地の真相資料に関わる同修の仕事量もぐっと軽減されました。この新しいやり方に適応して、私も自分の仕事の重点を調整し、これから真相を伝えることをもっと入念にしようと決心しました。明慧ネットに発表された中国国内ニュースに「明慧リポーターの報道」を加えるので、私の責任感もぐっと高くなりました。
しかし多くの仕事をやる中で、私は修煉を疎かにして、よく常人の心で物事を考えていました。2008年末、隣接のA市に大きな迫害事件が発生し、多くの大法弟子が連行され、A市の大法の仕事は中断してしまいました。迫害を受けた弟子の中には私たちの知人もいたので、我が地区を中心に、隣接の省の同修がすべて救出活動に参与しました。我が地区の弟子にとってこれは新しい試練であり、修煉を向上させる良い機会でもありました。
しかし私も含めて、我が地区の多くの弟子はこの救出活動に無関心で、当地だけで真相をしっかり伝えれば充分だと思い、この救出活動がもっと広い範囲で私たちが一体となるための機会だと理解できませんでした。後日、自費で迫害されている同修に弁護士を頼もうと考えた同修は、具体的な手続きが分からないために、何度も私に相談し、助けてほしいと頼んできました。私はする事が多いとか、時間がないとか言い訳をして断りました。実は責任を取りたくない、苦を嘗めたくない、車酔いのために遠方に出かけたくないなどの執着を私は隠していたのです。これらの執着心は私の修煉の向上を妨げていました。
ある日、F同修が数日遠方に行く必要があって、病気のために家で療養している家族の面倒を私に頼みました。Eさんも弁護士の事で何回も私を訪ねて、私を必要としていました。しかし私はずっと「Fさんに頼まれているため家を離れられない」と断りました。しかしFさんは突然計画を変更して、早めに帰って来たので、私は弁護士の件から逃れる理由がなくなりました。次元を高めて執着と自我を放下するようにと、師父が私を教化してくださっている、と私は分かりました。
私はしっかり学法して、すべての邪悪な要素を除去するように発正念をしました。明慧ネットに載っている修煉体験の文章を読んでいるうちに、私がやっている事は最も正しい事で、歩んでいる道は師父が按排してくださった道なので、いかなる邪悪も妨げてはならない、邪悪が車酔いの手段で私を試す資格も持っていない、車酔いを恐れるのは真の私でなく観念だと、やっと認識を高めました。そうすると、車に乗って出かけることもそれほど辛くなくなりました。私はEさんと一緒に弁護士に会い、連行された同修の家族にも会って、開廷日に法廷の近くで発正念をするよう同修たちと協調しました。その後、迫害の経緯を整理して明慧ネットに投稿しました。公安局はまるで大敵と対峙するような体制をとり、大人数の私服警官を出動させ、法廷で同修の写真を撮ったりもしました。
しかし全体の力が足りないため、今回、弁護士を依頼しましたがあまり良い効果を収められませんでした。私たちの全体に存在している問題点、特に迫害発生地のA市の問題点に気付いた私は、救出活動の中に存在した漏れ、現地同修の修煉状態の問題などについて、自分の見解を短文に書いて、隣接地区の弟子とも一体になって、同修の事を本当に自分の事だと考えるようにと皆に呼びかけました。
多くの反省が残っていますが、地区を跨る協力の第一歩をやっと私たちは踏み出したのです。
後日、私とEさんはもう一度A市に行って弁護士と会いました。ちょうどそこでA市の同修の数人に出会いました。こうして私たちはやっとA市の同修と連絡が取れました。交流を通じて、A市の同修たちがいまだに全体的な協力の態勢になっていないことに私は気付きました。彼らも我が地区の経験を学ぼうとしていました。そこで、互いの連絡方法を交換して、彼らが我が地区に来る日も決めました。当日、出迎え、昼食の手配、技術を教える、弁護士に無罪弁護を依頼する経験の交流まで、我が地区の同修は全力で協力してくれました。交流の中で意見の相違はありましたが、みんなの穏やかな態度、調和が取れた雰囲気にA市の同修たちは心を打たれました。後日の交流のとき、彼らは私にその日の感銘を教えてくれ、A市に存在する問題点についても話し、また、機会があればA市に交流に来てほしいと私に頼みました。開廷日に私はA市に駆けつけました。前回と違って今回、多くの地元の同修が来て発正念をしました。A市の同修たちは本当に高まったと私はとても感動しました。
書きたいことは本当にたくさんあり、原稿を書く前にどうしてあんなに投稿したくなかったかを振り返って考えると、私はとても恥ずかしくなります。師父のご加護のもとで今日まで歩んで、自分の歩んできた一歩一歩を大切にしないなら、師父が按排してくださったすべてを大切にしないことに等しいのです。ここまで書いて私は涙を流しました。私にはまだ多くの執着もあり、安逸心もずっと私の足を引っ張っていますが、修煉の機縁を大切にして、師父が与えてくださったすべてを大切にして、精進して自分の誓約を果たしたいと私は決心しました。
師父、ありがとうございました!
同修の皆さん、ありがとうございました!
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)