文/湖南省の大法弟子
【明慧日本2012年4月7日】
(二)技術の仕事の中で昇華する
私は偶然、ネット上で学習者の技術問題に回答する「天地行フォーラム」という修煉環境を発見しました。最初は、ただフォーラムに行って技術関連の資料を調べるだけで、ここで自分を修めて高められるとは思いもしませんでした。同修たちがここに持ち込んだコンピュータ関連の質問はとても簡単で、ほとんどの質問に自分が回答できることに段々と気付いて、自然に私は質問の回答をしたりしました。気がついたら、このように質問に回答して1年余りが過ぎました。その中で自分の技術も明らかにレベルアップしました。またフォーラムで学んだ技術を使って周りの同修を助けることもできて、一種の良性循環になっていました。
私の周りには同修が少なくて集団で学法する環境もないため、「天地行フォーラム」は私とネット上の同修との間で「比して学び比して修す」環境になりました。顔を合わせたこともない皆が、問題を検討する時に少しもよそよそしいところはありませんでした。
フォーラムに参加した当初、私は少しも名利を求める心がなかったのですが、知っている同修が多くなるにつれて、知らず知らずのうちに自分が名を追求しはじめ、同修の中で有名になろうといつも思って、自分が普段どのようにインターネットを利用して広く真相を伝えたか、どれほどの人を救ったか、自分がどのようにすごいかをフォーラムに書きました。しかもインターネットで真相を伝える方法を詳しく紹介しました。書いた後、同修からの称賛を期待していましたが、その内容は数日後に削除され、同修から批判を受けました。最初、私は自分が書いたその方法はとても良い方法で、自分はこのように大法を実証しているとばかり思って、私の発言を削除した同修に不満を抱えていました。
その後、学法する時、「この顕示心理もいろいろなところに現われており、良いことをする時にさえ現われてきます。普段から自分の名誉や利益のために、ちょっとした良いことがあると、それをことさらに言いふらしては、自分がいかにすごいか、強いかを吹聴します。(『転法輪』)」を読みました。
また、『二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法』では、「大法弟子は常人の世間での修煉の中、法理に対するはっきりとした認識を持っています。つまり、常人の得失に執着しないことです。法を実証することにおいて、どうしても自分の意見を出さなければならず、私がどうしてもこうしたいああしたいと思い、それで始めて宇宙で威徳を樹立することができる、というようなことではありません。あなたに良い方法があり、それを考え出したので、あなたは法に対して確かに責任を持っています。しかし、あなたの意見、方法が採用されるかどうかは重要ではありません」を読みました。
これでやっと私は自分の顕示心を意識しました。振り返って自分が書いた発言を見てみると、すべて自己を実証しているに過ぎず、中に嫉妬心、名利心などを混ぜこんでいたものの、自分はまだ自覚していませんでした。幸いに同修の慈悲なる叱正を得て、これを悟ってから私は直ちにフォーラムで自分の過ちを認めて、私を指摘してくれた同修に感謝の意を表しました。
(三)同修の不足に正念をもって対応する
明慧ネットではずっと安全の問題、特に携帯電話とコンピュータの安全に配慮することを強調しています。しかし私の周りに安全意識を持たない同修が数人いました。私は彼らを敬遠して、できれば接触しないようにして、彼らの巻き添えにならないよう注意していました。
私は新しい学習者の梅さんと2年前に知り合いました。彼女は安全意識を持たず、よく携帯電話で同修と話し、常人のパソコンで明慧ネットを見ていました。私は何回も彼女に注意しましたが、彼女はまったく改善しようとしませんでした。その後、女性同修のAさんが警察に連行されました。かつてAさんはよく梅さんと携帯電話で話し合い、ネットチャットもしていたことを知った後、私は直ちに梅さんに携帯電話の番号とネットチャットのアカウントを変えるよう注意しました。
しかし、梅さんは会社で営業をやっており、携帯電話とネットチャットのアカウントに多くの業務連絡の情報があるのを理由に、私の注意を受け入れませんでした。私は不満もあり、安全面の配慮から、だんだん彼女との連絡を減らしました。他の同修もこのことを知った後、梅さんの安全意識の薄さを懸念して彼女と連絡しなくなりました。そうして梅さんはほとんどの同修と接触できなくなって、彼女自身の修煉も次第に疎かになりました。
それから師父の新しい経文『更なる精進を』が発表され、師父は「最後の時刻がやってくる前に、救い済度される衆生の人数はまだ予定に達しておらず、一部の大法弟子はまだついてきていないので、これがまだこのことが完成できないことの理由です。」とおっしゃいました。
師父はついてきていない同修を訪ねて、彼らに修煉に戻るよう説得することを我々に期待しておられるのではないかと私は悟りました。梅さんに現状から抜け出してもらいたい、すぐに彼女を訪ねよう、と私は思いました。そのために、私は梅さんの周りの環境が改善できるように発正念をして、その後バスに乗りました。途中、私はずっと強い正念を保ち、他の空間にある自分の体がロケットのようにずっと上昇して、無数の宇宙を突破した感じがしました。その感覚は比類ないほど神聖で素敵で、梅さんを訪ねる決定は正しく、師父が私を励ましてくださっている、と私は分かりました。
梅さんに会うと、彼女が実は同修と接触して良い修煉環境に恵まれたいという気持ちがあると私は感じました。私が再度、携帯電話とコンピュータの安全対策の重要性を彼女に説明すると、彼女は「後でよく考えてみる」と言いました。それから私は何度も彼女を訪ねて、もう一度彼女のコンピュータの安全を確保しました。彼女は安全に明慧ネットにアクセスできるようになり、また明慧ネット内部のメールアドレスで私と連絡できるようになりました。後日、彼女は自ら携帯電話の番号を変えたいと言い出して、以前使ったネットチャットのアカウントも変更したようです。
今、彼女は新しい家に引っ越して、携帯電話の番号とネットチャットのアカウントも変更し、今はとても良い修煉環境に恵まれています。ここまで書いて私はまた『二〇〇四年シカゴ法会での説法』の師父の言葉、「皆さんも軽々しく誰それを見捨ててはいけません。この人にどういう過ちがあっても、どのような人であっても、私はこの人に機会を与えたいのです」を思い出しました。
梅さんの事の背後に、どれほど師父のご苦心の按排があったでしょうか! 師父はどの弟子をも見捨てたくないのです。師父の計り知れないご恩の中で、私たちが知る事ができるのは、その数万分の一に過ぎないのではないでしょうか。弟子として、ただ更に精進してより多くの衆生を救うしかないのです! 最後の限られている期間に、同修たちよ、一緒に頑張って「私は皆さんがもう一度熱意を胸に、もう一度修煉者としての最高の状態を取り戻すことを楽しみにしています」(『大法弟子とは何か』)というお言葉を覚えて、師父が我々に求めておられることをやり遂げましょう。
(完)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)