文/内モンゴルの大法弟子
【明慧日本2012年4月8日】私は内モンゴル自治区錫林郭勒盟地区に住んでいます。1997年に法輪大法の修煉を始めました。2001年、私は河北省蔚県の炭鉱で働くことになり、爆破作業に従事し、穴を掘ってダイナマイトを詰める作業を担当しました。地下の穴は直径わずか2メートルしかなく、極めて危険性の高い仕事でした。
ある日、鉱夫たちは地下に降り、2組に分かれました。私たちの組は穴底から50メートル離れた所で、まず車両に荷を積み、もう1組は引き続きダイナマイトを詰めて、点火しました。しかし、1回目の爆破で予想した効果がなかったため、「もっと多くの火薬を詰めてもう一度爆破しよう」と私は提案しました。そこで、爆破組は新たに4本のダイナマイトを詰めました。しかし、なぜか彼らは点火せずに、およそ50メートル離れたもう一つの場所へ歩いて行きました。私は情況が分からず、1人で軽率にも火薬の置かれた所に様子を見に行きました。火薬まで後1メートルの所まで近づいた時、誰かが突然点火しました。
巨大な爆発音とともに、私の体は瞬時に爆風に持ち上げられ、壁にぶつけられました。石炭の燃え殻が真っ向から飛んで来て、私の下半身を埋めてしまいました。上半身に激痛を感じ、顔から出血していましたが、体を動かすことはまだできました。その時、奇跡が起きました。坑内が明るく照らされているのを見て、頭に付けていた鉱山用ランプがまた点いているのかと思いました。私は目の前の光に沿って外へ出ようと、精いっぱい移動しました。私が20メートルくらい歩いて曲がり角に来た時でした。私は点火した人と面と向かい合っていました。私は力を込めて「あなたはどうして声もかけずに点火したのですか」と尋ねました。私の様子を見た瞬間、その人はあまりのショックで足が動かなくなりました。その時、私は目の前が暗いことに気付きました。頭に付けていたランプに触ってみると、ランプは爆発の間にとっくに壊れてばらばらになっていました。この前方からの光りは、師父が私を守ってくださっていたのだと分かりました。
地上に上がると、鉱山の社長はとても驚いて、私を病院へ送りました。私の服は血糊で体にくっ付いていました。両足の皮膚は傷ついて剥がれ、太ももは何カ所も鬱血していましたが、幸い骨折はありませんでした。顔の皮膚は瞼以外、砕けた石炭のかけらが当たって傷付けられ、満面に石炭の黒い粉が付着して、あまりにも悲惨で見るに耐えられませんでした。
社長は私に入院を勧めましたが、私は断って、薬も1粒も飲みませんでした。3日目に足の腫れがすべて消え、上半身から足指までの皮膚はまだ青黒い色をしていましたが、体が軽やかになり、半跏趺座をすることができました。5日目に体中の鬱血が消え、足指だけにまだ残っていました。7、8日目に、顔の黒い皮膚が剥がれ始め、10日目以降、鬱血がなくなり、全身が新しい皮膚に生まれ代わりました。
古い鉱山労働者は、「あなたの生還はこれまでになかった奇跡だ。爆発に遭っただけで、体が半分残ることさえもめったにないことですよ。今回、火薬の位置が低かったので、ふつう、下半身の骨も粉砕されるところでした。しかも爆風の巨大な圧力だけでも、人体を引き裂くことができます。ほかにも、爆発音で耳が聞こえなくなった負傷者もいますよ。ここ長年、同じような事故に遭って、生き残ったのはあなただけです」と言いました。
実は、私はダイナマイトの威力をよく知っています。1本のダイナマイトでも、巨大な鉄鉱石を粉々にすることができます。4本が狭い坑内で点火されたら、なおさらのことです。
私は修煉する前、20年以上にわたり、リューマチや肺気腫などを患って、多くのお金を費やしてもよくならず、その苦しみは言葉では言い表せません。法輪功を修煉して僅か20日間ですべての症状が消え、私は無病状態になりました。4本のダイナマイトの爆発で衝撃を受けても、私が生還できたのは、李洪志師父の慈悲なるご加護の賜物です。