【明慧日本2012年4月12日】吉林省長春市にある朝陽溝労働教養所は2012年の新年以後、拘禁されている数多くの法輪功修煉者に対し、独房に拘禁したり、スタンガンで電気ショックを加えたり、罵ったり、刑期を延長するなど、集中的に拷問を行った。そのため少なくとも、3人の法輪功修煉者が危篤状態に陥ってしまったという。
同教養所に拘禁されている法輪功修煉者・遅耀才さん(55歳過ぎ男性)は、吉林省延辺朝鮮族自治州図們市の石岘製紙会社の元従業員だった。遅さんは楽観的かつ心が広い性格で、同僚から「お兄さん」と呼ばれていた。しかし遅さんは2011年9月2日、同市の国保(国家安全保衛)大隊と地元派出所の警官に不当に身柄を拘束された。その後、警官らが遅さんの家へ家宅捜査を行ったとき、遅さんの家の倉庫で破損した新唐人テレビ局の受信アンテナを没収した。
その後、警官らはこのアンテナについて、遅さんを24時間尋問し自白を強要した。その後、遅さんは鞍山留置場に拘禁された。不当拘禁に対して遅さんは断食で抗議したが、朝陽溝労働教養所に移送された。
遅さんの家族は遅さんの身柄を拘束した理由を関係者に尋ねると、「秘密だ」と答えながら、アンテナのことと関係あると言った。
労働教養所の第3大隊に拘禁されている遅さん、朱瑞邦さん、馬国華さん、馮晨さん、劉国臣さん、杜国林さんなどの法輪功修煉者は2012年のお正月(旧暦)3日から16日まで、囚人服の着用を拒否することで迫害に抗議したが、同大隊の警官から酷い拷問を加えられた。
遅さんは20数回も殴打され、顔は腫れあがり、翌日には酷い高血圧の症状が現れて危篤状態に陥った。馮さんはスタンガンで電気ショックを加えられ、足に異変が起きた。朱さんは独房に拘禁され、5時間連続で電気ショックを加えられた。
遅さんの家族は遅さんの治療のため、「一時出所」の措置が受けられるよう教養所側に求めたが「条件を満たさない」と教養所側に断られた。しかし3月20日、教養所側は遅さんの家族に「一時出所のことを相談する」という通知をした。教養所に駆けつけた遅さんの家族は「遅の医療費を支払えば、遅を労働教養所の病院に送る。一時出所措置はお前たちの住民委員会、派出所とお前ら家族が保証人になれば、手続きができる」と教養所側から言われた。その後、遅さんの家族は相談して、遅さんを直ちに無条件で釈放するよう要求した。
同教養所の第1大隊に拘禁されている法輪功修煉者・賈立柱さんは、教養所で受けた迫害により200mmHg以上の高血圧になってしまい、人に支えてもらわなければ歩けない状態であるが、いまだに釈放されていない。第3大隊に拘禁されている馬国華さんは2011年12月、迫害によって心臓病の症状が現れ、食事をあまりとることが出来ず、2人に支えられてようやく歩ける状態である。
同教養所はかつて、2003年1月8日に江源県の法輪功修煉者・張全福さん(65歳)、同年1月19日に張さんの息子・張啓発さん(38歳)を死亡させた。また、通化市の法輪功修煉者・王貴明さんは2008年2月27に、同労働教養所に移送され、たった3日で灌食など拷問により、殺害された。
通化市東昌区の法輪功修煉者・孫顕明さん(59歳男性)は2回わたって、同教養所に拘禁された。教養所で、孫さんは腕を360度ねじ曲げられて、腕は腫れ上がり骨折してしまったが、治療を受けられなかった。孫さんは腕が痛みながらも、小さな椅子に長時間座らされたり、真冬に冷たい水に浴びせられたり、殴られるなどの拷問を受けた。
苦しめられた孫さんは痩せこけ、重い肺結核になって危篤状態に陥り、2011年5月30日に死亡してしまったという。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)