――青年大法弟子が正法修煉の中で個人修煉も成し遂げた経歴
文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年4月29日】
全体の環境の中で、心性を向上させる
多くの同修と接触して多くの仕事をしているうちに、私はいつの間にか協調人になっていました。協調人を務めている中で、現地の同修たちに漏れがあり、一体になっておらず、私個人の修煉にも原因があって、私は一部の同修にスパイだと思われるようになりました。
デマを耳にした当初、私はとても怒りました。私は心の中で考えました。「デマを広げる同修に、私の修煉を批判する資格があるのですか。たとえ、私が間違いを起こしたとしても、師父が私を加護してくださっているので、大法の中で正せばよいのに、どうして陰でデマを広げるのですか。デマを広げる暇があれば『三つのこと』をしっかり行ってはどうですか」 このような同修は、まさしく師父が法の中で説かれた「噂を広げる人」で、私はこのような人と口論なんかする暇はないと思いました。
心を静め、内に向けて探してみると、こうなったのは自分に多くの執着心がまだ残っているからだと分かりました。自分には同修を見下す執着心があります。どうして同修を見下すのか、その根本的な原因は嫉妬心からです。まさに『転法輪』の中で説かれている「嫉妬心は中国ではきわめて強烈に現われており、すでに日常茶飯事になっていて、自分でもそれと感じられないほど強烈なものとなっています」のようです。嫉妬心のせいで、私は同修の欠点を見つけると、直接本人に言うのでなく、陰で他の同修に言ったりしていました。口を修めていなかったので、ついに邪悪に隙に乗じられてしまいました。
また、『二〇〇二年ワシントンDC法会での説法』で師父がおっしゃった「なんと言っても皆さんが修煉している人なので、このことができるようにするために法の勉強は最も重要なのです。いくら忙しくても法を勉強しなければなりません。特に後になって表に出てきた学習者、落ちてしまった学習者または付いてこられなかった学習者は、多く法を勉強し、指摘の言葉を多く聞き入れ、早く追いついてきてください。正念を発することは全ての人が重要視しなければなりません。なぜならば皆さんが大法弟子であり、常人が大法のために何かを行っているのではなく、大法弟子が法を実証しているからです」に照らし合わせると、私は毎日大法の仕事を忙しくしていますが、学法と煉功をしっかり行なっておらず、さまざまな執着心も強いことに気づきました。多くのプロジェクトに参加する中で、同修の褒め言葉ばかりが耳に入り、だんだんと顕示心と歓喜心が生じてきて、結局、大法を実証しているのでなく、完全に自分を実証し、自分を顕示していたのです。今日の自分のすべてのものは師父と大法から授かっていることを忘れて、大法の原点に立って「三つのこと」をしているとは言えません。また、私にはとても強い恐怖心がありました。自分自身の原因の他に、他の同修にもしっかり修めていないところがあり、旧勢力に隙に乗じられ、互いに間隔が生じてしまいました。このように、私は自分の良くない部分、および全体の間隔を見つけ出し、発正念をして周囲の同修とも交流しました。しかし、これらの問題と自分の執着心を私は内心から真に重視したわけではありませんでした。
しばらくして、私のデマを言いふらした同修がもっと広い範囲にデマを伝えたことを私は知りました。まさしく師父が『転法輪』の中で説かれています。「しかし、往々にしてトラブルが発生する時、それが人の心の奥深いところを刺すような激しいものでないと効果が上がらず、向上につながりません」 私はかっとなり、すぐにも「どうして私のデマをまき散らすのですか」と彼らに問いただしたい気持ちでいっぱいでした。夜、法を学んでも頭に入らず、ずっとこの事ばかりを考えており、憤りでふんぷんとして、心穏やかではありませんでした。
その時、『転法輪』の一部分が目に映りました。「われわれは基本的に、人と人との間の心性の摩擦の中で業力を転化させるのであって、普通そうやって転化を実現するのです。人間がトラブルの中、または人間同士の摩擦の中に身を置かされた時の苦痛は、肉体的な苦痛よりも辛いものです。わたしに言わせれば、肉体の苦痛は最も耐えやすく、じっと我慢すれば、何とか耐え抜くことができます。しかし、人と人とがいがみ合う時の心は、最も制御しにくいものです」
私は繰り返しこの部分を読んでいるうちに、だんだんと落ち着いて、自分の利益と名を求める心を見つけることができました。利益を求める心とは、私は新しい弟子で威徳をたてる機会が少なく、今している大法の仕事がちょうど威徳をたてる機会だという考えを持っていたのです。『転法輪』で師父は「あなたは求める心を抱いて、それのために来ているのですか? あなたが何を考えているのか、他の空間にいるわたしの法身は何もかも知っています。二つの時空の概念が違っていて、他の空間から見ると、あなたの思惟が形成されるのは非常に緩やかな過程です。あなたが考える前に、法身は察知できるので、良くない考えはすべてよしたほうがいいのです。佛家は縁を重んじますが、皆さんも縁によって集まってきたのです。 あなたはあなたが本来得るべきものを得たのかも知れません。だからこそ大切にするべきで、何かを求める心を一切捨ててください」と説かれました。
自分の求める心がこんなにも強いのかと思いました。『精進要旨二』「円満成就に向かって」の中で師父は「執着を持って法を学ぶことは真に修めることではありません」と説かれました。自分の求める心は師父、大法に対して不敬ではありませんか? 修煉の出発点が不純ではありませんか? 自分が行った「三つのこと」は大法の原点からかけ離れていたのではありませんか?
また、我々の全体にどうして隔たりができてしまったのかについても、私は考えました。同修たちは「三つのこと」をする時、自分の意見を固守して、互いに譲歩せず、協力せず、ついに隔たりを深めたのです。そして結局、現地の2人の協調人が不当に連行され、実刑を言い渡されて、現地は大きな損失を蒙ったのです。
3回目にデマを耳にした時、私の心は以前よりかなり落ち着いて、頭の中で『転法輪』の中の一部分、「平素から慈悲の心と、穏やかな心理状態を保たなければなりません。そうすれば、何か問題が突然現われた時に、それに正しく対処することができます。平素から慈悲の心を保っていれば、問題が突然現われても、たいてい一息おいて考える余裕があります。心の中でいつも人とあれこれ争うことばかり考えているのであれば、問題が起きると、必ず相手と真っ向からやり合うに違いありません。ですから、何かトラブルに遭った時こそ、自分自身の黒い物質を白い物質に、つまり徳に転化させる時だ」を思い出しました。また内に向けて探し、自分には闘争心、名利心、色欲の心、同修を見下す心などが見つかりました。デマを耳にした3回の過程を通じて、私は自身の不足に気づき、本当に内に向けて探すことができるようになり、着実に修煉することを覚えました。同時に、口を修めていない同修のために黙々と正念も発しました。
また、邪悪に連行された同修が取り調べられる際に、知っている他の同修の名前を思い出させないように、私はずっと発正念をしていました。その同修が実際に尋問された時、「○○という学習者を知らないか」と聞かれ、その同修は「知らない」と答えましたが、釈放されました。彼は我々に「尋問された際に、頭の中が真っ白になって、何も思い出せなかった」と話しました。このことを通じて、大法弟子の念がどれほど力強いかをあらためて感じました。自分の考えが正しくなければ多くの問題を招きやすく、師が法を正すことを手伝うどころか、個人修煉の基準さえ達成できず、みんなと一体になって「三つのこと」を行うことも絶対にできないわけです。また、私は天目を通じて、デマを伝える同修の周囲に非常に頑丈な黒い壁が立っているのが見え、私は3日間かけてやっとその壁を解体したのです。
現在、私は同修間の噂話を耳にした時、私の心は少しも動じなくなっています。同時に、「大法弟子は一つの全体であり、同修間のいかなるトラブルも私は気にせず、同修間の神聖なる縁を大切にして、決して隔たりがあってはならない。大法弟子の修煉を妨げる要素を解体させ、旧勢力が大法弟子の間で作ってしまった間隔を除去し、修煉と関係ないことは言わない、伝えない、絶対口を修める」と、私は強大な正念を発します。以前の私であれば、多分聞いた噂話を他の同修に伝え、自分の賛否の意見も強調し、噂を立てた同修を非難し、心穏やかではないかもしれません。
当地区の大法弟子が各プロジェクトを協力して行う中で、あるいは他の環境で接触する中で、トラブルはどうしても避けられないことです。真に大法を第一に考え、「三つのこと」を最重要視し、個人の得失にこだわらなければ、思想の昇華に従って問題の処理方法もはっきりと変わってくると私は思います。
私がこの交流文章を書いていた時、自分の空間場にある良くない物質を師父が絶えず除去してくださるのが見えました。私も同じく絶えず内に向けて探し、私心と雑念を除去していました。この交流文章を書くのは、自分を実証するためではなく、大法を実証するために書いているのです。
私は合格通知書を取得した
この交流文章を書いた中秋節の夜、私は夢を見ました。私は夢の中で高校三年でした。クラスの新任の先生はとても真面目で、とても厳粛に「私が担任したクラスで、清華大学、北京大学に不合格になった学生は今まで1人もいません。皆さん、頑張ってください」と学生に話しました。その後、私は大学入試を受け、後日学校へ行き、高校の卒業証書と大学の合格通知書を受け取りました。担任の先生は自ら大学の合格通知書を我々に渡していました。先生が私の名前を呼び、「清華大学に合格した。おめでとう」と言って、卒業証書と清華大学の合格通知書を渡してくださいました。私は嬉しくて起立してそれを両手で受け取りました。みんなが拍手してくれました。一方、大学に合格できない、また、卒業試験さえ受けていない学生もいたようです。
夢から覚めた後に、これは師父からの激励だと分かりました。また、師父が1人の大法弟子も残したくないお気持ちも私には分かりました。
私は師父の慈悲深い済度に心から感謝します。また同修の無私無我の助けに感謝します。私にはまだ多くの不足な点があり、精進している同修に比べて私はかなり遅れています。今後、他の同修とよく協力して、「比して学び、比して修し」、絶えず大法に基づいて自分を正し、精進して、より多くの衆生を救い済度したいと思います。合掌!
(完)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)