【明慧日本2012年4月29日】1999年4月25日、1万人の法輪功修煉者たちがを国務院の陳情窓口へ向かいました。憲法で保障された権利を守ってほしいと懇願するその行為は、非常に平和的で理性的でした。
1999年4月24日午後2時ごろ、私は一人の同修から、天津で発生した出来事を聞きました。「何祚庥(か さくしゅう)」という理論物理学者が、青少年の刊行物で『青少年が気功を練ることに賛成しない』の一篇の文章を発表しました。文章は全部、法輪功の話で、挙げた例は虚偽的な事実で法輪功を誹謗中傷していました。天津の法輪功修煉者たちは雑誌の編集部と、関連部署に行って真実を伝えましたが、聞いてもらえず、かえって40人あまりの修煉者たちが監禁されました。関連部署の人は問題を解決するには、陳情の窓口か国務院に行くしかないと話したそうです。私も、天津は国の直轄市であり国務院に行くことは正しいと思いました。それでみんなは、明日、国務院の陳情の窓口に行こうと思うが、私はどうするか聞いてきました。当時、私は涙が出ました。政府がいきなり煉功させないようにするのではないかと恐れました。私は行くと答え、後で出会った周りの同修たちも、翌日行くと言いました。
このことを夫に話すと、夫は心配して、私を行かせないようにしました。夫は「修煉もちゃんとできていないのに、国務院に陳情なんて」と焦りながら言いました。私は焦らず、落ち着いて「私も自分の修煉がちゃんとできていないのは分かります。まだ多くの執着心を取り除いていません。しかし、皆が修煉ができてないという理由で行かなければ、この問題をどのように解決するのですか。今回私は必ず行きます。戻ってからちゃんと学法と修煉をします」と話しました。このとき夫も落ち着き、怒らず同意しました。
翌朝6時、私は家を出発しました。バスに乗ると、中は全員陳情に行く同修たちでした。私たちはバスから降りると、私たちを奥の方に行くよう指示してくれる同修がいました。もう前には進めないので、足を止めて周りを見ると、若い夫妻が壁に寄りかかってうとうとしていました。奥さんの懐には乳児が眠っていました。話をしてみると、彼らは北京から300キロ離れたところから来て、昨日の夜8時にここについたそうです。乳児は両親と野宿をしました。乳児は、一日中最後まで泣かないでいました。
もう一人の二十代半ばの女性は、道路の角の方から何かを拾いながら来ました。近づいて見たら、まさしく一人の大法弟子が警官たちが捨てた吸殻、ゴミなどを拾っていました。彼女は半分くらい詰まったゴミ袋を左手に持っていて、長時間拾っていたのが分かりました。ずっと拾い続けていたため、彼女の顔は汗だらけになり、手も汚れていました。警官や来往する人たちも称賛の目で彼女を見ていました。このとき私は心から誇りに思い、これが私たち法輪功修煉者です、と感嘆しました。
朝8時、私たちは盲人に道を譲り、自ら道路の一方に集まりました。後で警官たちがやってきて、最初は緊張し慌てましたが、私たちの平和で、穏やかな行動をみて、彼らも何も話さず、一部の警官たちは車の中で休んだり、法輪功修煉者たちとおしゃべりをしていました。そのときの警官と人々は非常に和やかでした。ある同修は煉功をしたり、学法したり、交流したりしました。大声でおしゃべりしたりする人はいませんでした。その中でうっかり大声で話した同修がいると、すぐ周りの同修は「私たちは修煉者です」と注意を促しました。知り合いでなくても、やさしく、和やかに。みんなは穏やかな心で、理性的に結果を待っていました。
お昼になって、多くの人々は、持ってきた食べ物を、他人と譲り合いながら簡単に食べました。私の記憶に深く残っているのは、私のそばにいた家族三人でした。おばあさんは今年81歳で、孫娘と娘三人で来ました。座り込みのデモのように理解されてはならないと、座布団などは持参しないように知らされました。お婆さんは朝8時から夜8時まで、疲れたときは壁に寄りかかりながらずっと立っていました。翌日、孫娘の中間試験があるため、やむを得ず先に帰りました。
後で代表の入場が許可され、政府幹部に事情の説明と要求を話したそうです。要求は三つあり、一つ目は天津はすぐ人を釈放すること、二つ目は合法的な修煉環境があること、三つ目は法輪功書籍を正常に出版、販売することを許可することでした。午後になって、天津から修煉者たちを釈放した情報があり、同修たちもただ拍手しただけで、何の騒ぎもありませんでした。夜8時ごろ地元の同修たちは帰りました。私は帰らず、9時ごろまで最後の情報を待ちました。後で最後の回答をもらって、みんなは静かに現場から去っていきました。
翌日、職場に戻ってから上司は「昨日の紀律はすばらしかったようですね。会社の上の人たちはみんなこのニュースを分かっていて、みんな驚いていました。私たちにも聞かせてください。あなたたちはどの様な紀律があったのですか」と私に聞きました。私は笑いながら「私たちはこれといった紀律がなく、私たちはただ一言、『私たちは修煉者です』の一言でみんなで注意し合い、励まし合い、自らに要求しました」と話しました。当日私が立っていたところでは、前首相と面会している所は見えませんでした。しかし、大法弟子たちが表した善良さ、人格の素晴らしさは、永遠に忘れられない思い出となりました。