文/龍延
【明慧日本2012年5月8日】王立軍(元重慶市副市長、公安局長)が成都の米国総領事館に亡命して政治避難を求めた事件は、中共(中国共産党)の全面的な内紛を触発した。積極的に法輪功迫害を行なってきた主犯格である薄煕来(元重慶市トップ)と王立軍は、悪の報いに遭ったとも言える。しかし、この事件はまだ終わっていない。
中共が情報を封鎖しているため、大半の中国民衆は「重慶事件」の詳しい状況がはっきり分かっていない。この事件の経緯について、私は次のとおり簡単に事件の要点をまとめた。
一、薄煕来と王立軍の仲間割れの原因
薄煕来の腹心である王立軍は「盗聴癖」の持ち主で、重慶のマフィア取り締まりの名目で多くの盗聴行為を実施し、薄まで盗聴をしていた。王は、薄の録音情報を多く握っており、薄とその家族の秘密を把握していた。「重慶事件」は表面上、薄と王の仲間割れが原因だったようだが、仲間割れの本当の原因について、筆者は数通りの分析をした。
その1、2012年1月28日、当時、重慶市副市長で公安局長だった王は薄に、重慶の警察が事件捜査をした際に、薄の親族が事件に関係している事実を発見し、直接捜査を担当していた警官が辞職を求めたことを薄に報告した。薄は激怒し、2人の関係が破綻した。
その2、王は公安局長として、薄の妻・谷開来がイギリス商人ニール・ヘイウッド殺人事件に関係していることを薄に報告した際、薄にビンタを張られた。それからわずか2日間で、王の側近11人が逮捕され、うち2人は殺され1人が自殺した。その後、王は薄と周永康(政治局常務委員)の秘密を記した証拠資料を持って「身の安全を保証してくれなければ3人は共倒れだ」と周永康を脅かした。海外メディアの報道によると、ヘイウッドは薄家の資産を海外に移送する手伝いをしたため、その秘密を熟知していたという。また、ヘイウッドは谷開来と男女関係を持っていたという。
その3、中央紀律検査委員会(中紀委)は王を調査した。王は非常に恐れて、保身のため中紀委に従って薄の犯罪証拠の収集を約束した。北京の上層部がこの情報を薄に漏らしたため、2人の仲が反目した。
王が薄の致命的な秘密を握っていたことを、上記のどの分析からも分かるだろう。薄は王を殺して口封じを企むが、王は殺害から免れようとした。これが王の逃亡の動機である。海外のウェブサイトによると、ヘイウッド殺害の命令を下したのは薄で、彼の秘書・張暁軍が殺害を実行した。薄はまた、大連と重慶で6人の殺害指示を出したという。
二、「重慶事件」の経緯
2月1日、薄煕来と王立軍の「内紛」はエスカレートした。薄は王の重慶市公安局長兼党委員会書記の職務を停止させ、商工業・技術監察・教育文化などを管轄する副市長に降格させた。これで王は実権を失った。
2月2日、重慶市当局は正式に王の職務変更を発表した。
2月2日の公式発表の前に、薄の命令により、王配下の運転手、コック、ボディガード、秘書など19人が逮捕され、うち2人は拷問を受けて死亡、1人は自殺した。王の一挙一動はこの時、薄の監視下に置かれた。
2月3日、メディアの報道によると、王は実名で中紀委に薄の妻・谷開来の腐敗と来の息子の問題などを報告したという。谷開来は米国、イギリスなどに80億元(約1000億円)もの資産を移送したという。
2月4日、メディアは第3軍医大学大坪病院による「王立軍が自殺傾向にある」という診断書を公表した。アナリストによると、これは重慶勢力(薄煕来)が王をもみ消す前にまず世論を馴致させる作戦だという。
王は薄の残酷な手段を熟知しており、身の危険を察知した。薄が雲南に行ってから、王は監視の目をごまかして2月6日晩、女装して車で重慶から成都に逃げ、米国総領事館に入った。王はそこに1日滞在して、政治避難の申請書を書いてから領事館を後にした。
薄は状況を知った後、すぐさま装甲車を含む70台以上の警察車両を出動させ、成都市まで越境して米国総領事館を包囲した。重慶市長・黄奇帆は、自ら総領事館前で警察を指揮し、王を引き渡すように総領事館と交渉した。
2月7日、北京の上層部の干渉(情報によると、胡錦涛が直接関与したという)のもとで、黄奇帆は退去し、王が北京から来た人(報道によると、国家安全部の邱進副部長)について北京入りした。
2月7日、数年前に薄に迫害されカナダに亡命した姜維平元記者が、次の情報を発表した。王が米国領事館に亡命した後、重慶市の多くの警官は喜び、「東北組(王立軍は以前、遼寧省公安局に勤めていた)のせいで俺たちは苦労した! 警官の間の信頼が薄くなって、民衆との対立も際立っていた」と漏らした。「重慶事件」の後、彼らはほっとして、祝いの活動も計画したが、薄が爆竹を鳴らしてはならないと命令を下した。
2月8日、重慶政府は王が「休暇による治療」を受けていると発表。重慶政府のブログには「王立軍副市長は長期にわたり負荷を超える仕事をしたため、精神が極めて緊張し体調も崩れたため、現在『休暇による治療』を受けている」と書かれている。
2月9日、米国国務省のスポークスマンは、王が米国領事館に入ったことがあり、また「自らの意志」で離れたと発表。
2月9日、中国外務省はやむを得ず、王が2月6日に成都の米国総領事館に入り、一日滞在した後に離れたことを発表。
2月13日、習近平(副主席)が5日間の米国訪問を開始。このデリケートな時期に、中国事情に詳しい米国官僚が、王が米国領事館側に話したことの要点を公表した。ワシントンタイムズのベテラン記者ビル・ガーツ(Bill Gertz)氏は米国官僚の言葉を引用し、「王立軍は米国に中国共産党高層部の腐敗の関連資料を提供した。中に薄煕来と周永康に関する資料もあった。また、薄煕来らはクーデターを起こし、習近平が次期最高指導者になることを阻止する計画もあった」と語った。その後、政治局常務委員らが薄を罷免するか否かを話し合った際、習近平は重要な一票を投じた。
その後、海外メディアは続々と王が米国に手渡した資料の中身を報道した。(1)薄煕来が法輪功修煉者の「臓器狩り」事件に関連した証拠(録音・秘密文書など)、政治・法律系統に伝達された法輪功修煉者弾圧の命令文。(2)薄煕来の録音ファイル。その中には薄煕来が皮肉にも、江沢民を「現代の西太后(「西太后」とは清王朝の最後の権力を握った皇太后)」、胡錦涛を「漢の献帝(曹操に背後で制御されていた皇帝)」、習近平を「劉禅(劉備の無能な息子)」と呼び、自分は「将来の中国を指導する」と誇り、自分は「9人の無能な知能障害者(現在の中共中央政治局常務委員9人を指す)」と違い、9人に選ばれた新しい「無能な知能障害者」とも違うと言った。(3)習近平が中共の次期最高指導者になることを阻止するため、薄と周永康がクーデターを画策していた証拠。
2月28日、重慶市長・黄奇帆は香港鳳凰(フェニックス)衛星テレビの記者の取材を受け、王立軍亡命事件を認めた。また、米国領事館を囲んだ警察車両はすべて四川省の車両だと弁明した。しかし、取材の映像は3月5日に鳳凰テレビのウェブサイトから削除された。これは黄奇帆が先手を打ち、北京に対して重慶の見解を押し付けようとしたものと思われる。
2月、中共高層部は2回も会議を開き(期日不明)、「重慶事件」をいかに処理するかを検討した。温家宝(首相)は「王立軍事件は、重慶市に過去数年、『明らかな問題』が存在していた証拠である。中央は重慶のここ数年の仕事に対して徹底的に調査すべきだ」と言った。賀国強と李克強(両人とも政治局常務委員)は、温家宝の意見に賛成した。一方、周永康は「王立軍事件のために、薄が重慶市であげた成果を否定するべきでない」と反対した。李長春と賈慶林(両人とも政治局常務委員)は、周永康の意見に賛成した。胡錦涛と呉邦国(政治局常務委員、序列2位)は意見を表明しなかった。
3月2日、政治協商会議と人民代表大会(略称「両会」)のスポークスマン・趙啓正は、「王立軍は関連部門の調査を受けているため、「両会」に出席できない。薄煕来は「両会」に参加し、取材を受けることができる」と公表した。
「両会」初日の3月5日、警察車両による米国領事館包囲事件について、鳳凰テレビの取材で重慶市長・黄奇帆は公然と「私が1台の車を率いて、事務総長を連れて行った」、「現場にあった多くのパトカーのナンバープレートは(重慶市ではなく)四川省のものだ」と言った。3月7日、四川「両会」代表団は「四川省公安庁は警察を出動していなかった」と反撃した。では、当時の警官と車両は誰が出動させたのだろうか? 専門家によると、政法委員会の周永康書記が直接、四川省の警察を動かしたという。勝手に警官とパトカーを出動させる行為は彼の権限を越えているとして、胡錦涛と温家宝は怒りを覚えたという。
3月7日、香港の英語メディア『南華早報(South China Morning Post)』は四川省メディアの報道を引用して、胡錦涛は数日前の高層会議で、重慶市の元副市長・王立軍を「党と国家の裏切り者」と決定したと報道。
3月8日、薄が人民代表大会の会議に欠席。周は重慶代表団の前で、公然と薄への支持を表明した。
3月9日、「両会」期間中の重慶代表団の取材日に、薄ははじめてマスコミに王立軍事件について言及した。王立軍の亡命に対して「とても意外だ」「とても心を痛めている」「自分に部下を見る目がなかった」「重慶のマフィア取り締まり活動は公安局の努力だけでは成り立たない。政治法律委員会の指示を仰いだ公安・検察・裁判所・司法局・国家安全局・紀律検査委員会の共同作業の成果だ。王立軍一人の事ではない」などと語った。取材のさなか、薄は突然「胡錦涛総書記がいつかきっと重慶を訪れることを、私は信じている」と発言した。一方、中国共産党の主要メディアは薄の発言を一文字も報道しなかった。薄の言論は明らか胡錦涛にプレッシャーをかけており、また中国共産党中央政治法律委員会の周永康書記が自分の後ろ盾だと宣告したのだと思われる。この発言により、胡錦涛は薄の職務解任を決心したという。
3月13日、政治局常務委員らの短い会合で、習近平は重慶問題に対して「全面的に調査を行う」ことに賛成した。のち、呉邦国も支持を表明した。報道によると、周以外の常務委員が全員、薄の職務を解除することに賛成した。周は政治局常務委員の中で唯一、断固として薄を守ろうとした。
2012年の3月14日、人民代表大会の閉幕後、温家宝は中共史上最長の記者会見(約3時間)を開いた。王立軍事件について聞かれた時、「厳正に調査して処理する」と表明した。また、「重慶市の委員会と市政府は反省し、王立軍事件から教訓を得なければならない」と言った。さらに重慶の「革命歌を歌い、マフィアを取り締まる」運動は「文化大革命同然のでたらめ」だと暗示した。海外メディアは、これが薄に対して温家宝が行なった「最も厳しい」非難であり、同時に薄の後ろ盾、周永康にも公然と挑戦しており、中共高層部が分裂していることが分かる、と報道した。
3月14日午後、中央政治局の会議が開かれた。香港『動向』誌によると、会議で中紀委の賀国強書記は薄の間違いを3点指摘した。1、薄は何度も「胡錦涛総書記は重慶に考察しに来るべき」と言ったが、その動機、目的は何か? 2、会議で薄は公然と「凶悪な鬼とも戦い、決して頭を下げない」と言ったが、その発言は適切なのか? 「凶悪な鬼」とは何を指しているのか? 3、薄は政治局常務委員、重慶市の党委員会書記として、王立軍事件についての認識が足りず、職務上の過失があった。また過失をごまかそうともしたため、薄は深く反省すべき。
3月15日、共産党中央は、薄に対し重慶市党委員会の書記を免職し、王立軍に対しては副市長の職務を免職した。重慶市党委員会の書記は、政治局委員・国務院の張徳江副総理が兼任すると発表した。情報筋によると、「両会」が終わった後、薄は重慶に帰らず、そのまま北京で身柄を拘束されたという。
同じく15日、重慶市で市の幹部大会が開かれ、重慶市高層部の人事異動を伝達した。重慶市長・黄奇帆は直ちに態度を変え、「断固として中央の決定を尊重する」と表明した。海外メディアによると、黄奇帆は共産党中央に対し、「薄が反乱を企んでいる」「薄が総書記の座に登り詰めたら、私を首相に抜擢すると約束した」と密告したようだ。
3月17日晩、中共当局によりずっと封鎖されていた「大紀元」のウェブサイトが約6時間解禁された。中国国内のインターネット利用者は「ネット封鎖突破ソフト」を使わなくても、一時的に「(中共からの)脱党ブーム」など、大紀元の報道を見ることができた。
3月18日、北京の消息筋によると、薄の職務を解除する決定が出された後、温家宝はさらに薄の違法行為、王立軍事件における責任、重慶で「革命歌を歌い、マフィアを取り締まる」運動を起こした責任などを追及し、薄を免職処分にすると強く主張した。情報によると、温家宝の主張は習近平を含む常務委員らの支持を得たが、周永康は断固として薄の免職に反対した。中共高層の各派閥がほとんどこの事件に巻き込まれ、闘争の激しさはかつてないものであるという。
3月19日、米国国会の外交委員会が、正式に王立軍事件に対して調査を始めた。
3月19日夜、ネットでは「北京の長安街から銃声が聞こえ、中南海に内紛が起き、周永康が軟禁された」との噂が広がった。しばらくの間、「長安街」「銃声」「周永康」などの語彙がネット上で封鎖された。
3月21日、党中央は突然、周永康の部下にあたる全国の政法委書記(つまり全国各地の公安局長と武装警察部隊の政治委員)3000人余りに、北京で会議を開くと知らせたが、その中には書記の周について一言も言及していなかった。26日に会議が開催され、周は「顔を出して」講話もした。しかし、周の過去の講話とは基調が全く違い、明らかに「本心からの言葉でない」ようだった。海外メディアは周が「講話をさせられた」と報道した。
3月21日、イギリスの『フィナンシャル・タイムズ』紙は、「周永康は現在、『ある程度』身柄を拘束されているとも言える」と報道した。
3月21日、百度(中国最大の検索エンジン)は「神韻芸術団」というキーワードを全面的に解禁した。検索すると、米国神韻芸術団のオフィシャルサイトにアクセスできた。22日には一度封鎖され、23日に再度解禁された。百度の封鎖と解禁は、中共高層部の舞台裏での闘争がいかに激しいかを示した。
3月22日晩の中央テレビ局のニュースに、周がとても怪しげに「顔を出して」、上海で開催する「全国政法宣伝工作会議」にメッセージを送った。
3月23日、敏感時期にあった北京は、中南海と天安門の警備を強化した。中国の新聞社23日の報道によると、周は23日午後、北京人民大会堂でインドネシアのマルティ外務大臣に接見した。同時に、周によって「最高レベルの封鎖」と指示されていたキーワード、「臓器狩り」が百度で一時的に解禁された。
3月24日、情報によると、温家宝は何度も「89年天安門事件」を再評価することを主張したほか、胡耀邦・趙紫陽の名誉回復にも言及した。さらに中国共産党が最も触れたくない「ペナルティエリア」である、法輪功の「名誉回復」に言及したという。温家宝は中南海内部会議でこう発言した。「麻酔剤も使わず生きた人の臓器を摘出して、さらにそれを売って金を儲けるなんて、これは人間がやれる事なのか? このような事が長年ずっと起きている…」
その期間、百度と国内のいくつかのウェブサイトでは、一時的に「転法輪」「臓器狩り」「神韻」などのキーワードが解禁された。
3月29日、百度に「周永康と薄煕来による習近平倒しの陰謀」という内容が突然現れた。30日、百度に、香港で行なわれた「脱党パレード」のビデオ映像が出現した。
3月30日の『タイムズ』紙は、「イギリス高官によると、薄煕来はヘイウッド氏の死に関係があるようだ」と報道した。
4月10日午後、ロイター通信は、薄が中共中央委員と政治局委員の職務を一時停止され、今は調査を受けていると報道した。4月10日夜11時頃、中国共産党の代弁者・新華ネットはやっと「中央は薄煕来の中央政治局委員、中央委員の職務を停止し、薄煕来の深刻な紀律違反に対して調査を始める」と報道した。後ほど、新華ネットはまた薄の妻・「薄谷開来」と張暁軍(薄家の秘書)が、ヘイウッド氏殺害の疑いで連行されたことを報道した。
新華ネットが薄の妻を「谷開来」でなく「薄谷開来」と呼んだことは、意味深いことと見なされている。専門家は、中国共産党は2つの重要な問題を隠そうとしていると指摘した。一つは周と薄がクーデターを起こし、習近平が次期最高指導者になることを阻止する計画。もう一つは、ここ数年、中共高層部の内紛が、主に法輪功問題をめぐって展開していること。中共の上層部では、法輪功迫害に対してずっと深刻な意見の対立が存在している。
4月11日、海外メディアは薄と妻の谷開来に関する多くのニュースを報道した。例えば、(1)すでに逮捕された重慶市南岸区書記の夏徳良は、青酸カリウムを用意してヘイウッド氏を殺したと認めた。また、彼は副市長に昇進するため、谷開来に3千万元(約4億円)を贈ったことも自供した。過去2年間、重慶で薄は妻を通じて官吏の抜擢において10億元の賄賂を受け取ったことが判明した。(2)薄と王は重慶で精神病院を設立し、現在まで1300人の「政府に不満を抱える」人を拘禁していると言われている。(3)薄と王は積極的に法輪功を迫害し、拘禁中の法輪功修煉者の「臓器狩り」に関わった疑いがある。(4)専門家によると、ヘイウッド氏は薄家の財産を海外に移送する中で、薄のクーデター計画を発見したため、薄に殺害された。妻に殺害の実施を指示し、自身は舞台裏に隠れるのは、中共の政治家が一貫して取る手段である。かつて毛沢東が妻・江青を使って、多くの政敵を倒したのも同じ手段である。(5)薄は百人以上の女性と性的関係を持っていた。中にはモデル、中央テレビ局の司会者が含まれ、有名女性が28人もいる。先日逮捕された大連実徳公司の徐明社長は、自分が薄に女性を斡旋し、王立軍は密かに薄と女性との性交場面を録画したと供述した。(6)中共の内部情報によると、薄が最も崇拝している人物は秦の始皇帝と毛沢東で、自分は中国で3人目の最も偉大な人物だと自惚れていたようだ。(7)谷開来は香港の身分証とシンガポールのグリーンカードを持っている。
三、習近平の最高指導者就任を阻止するため、周・薄が結託して軍事クーデターを画策
薄煕来は中央政治法律委員会書記の地位を求めただけでなく、最高権力を狙うという野心を持っていた。「王立軍事件」の最も注目を引くポイントは、習近平に最高権力を引き継がせないために、薄と周が軍事クーデターを画策したことである。
海外メディアは主に次のように報道した。
薄煕来は軍と結託して、少なくとも2つの集団軍が彼を支持していると自称した。その上、政法委員会統治下の膨大な武装警察と警官を加算すれば、周永康が指揮できる250万人の公安と150万人の武装警察は、胡錦涛指揮下の200万の軍隊を上回る。大型装備が軍隊よりやや劣るほかは、武装警察と公安の常備兵器は軍隊よりも先進的で、中国の「安定維持」の出費が軍事支出を上回っていることも公表されている。このことからも、王が米国に暴露した「周と薄が警察を使ってクーデターを発動する」計画は、信憑性があるだろう。
王が中央警備局を通じて、密かに指導者らの行方とプライバシーを把握していたことは、中共当局を驚かせた。専門家は「王はただ薄の用心棒にすぎない。盗聴行為は明らかに薄と周の指示である。特に中央警備局と付き合えるのは、おそらく周が斡旋した結果だろう」と指摘した。
王はもともとベテランの警官であるため監視・盗聴を好み、またいわゆる「マフィア取り締まりの英雄」であるため、最新の盗聴技術に精通していた。中央警備局は彼に対する警戒心も緩めていた。そのため、中央の指導者が重慶に来た際も盗聴され、中南海のプライバシーが漏れた。
習近平・賀国強・李源潮・呉邦国などが重慶に視察に来た時、王はすべてに盗聴行為を手配して、盗聴内容を薄に報告していた。
薄は中央警備局の李潤田副局長(温家宝の警備長も務めた)を買収した疑いもある。4月5日、李潤田は「定年退職」した。
薄は左派を大金で買収し、彼本人といわゆる「重慶モデル」を宣伝させた。例えば、北京大学の孔慶東教授は、重慶市から100万元(約1200万円)の「課題費」を受け取ったことを認めた。左派の大御所であり、『虚無の故郷』の創始者の一人、中国政法大学の楊帆教授は薄を裏切って、その他の左派人物と紛争を起こしたほか、重慶市が左派をサポートした状況を公表するよう求めた。