文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年5月20日】私の周りの修煉者で、普段、修煉をとても精進しているように見えますが、一旦洗脳班や労働教養所に連行され、暫く監禁されて釈放されると、まったく別人のようになる同修がいて、これは大法への破壊の作用が大きいのです。これらの人は往々にして、よどみなく喋り、疲れることなく大法の仕事ができ、同修からお金をいっぱい受け取って使い、同修間での交流も活発です。一言で言えば、とても精進しているように見えます。彼はまるで自分を佛のように表現していますが、本当はそこまで修煉して到達したわけではありません。
これらの有名人(同修間で)は、決して一夜のうちに転向したわけではありません。それでは、大法弟子として、如何にその修煉の真偽を見分けて、同じような現象が自己の身に起こらないようにできるでしょうか。私に言わせれば、表面上どんな姿を表しても関係なく、肝心なのは、その同修が話したことが、自分の本当の修煉体験や、迫害に反対して衆生を救う過程を通して悟った理であり、その法理が師父の大法の理に合っているかどうかなのです。もし、その人の話したことが自分の実際の修煉の体験でなければ、どんなに上手に喋っても、結局砂上の楼閣に過ぎず、風雨に耐えることはできません。『金佛』の文の中での2人の修煉者と同じで、まったく違う結果になるのです。