文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年5月21日】私は1996年から修煉を始めた古い大法弟子です。修煉の過程でどれほどの苦難に遭遇したかにかかわらず、私は現在、大法の中で修煉し、とても幸せだと心から思っています。私が修煉しているのは宇宙大法であり、私の生命は日毎、時時刻刻に、まばゆいばかりに美しく輝き、すべてが変化しているからです。
私は真に神へ向かう修煉の道で、人を救い済度することを常に念頭におき、心を修める中で向上し、そして、次第に宇宙の特性に近づき、大法に圓容し、圓満成就します。私が転び、落ち込むたびに、慈悲で偉大なる師父は、さまざまな方法で落胆しないように励まし、継続して邁進するように、私を悟らせてくだいました。以下は、大法への迫害が開始された1999年7月を境に二部に分け、私が体験し、認識したことをまとめてみたいと思います。
私はある患者さんを通して、大法との縁を結びました。当時、私は医大を卒業したばかりの医師で、他の多くの大法弟子と同じく、常に人生の真諦を追求し、さまざまな功法の中から探していました。ついに大法と縁が結ばれ、心からの喜びと感動は言葉で言い現すことができません。この誘惑に満ちた俗世の中で修煉していますが、職場で、あるいは日常生活の中でどんな魔難に遭っても、自分は一人の修煉者であると考え、トラブルで恨んだり、つらく思ったりすることから、次第に平然として動じなくなりました。他の人たちがお金儲けに忙しい時、私は修煉で忙しい状態でした。
私は周囲の同僚や患者に、大法は病気治療と健康保持だけでなく、心も清らかになり、素晴らしいと話し、法を伝えました。その後、同修の夫婦の紹介で私は結婚し、妻もすぐに大法の修煉を始めました。私たちは大法の中で毎日学法し、煉功し、法を広め、生活も仕事も楽しく充実していました。
私はとても早くから法を暗記する習慣を養い、毎日10ページくらい暗誦していました。大法はすでに私の心の中に根を下ろし、トラブルに遭遇しても比較的冷静でした。お金を落としても、自転車を失くしても、これは前世で作った借りであると考え、心は動じませんでした。仕事の中でも、他の人のことを多く考え、積極的に仕事に臨んでいました。以前、私は積極的に患者さんに応急治療していましたが、逆に上司から、私が利益のために他の医師の患者を横取りしたと誤解され、他の同僚さえ私にかわって義憤を抱いていましたが、私は一笑に付し、何も言い返しませんでした。
他の人たちが医師の役職を利用して名利を図っていた時、私は謝礼金も断り、もらった手数料は寄付したりしました。人は私たち夫婦を馬鹿だと思っているようでしたが、私たちは自分たちこそ一番智慧があると分かっていました。妻は妊娠中も、学法と煉功を怠りませんでした。私たちは個人修煉の段階で、同修たちと忘れられない歳月を過ごしました。今もその時々のシーンが目の前に現れ、私のもっとも貴重な財産となっています。
1999年7.20、中共(中国共産党)の法輪功への迫害が始まってから、私たちは手紙、FAXを当局に送りました。地元の公安局は私たちの煉功点に来て、人数を調べ、煉功をしたら逮捕すると脅しました。しかし真に法を得た生命の誰が大法を諦めるでしょうか? 7月20日の後、私たちは省政府に陳情に行き、みなは道路の両側に静かに立っていましたが、中共の警察は完全武装し、私たちを待っていました。その法を正すための浩然とした正気は天地を感動させ、多くの修煉者たちは涙を流していました。その後、修煉者たちは各地から来た警官に地元に連れ戻され、それ以降、苦難に満ちた日々が始まりました。
(続く)