文/遼寧省の大法弟子 小宇
【明慧日本2012年5月21日】
二、『九評』を広く配る
『九評』が発表された後、私は1回もちゃんと読み終えていませんでした。「これは政治に参与するのではないか」と心配して、『九評』を常人に配ることが気になり、恐れる心もありました。ある日、家に置いてある本の中にたくさんのアリがいる夢を見ました。目が覚めてから、私は長年、中国共産党の政府機関に勤めており、学校で受けた教育、大学での専攻が「共産党政治」だったことなど、仕事の中で頭に入れられたものも党文化ばかりで、党文化に深く毒害されていることを、師父は夢を通じて私に教えているのではないかと思いました。そこで、私は発正念をして頭の中の党文化を除去して、家の環境をも整理して、党文化を帯びた書籍と雑誌を全部処分しました。また学法と『転法輪』の暗記を強化して、何回も何回も『九評』を読んで理解を深めました。
師父の経文・『世間に向かって輪を回す』が発表された後、法を正すことは新たな段階に入り、その経文は大法弟子にとって衆生済度をする時のガイドだと私は感じました。その中で師父は、「実は、師父は法を正す中で全ての衆生を救い済度しており、善なものばかりでなく、当然悪のものも含んでいます。私はいつも言っていますが、法を正す中、私はすべての衆生の以前の過ちにこだわっておらず、法を正す中での衆生の大法に対する態度しか見ていません」とおっしゃいました。師を助けて法を正す道はどのように歩めば良いのでしょうか?
ある日、私は『政治に参与しているのではない』という経文を学んで、「実は共産邪霊を暴露することは人を指しているのではありません。『九評』は邪悪に毒害されたすべての衆生を救うためであり、中に中共悪党の党員と中共の最高指導機関の人、および一般の民衆が含まれています。その目的は、中共悪党の背後にある要素がどういうものなのかを各界の衆生にはっきりと認識してもらうためです。」を読んだ時、どのように師を助けて法を正し、どのように衆生を救い済度するかが、心の中で豁然と分かりました、ただ師父のおっしゃった通りにすれば良いのです!
それから、私は現地の同修と昼夜を問わず活動して、いろいろな方法で市内から農村部まで、大量に『九評』を配りました。最初、恐れる心が全然ないとは言えませんでした。ある日の夜中、同修はできたばかりの3千冊の『九評』を我が家に運んできました。こんな夜中に、これほど大量の本をどこに置けば良いのですかと、私はとても焦っていました。夫は「師父のご加護があれば、どこに置いても良いのでは」と言いました。彼の言葉は私にヒントを頂きました。そうですね、師父の写真の前に置いたら最も安全ではないでしょうか。そこで、私と夫は3千冊の『九評』をきれいに師父の写真の前に並べて、上を布で覆いました。
翌日、3千冊の『九評』をまだ配っていないのに、現地の公安局は大法弟子の家を捜査し始めました。夜になると、すでに5名の大法弟子の家を捜査したと聞きました。彼らが我が家に向かって、もうすぐ到着しようとした時に、車が事故を起こして捜査はやむなく中止になりました。このように、師父のご加護のもとで、我が家で保管している3千冊の『九評』は被害を受けずに無事でした。
ある冬の夜、私は一人で郊外の村に行き『九評』と『私たちが未来を教える』DVDを配りました。村の最後の家に着いた時、ちょうどかばんの中には1セットの資料しか残っておらず、数量がぴったり合いました。あまりに具合が良くて、私に歓喜心が生じました。その時、私は突然氷の上で滑って転がりました。これは歓喜心が魔に隙に乗じられたのだと分かったので、すぐ発正念をして歓喜心を除去しました。
深夜で、周囲は真っ暗でした。帰り道に墓地を通らなければならず、その墓地には私の知り合いも葬られています。そう思うと目の前に彼らの顔が浮んできて、私はぞっとして冷や汗をかきました。どうしよう、助けがほしいと思いましたが、周りには人影もありませんでした。私は勇気を出して前に進み、『論語』と『洪吟』を大きな声を出して吟じました。そうすると、師父が常にそばにいるのに、私は何を恐れているのかと思い、落ち着きました。その時、右前方の空に法輪、いろんな神様の姿、花を撒く天女の姿が現れて、後ろを見てみると、左後方の空にも同じ奇異な光景が現れました。一瞬、怖がる気持ち、疲れ、寒さが一気に飛ばされて、私は感動の涙を流しました。これは師父が贈って下さった励ましなので、私は修煉の神聖さを実感しました。
ある冬の夜、私は郊外の農場の住宅地に行って、『九評』と真相資料を配りました。その住宅地は比較的辺鄙なところで、そこの人々は真相資料を見る機会が少ないのです。行く時に少し曇っていて、そこに着いたら雪が降り始めました。資料を配り終えたら深夜になりました。自転車の鍵を開けようとした時、ポケットに入れた鍵がないのに気付きました。その時、地面にすでに15センチくらいの雪が積もっていて、こんな真っ暗な夜中に、どこで鍵を探すのでしょうか? 私がここに長時間とどまると、住民に通報される危険もあります。恐れる心が生じた私はすぐ発正念をして、師父に助けをお願いしました。突然、私は「世界中で最も正しい事をしているので何を恐れるのか! 師父はきっと助けてくださる」と思いつきました。前方を見てみると、2メートル先の地面に豆電球のような黄色い光りが現れて、自転車の鍵はきっとそこにあると私はピンときました。そこに行って手で積雪をかき分けると、なんとそこにあったのは自転車の鍵ではありませんか! 師父への感謝の気持ちで胸がいっぱいで、涙で目の前がぼんやりかすみました。
ある初春の夜、私と2人の同修は自転車に多くの真相資料を載せて、辺鄙な山岳地帯に行きました。真っ暗な中で私たちはいくつかの村を訪ねて、明け方まで一生懸命配ったのですが、資料はまだたくさん残っています。春の冷え込みで肌寒く、汗で3人の下着はずぶぬれになりました。どうしましょうか? 3人は一緒に『洪吟二』の「征」を大きな声で吟じました、「万里馳駆して妖陣を破る、黒手を斬り尽くして悪神を除く 大霧にせよ狂風舞うにせよ 一路の山雨征塵を洗う」師父の詩句で自分自身を励まし、私は体が大きくて高くなった感じがして、疲れも一掃して、引き続き無くなるまで資料を配りました。帰り道、気候が原因で路面はぬかるんでいて、ところどころ、30センチほどの深い車の轍が見えました。しかし明け方の薄暗い中で、自転車に乗った3人は1回も転びませんでした。3人は「まるで平らな道で乗っているようだ」、「奇跡だね」と感無量でした。
またある日、私は遠いところに真相資料を取りに行きました。帰り道、突然どしゃ降りになりました。その時、私は一重の服しか身にまとっておらず、かばんの中の資料を覆う雨具を持っていませんでした。私は心の中で「師父、私は濡れてもかまいませんが、くれぐれも資料が濡れないように」と呟いて、大雨の中、自転車に乗って家へ急ぎました。家に着いた時、全身から水がポタポタ滴った私が、かばんを開けて見ますと、なんと大法資料は少しも濡れていませんでした! 一瞬、雨水、汗、涙が一斉に顔から流れて、家で私を待っていた同修も感動の涙を流しました。
『九評』を広く配る中で、私は衆生を救い済度することをより深く理解できました。大法弟子として、法を正す時期にこの世に下りて、師に従って衆生を救う約束をしたことを理解できました。私は真相を伝えることと「三退」を勧めることを日常生活の中に組み入れて、どんな時でもそれを念頭に入れて積極的にやっていました。
(続く)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)