――千万年の機縁を逃さないでください
文/河南省の大法弟子
【明慧日本2012年5月22日】私は長女と共に学法や煉功をし、真相資料を作っていました。娘の家に来た当初は背中も曲がっていて、顔色も悪かったのですが、大量の学法と煉功を通じ、思想にも身体にも大きな変化が現れました。今年に入って、近所の人が私を見かけるたびに「去年と比べて体もよくなり、大きく変わったね」と言われました。娘の励ましの下、私は思想業を克服し、新たに『転法輪』を暗唱し、法に対する更なる悟りを得ました。そして、心を修めることを知り、以前なら、耳障りな話や、目障りなことがあるとすぐに怒り、他人と言い争ったり、他人を恨んだりしていましたが、学法と同修からの注意を通じ、これは「闘争心」と我慢できないという「執着心」であり、修めなければならない「人心」であると悟りました。
義理の姉は世話をしてくれる人がいないため娘と一緒に住んでいます。彼女は90代の高齢者で、頭がはっきりせず、口うるさく、人に指図するのが好きで、時には罵ったり、交流しに家に来た修煉者にまで聞き苦しい話をします。私は彼女の事が嫌いで、自分の修煉の妨げになると考えると、彼女と一緒にいたくなく、口調もよくありませんでした。本当は彼女はとても正直で、善良な人で、若いころは経済上、よく私たちを助けてくれました。しかし、今一緒に住んでいるとどこか居心地が悪いのです。ある時、親戚が私を見舞いに来てくれました。そこで一緒に食事をしたあと、私は彼女に果物を少し持っていかせました。彼女たちが出て行った直後、義理の姉は不機嫌になり、箸を投げ捨て、大声で「食べるだけでなく、物まで持っていくなんて、とんでもない人だ!」と騒ぎ出しました。彼女のこの言葉を聞いた私はすぐに怒り出しました。実はあの時、師父が私に精進させるためにわざとそうさせたことを私は悟れず、いつまでも心にとどめて精進できず、恨む心や闘争心まで現れました。
ことわざによると「傍目八目(おかめはちもく)」(事の当事者よりも、第三者のほうが情勢や利害得失などを正しく判断できること)と言います。私が悟らないのを見た娘は「彼女は常人で、あなたを精進させるために師父が按配されたのです」と注意してくれました。その時は、学法をしても自分の行動を法と照らし合わせることをせず、己を修める事もしませんでした。それでも悟らない私は、娘に「彼女のような精神病患者が精進させてくれるなんて・・要りません」と言ってしまいました。自分の意見に固執し、娘の説得も聞かず、精進する機会を失いました。他人をよく見ない心理や、邪魔された私心を恐れる心理は執着心です。褒め言葉だけを聞いて、修められるはずがあるでしょうか? 同修からも「あなたの修煉の環境がうらやましいです。娘は注意してくれるし、親戚は精進のきっかけを作ってくれる。大切にすべきですよ」と言われます。
今年の夏、河南省にいる次女が長女に電話を掛けてきました。次女は「母は他人の家に行くことを好まず、他人と接触するのも好まない。誰の家にも行かない母が、あなたのところで2年間近く住んでいて、家に帰ることすら口にしないのはなぜ?」と言いました。次女はまだ迷いの中にいて、修煉して元の場所に帰ることは、私が千万年待ち続けてきたことなど彼女は知る由もありません。何世もの輪廻を繰り返してきたのは、師父が法を広められるこの日を待ち続けてきたのです。
また、私は集団学法に参加し、修煉者たちが精進しているのを見て、深く感動しました。以前は集団学法の時、居眠りをしていましたが、後になると少しも眠くありませんでした。同修と共に学法や発正念をします。私が真剣に修煉を始めるのを見た旧勢力は私を離そうとせず、何日か前に次女と息子から電話があり、義理の姉の名義(無料)で、また私をCT検査につれて行くとのことでした。自分でも、検査を受けることは大法を正すためでもあるので、間違ってはいないという良くない観念が現れました。今考えてみると、この考えは旧勢力に合わせてしまっているのです。昨夜、長女は夢を見ました。夢の中で師父は私がまだすべてを悟っていないということを教えてくださいました。なぜなら、夢の中で私は静脈注射を打っていて、肩には自分で刺したいくつもの針の穴があり、それでも血管を見つけることができず、私はそれでも悟らずに血管の中に針を刺そうとしています。そして長女も私の手を支えてくれていました。何日か前に次女と息子は、長女に「私をCT検査を受けに連れて行ってほしい」と電話を掛けました。長女は私の意見を尊重し「私が行きたければ連れて行く」と言いました。
修煉はとても厳粛なことなのです。「物事の善し悪しは人間の一念によるものである(『転法輪』)第四講(心性を向上させる)」 旧勢力に捕らえられて迫害され、私の身に業を加えさせるわけにはいきません。私はもっと多く学法し、法を暗唱し、同修たちと交流し、メンツを重んじる心理を無くしてこそ、全面的に旧勢力を否定することができ、師父が按配してくださった道を歩んで行けるのです。師父の慈悲で、私を曲がった道から天国世界へ通じる道に引き戻してくださったのです。私は師父に感謝し、これからは師父のお話を聞いて、修煉者としての基準で自分を厳しく律し、もっと精進して、しっかり自分を修め、師父に恩返しをしたいと思っています。
修煉の道中で不思議なことに出会ったことがあります。ある日、私はお金を取りに銀行に行きました。昼休みのため人は少なかったのですが、突然3人の若者が入ってきて、お金を下ろすわけでも預けるわけでもなく、あちこちを見まわしていました。私は大金を下ろすつもりなので、内心では少し怖くなり、心の中で「法輪大法は素晴らしい、師父、どうか私を見守っていてください」と言いました。私の番になり、若者たちを見てみると、すでにいませんでした。この時ようやくほっとした私は、お金を下ろして無事に家に帰りました。師父が守ってくださったのです。
時間の関係でここまでにします。実は、去年の明慧ネットで法会が開かれたとき、師父は、私に原稿を書くようにと長女と同修に私を悟らせようとなさいましたが、娘は私を悟らせることができず、また私も原稿を書こうとせず、めったにない盛会を見逃してしまいました。来年は自発的に原稿を書き、私の修煉状況を師父にご報告したいと思っています。
(完)
(明慧ネット第七回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)