文/吉林省の大法弟子 水袖
【明慧日本2012年5月25日】慈悲で偉大な師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
師父と大法がなければ、私がどのようにして今日まで歩み、修煉過程の関の一つ一つを乗り越えて来られたか、想像も出来ません。その過程において、私は大法に包まれる神聖さ、執着心を取り除いた後に感じた修煉の玄妙さ、人を救った後の喜びを感じ、自分の修煉過程の随所には、師父の苦心の按排が染み込んでいます。
小さい頃から、私はよく夜空を見上げ、月には本当に天女と玉兔がいるのか、天上には本当に仙人がいるのかと見上げたり、物乞いを見かけると、彼はもしかして人を済度しに来ているのかもしれないと思ったりしました。また、テレビドラマの「八仙人海を渡る」を見ると、私は彼らがうらやましくてならず、自分も修煉して仙人になれるなら、どんな苦労にも耐えられると思いました。私が常に思っていたのは、自分には前世があったのか、自分は一体誰なのかということです。私は知らずしらずのうちに何かを待ち望んでいたのでした。
1996年、ついに私は大法に出会いました。しかしあまりにも常人の中に深く迷い込んだ私は、折角の機縁を大事にしませんでした。当時の私は典型的な中士で、妊娠し、出産を控えていましたが、本を読まず煉功もせず、常人とあまり違いがありませんでした。しかし慈悲深い師父は色々な形で私を悟らせようとなさいました。学法が少ない為、私は修煉が悟りを開かせることだと知りつつ、常人のものを放下できませんでした。子供が生まれて50日ほど経った頃のある日、子供がいきなり高熱を出して、痙攣を起こし、しかも数時間に1回の頻度で益々状況が悪化してきました。生命の危機にさらされている子供を見て、私は慌てふためき、なぜかこの時私は突然『転法輪』の中の一節を思い出しました。
「常人であれば、その人がいつ病気になり、いつ面倒な事に巻き込まれ、いつ精神病にかかり、あるいは死んでしまうかは、みな定められています。常人の一生はそんなものです」本を多く読まなかった私も、この話だけははっきりと思い出し、突然分かりました。人生の無常と常人としての苦しみを感じた私は、自分に「私は常人としてではなく、これから修煉者として生きていきたい」と思いました。それから、私は再び大法の本を読み始め、その後、どんな挫折や迫害があっても私の決意は揺らぎませんでした。
間もなく、私は大法の暗記を始め、毎日歩いている時、坐っている時、仕事をしている時、そして子供を抱っこしながら法を暗記し続けました。『転法輪』の暗記を終え、私は師父の経文も暗記し、毎日大法に浸って、絶えず新しい法理が分かり、法の奥深さ、師父の慈悲と偉大さを感じ、法を暗記しながら感動の涙を流す日も多くありました。私は毎日大法に浸り、強大なエネルギーに包まれ、体の最も奥から一層一層と大きな変化が起きているのを実感しました。私は物静かで、穏やかで、慈悲に満たされ、迅速に法に同化されていくのを感じました。その時の自分は本当に毎日飛んでいるように精進していたと思います。堅実な学法によって、私は魔難の一つ一つを着実に乗り越え、長年、法の暗記も続けてきました。
(一)良い家庭環境を保つ
私の記憶では、99年の迫害が始まって間もない頃、多くの人は如何によい家庭環境を保つかについてよく分かりませんでした。法を実証する為に外に出ると、自分が迫害される上に家族も傷つけられ、家族との不和で必然的に良い家庭環境が壊れてしまいます。しかし、外に出なければ、迫害は受けないものの、真の大法弟子なら、法が傷つけられている時に、家にいてもじっとしていられないはずです。私は何回も夫との間のこのような摩擦を経験し、最終的に家での良い修煉環境を作り出しました。
迫害により、私が外での放浪を余儀なくされた時、夫に離婚を要求されました。彼はどうしても先の見えない迫害に耐えられないと言いました。当時の私は、修煉がまだ不十分で、常人の情を放下しておらず、幼な子を見て、自身の生活の不安定と、夫が私から離れようとするのを見て、私は初めて修煉の難しさを知りました。私は自身の執着を見つけ、人心よりも自分の使命に重きを置いたとき、全ての難問が一気に解決されました。
迫害の前、修煉して間もない私は、あまり内に向けて探すことを知らず、夫との間で問題が起きたら、ただひたすら忍び、そうするうちに彼は、私の忍耐を弱腰だと思うようになりました。迫害後、邪悪の巣窟の中にいる私がどんな事をされても妥協しないのを見て、彼は私に対する認識を改めました。
また、日常生活におけるトラブルに対しても、私は良く対処するように頑張っています。ある日、彼が酒に酔って私を殴りました。私は内に向けて探し、自分の問題を見つけました。それは、私が彼の立場に立って彼の為に考えておらず、彼を見下し、彼に対する慈悲と善がなかったからでした。法によって私たち修煉者は知ったのですが、常人との間にトラブルがあったときは、百パーセント自分が間違っています。彼に殴られたにも関わらず、翌日私は積極的に彼に声を掛け、自分が良く出来ていないために彼を怒らせてしまったと、誠意を持って認めました。誰が見ても彼に非があるのに、私からの謝罪を受けて、彼は言葉がなく、今にもこぼれそうな涙を耐えていました。
しかし、数回の迫害を間接的に経験した彼は、恐怖心を抱き、私が再び迫害されるのではないかといつも戦々恐々とし、どうしても私が真相を伝える為に外出することを阻止しようとしました。邪党の毒害を受け、彼はいつも私が三退を勧める行為を政治に関与していると言いました。
私は『共産党についての九つの論評』を彼の目につきやすいところに置き、「九評」、「風雨天地行」、「漫談党文化」などのCDを彼に見せました。最初、彼は見ようとしませんでしたが、時間が経つにつれて、彼も知らずしらずのうちに色々な真相を知るようになり、私の説明を聞いて、徐々に邪党文化の毒害から抜けていきました。彼は煙草を吸う回数が減っていき、独り言で「最近何故か煙草を吸いたくなくなったね。もしかして、あなたが見せてくれたものの影響だろうか?」と言いました。私は「勿論そうですよ」と答えました。
私は常に正念を持って彼を導き、このような話をしました。「師父が誹謗中傷され、多くの同修が迫害を受け、更に多くの衆生が嘘偽りに騙されているのに、私は1人の大法弟子として家にじっといてもいいのですか? そんな私を見て、貴方は私を尊敬する気になりますか? もしあなたの友達が難に遭い、あなたが彼を助けず、水に溺れている人を見ても助けようとしないあなたは、良い人だと思われますか?」と言うと、彼は黙り込んでしまいました。
私が心をこめて発した言葉は、きっと彼を感動させたと思いました。当時、同修が私に連絡をする度に夫は怒り、時に私は、にっちもさっちもいかない状況に立たされました。私は彼に密勒日巴(ミラレパ)佛の物語を話し、密勒日巴佛に対し、2人の猟人が違う態度をとったことによって、それぞれ善報と悪報を得た事も話しました。また、昔は僧侶に一口のご飯を与えるだけで報われたことの言い伝えを彼に教え、大法弟子に優しく接してあげれば善報に報われる事を教えました。それから、彼は私と言い争ったりしなくなり、私は彼が徐々に変わっている事が分かりました。
その後、私が忙しい時、彼は私に代わって「明慧週刊」の配達に出かけたり、早朝の煉功を怠けてしまった私に、「今日は何故煉功しないの?」と問いかけたりしました。また、発正念の時間になったら、「時間だよ」と注意してくれたりします。私が真相を伝える際、相手が誰であろうと、彼がその場にいれば必ず私に協力し、相手に三退の話題を提起してくれるか、または肝心な時に「脱退しましょうよ。私たち皆が脱退しましたよ」と一言補充してくれます。私は夫の変化に、そして衆生の目覚めに感動しました。
師父はおっしゃいました。「多くの学習者は煉功と法の勉強だけが修煉だと知っています。そうですが、これは直接、法に接触している部分です。着実に自分を修めるとき、あなたが接触している社会はつまり、あなたの修煉環境なのです。あなたが接触する職場の環境、家庭の環境はいずれも、あなたの修煉環境であり、あなたが歩まなければならない道であり、必ず対処し、しかも正しく対処しなければならないことで、どのこともいい加減にしてはいけません」(『二〇〇六年カナダ法会での説法』)普段、家族に真相をはっきりと伝え、そして自分に厳しく要求し、良い妻でありながら良い母でもあり、そして何よりも歴史的使命を背負う大法弟子として、周りに大法弟子の良い姿を見せる事で、よい家庭環境を保持することができると思います。
(二)恐れる心を取り除く
一時期、私は恐れる心が強く、迫害を受けた数年間、何回か連行される危険にも直面し、心の中に大きな影が出来てしまいました。最も記憶に残っているのは、一度、街灯のない暗闇の中で真相を伝えた際、突然眩しい車のライトに照らされて、私たちは待ち伏せしていた警察に発見されました。その後、無事にその場から逃れたものの、長い間、私は怖くて何もできず、真相を伝えに外に出てもびくびくして、車が通る度、車のライトに照らされる度に、私は怖くてなりませんでした。その後の学法を通じて、私は正念を少し強めましたが、外で真相を伝える際は、やはり安心出来ませんでした。
ある日、数人の協調人が一緒に市内の拘置所や刑務所付近で横断幕を張りに行くことを決め、私も誘われました。正直、行きたくなかったのですが、渋々承諾しました。家に戻ってから私は、ずっと不安でいっぱいでした。そこが危険すぎると思う一方で、迫害を認めてはならないと思うし、そこが逃げにくい場所だと思う一方で、私たちは最も正しい事をしていて、誰にも邪魔されないとも思ったりして、暫くの間、私は人心と神の念の間で行ったり来たりしました。それから学法しようとMP4プレーヤー(訳者注:動画再生機能付きのポータブルオーディオプレーヤー)をつけると、『師恩への賛美』のビデオが目に入りました。「変わらぬ誓いが耳元で漂い、神聖な誓いが心の底に残っている。私たちは衆生の為に世に下り、法を正す師を手伝えるなら、どんな苦難も耐え抜いていける・・・」私は涙をこらえる事ができませんでした。
この最も肝心な時期に、私は衆生と自分の責任を忘れ、自分自身の安否などを気にして、師父の慈悲なる済度に応えておらず、恥ずかしくてなりませんでした。私は皆と一緒に横断幕を張りに行き、そして必ず成功して帰ってくると決心しました。
その夜、私たちは一緒に発正念をしてから出発しました。目的地に着いてから、私たちはスムーズに刑務所と拘置所付近に数十枚の横断幕を張り、途中、何の邪魔もありませんでした。私たちは無事に帰宅し、その後、発正念をしていた同修の話によると、数日後も、それらの横断幕は依然と掲げられていました。
実際、恐れる心があるのは旧勢力の迫害を根本から否定していない証拠であり、思想と意識が旧勢力の按排した道を歩んでいる事でもあります。本当に自我を放下し、そこを突破した時、恐れを引き起こす物質も消えてしまいます。師父は『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」の中でこうおっしゃいました。「恐れる心がなくなれば、あなたを恐れさせる要素も存在しなくなります。これは強いて行なうことではなく、本当に平然と放下することによって達することです」
(三)明慧ネットが私の精進を促してくれる
修煉において、私はコンピューターを操作することなどを考えた事もなく、これらは技術の分かる同修達がすればよく、自分はただ師父の要求通りに三つの事を実行し、真相を多く伝え、資料を多く配れば充分だと思っていました。しかし、コンピューターを入手してからは、それが私の修煉において必要不可欠なものとなり、私の精進を促し、私が衆生を救うことを手伝ってくれる法器となりました。
私は明慧ネットの隅々まで、自分にとって活用出来るものを探し、明慧ネットはまるで宝箱のように私に聞くもの、見るもの、技術的な情報などを提供してくれます。初めて明慧ネットを利用する際、私は師父の写真を目にし、同修達の交流文章を読み、心の中で抑えきれない感動を覚えました。それから、明慧ネットは私の生命の一部となり、毎日、まるで全世界の大法弟子と融合しているように感じ、用事で数日間明慧を見られないときは、まるで家に帰っていない感じがしました。
特に、明慧ラジオの番組は素晴らしいです。私は毎回の「空中明慧週刊」、大法弟子のネットでの交流会、そして技術コラムなどの番組をダウンロードし、時間を節約する為に、家事をしながら聞きました。同修の優しくて穏やかな口調が大法の音楽と一体となり、また同修達の交流文章を聞いて、私は度々感動し、自分の不足を探しだし、毎回、自分1人で小さな法会を開いているような感じでした。時には、知らずしらずのうちに顔一面に涙を流しました。それから、私は更に精進するようになりました。
(四)携帯電話で真相を伝える
明慧ネットでよく、同修達の「携帯電話で真相を伝える」に関する交流文章を読むので、私も試してみようと思いました。修煉するにつれて、この方法での真相を伝える意欲が益々強くなると同時に、周りにこの方法を知っている同修が少ない事に気づき、もし自分が出来れば、周辺の同修に教え、一緒に出来るのではないかと思いました。私はこの考えを1人の同修に話したところ、その同修はすぐに私の手元に「メッセージのグループ発信の実用技術マニュアル」という本を届けてくれました。最初の頃、私はじっくり読んでその内容を理解出来ましたが、ハードウェアに関する説明部分に差し掛かった時、私はその専門用語だらけの説明内容に茫然としてしまいました。聞ける人もなく、当時、ソフトウェアとは何か、ハードウェアとは何か、また、これらのものは何に使われるのかなどさっぱり分からず、そのマニュアルを見る気を失い、途中で諦めてしまいました。
暫くして、どうしても気になって再びその冊子を取りだしてみると、なんと読めるようになりました。多分、師父が私の願いを知り、助けて下さったのだと思います。少し難しかったですが、大体の内容を理解出来ました。私は冊子に紹介された方法で携帯電話を購入し、操作を始めました。途中、難関もありましたが、師父の加持により、私は設定を無事に完了させ、心性の向上も沢山経験しました。
初めてのメッセージ発信の経験を思い出すと、本当に未熟で、笑われるようなものでした。その日の朝、私は市場を回りながら、60通のメッセージを発信し、午前中に更に50通のメッセージを無事発信しました。午後、私は喜んで引き続きメッセージを送信しようとしたところ、一通も成功せず、番号を変えたり、カードを変えたりしても駄目でした。送信回数が多すぎたので、少し減らすべきだと思い、今回は20通のメッセージを発しても、送信できませんでした。私は落ち着いて内に向けて探し、気づいたのは、問題に遭った際、私の第一念は常人の念であって、神の念でなく、成功したら興奮し、失敗したら落ち込んだりしました。これは師父がおっしゃっていた、羅漢にまで修めたら歓喜心により落ちて、再び羅漢にまで修めたら今度は恐れる心で落ちて来たその人と何が違うでしょうか。私の歓喜心、顕示心、自分を実証する心が全部現れました。実際、メッセージを発信する過程は修める過程でもあります。
一時期、メッセージ発信の封鎖がひどく、一つのプリペイドカードで、少ししかメッセージを発信してないうちに封鎖されてしまいました。私はネットで同修達の意見交流を呼びかけ、1人の同修から「技術を改善する以外に、私たちは他の方法も出来るでしょう」という返信が来ました、技術問題のほかに、私たちは自分の心性の問題を探したでしょうか? そして、なぜ師父に与えられた神通を使わないのでしょうか? 実際、メッセージの発信により人を救う以外に、この事を実行する過程で自分を修めることも非常に重要です。徐々に私は心の持ち方を変え、経験を多く積むことによって、より多くのメッセージをスムーズに発信できるようになりました。
私は違う人に違う内容のメッセージを送るようにしています。例えば、当地の迫害に直接関わっている人、そしてその人の家族、親戚、同僚及び彼らの友だちに同じ内容のメッセージを流します。そこには、×××が直接どのような迫害に関わっているのか、迫害は非合法で、文化大革命の時代に迫害に関わった人たちの結果などの内容を盛り込み、最後に、大法が世界中で広がっている盛況を一言で伝え、善の心を込めて簡潔な言葉で状況を説明します。また、心を改めず、ずっと迫害に参与している人たちには、各地で悪事を働いた人達の受けた報いの事例を集め、私は彼らによく発信します。毎日、最後にメッセージを送った人の番号を控え、翌日に続けて発信しています。実際、人々は段々と目覚めるようになり、録音メッセージを最後まで聞く人もいれば、私との通話後、電話を切ろうとしない人さえいます。
時には、街を歩き、往来する人々を見て、私は電話やメッセージ発信をしながら涙を流しました。心の奥から衆生に呼びかけます。衆生よ、目覚めてくださいと。
法理から私たちはわかるように、真相を伝える過程は邪悪を解体する過程であります。メッセージの一つ一つ、録音電話の1本1本が爆弾のように邪悪の嘘偽りを爆破させ、多くの公安や検察の職員たちは真相のメッセージや録音電話を受け、裏でこのように議論しているようです。「これらの大法弟子はすごいですね。これらの真相メッセージを見てみて」と言うのです。師父がおっしゃたように、「あなたの一言、一枚のチラシ、キーボードの一つのボタン、一本の電話、一通の手紙は皆大きな作用を働いています。真相が分かった生命は生きているマスコミであり、彼らも真相を伝えており、社会に大きな影響を及ぼしています」(『二〇〇三年米国中部法会での説法』)
携帯電話で真相を伝える方法は本当に良いのです。一度、私は子供の下校を迎えに行く途中、ある学生の親が録音電話を聞いて、「政府に反対している」と、彼女のこの一言が私に聞こえました。私はチャンスを逃さず彼女に更に詳細な真相を伝え、結果として、彼女と彼女の子供も自分たちが決めた名前で三退をしました。
一度、取引先の知人に真相を伝えたところ、私が多く話さないうちに、彼は既に真相の録音電話を聞いたと言い、すぐに快く三退を決めました。
私は収入が少なく、生活においても出来るだけ節約しています。師父は『オーストラリア法会へ』と『二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』の中で、「資源は限られていますが、全部あなたに浪費されてしまい、本当に人を救えるプロジェクトはかえってお金がないのです」とおっしゃいました。一度、収入の良い1人の同修が沢山のカードを購入し、私たちのような条件の良くない同修に渡してくれましたが、私は断りました。私には少ないものの、きちんとした収入があるので、これも立派な大法の資源です。大法弟子の収入は大法により与えられ、楽をするためのものでなく、人を救うためのものだと思います。
(続く)
(明慧ネット第七回大陸大法弟子修煉体験交流会)