文/中国の大法弟子 清心
【明慧日本2012年6月3日】 私は1996年に法輪大法の修煉を始めました。それ以来15年間、私はとても不思議で奇跡的な体験を度々しました。それらの奇跡はすべて師父の計り知れない慈悲による賜物であり、どんなに言葉を尽くしても感謝しきれません。書きたいことがたくさんありますが、ここで娘のことを紹介します。
娘は1986年に生まれました。娘は出生時、口元の右上に緑豆(リョクトウ)大の紅斑があり、生後満1カ月ごろ、少し大きくなり、やや膨れ上がってきました。診断により、それは海綿状血管腫だと分かりました。手術を受けて血管腫を切除しました。娘は術後2日目に意識が戻りましたが、顔に表情がなく、その後、脳の障害が現れるようになりました。記憶力も次第に衰退していきました。
小学校に通うようになっても、先生に何を教わったのか、娘は帰宅後、全て忘れてしまって、何も思い出せませんでした。漢字の発音(ピンイン)が全然覚えられず、勉強についていくことができません。先生は娘を見下し、クラスメートも娘をいじめ、私もいつも腹が立って、娘を殴っていました。
娘は記憶力が悪いので、私の考えで、7歳の時に記憶する必要のない美術を主として習い始めました。1996年、私は近所の人から『転法輪』をいただき、それからは法輪大法の修煉の道を歩み始めました。毎日10歳の娘を連れ、煉功場に行って集団煉功や学法をしていました。修煉を始めてしばらく経ちましたが、私は娘がどのようにしていてもあまり気にしませんでした。
娘の美術班が第2回の全国小学校美術大会に参加することになり、29省・市の十数万人が参加しました。夫と私は娘に1枚の作品を描かせ、出品させました。その結果、娘は3等賞を受賞し、銅メダルを獲得しました。そして、娘の名前が国家文化部文化芸術人材センターの人材バンクに入ることになりました。
その時、夫と私は初めて分かりました。大法は娘に知恵を与え、記憶を回復させたのです。その後、娘は大学に入り、大学で二つの学位証明書と二つの卒業証明書、高校の美術教師の免許を取得しました。大学で得るべき資格を全て得ることができました。さらに、英語4級の試験では、全学年で娘だけがその難関を突破し、合格しました。
現在、娘は美術の教師をしています。昨年、娘の生徒の中で40人が全国小中学生絵画・書道作品大会に参加し、1等賞、2等賞、3等賞をそれぞれ獲得しました。1等賞は全国で100人しかいませんでしたが、その中の3人が娘の生徒でした。娘も、国家教育部芸術教育絵画類指導教師の1等賞を受賞しました。
法輪大法がなければ、娘の今日の幸せもなく、現在の一切もありません。慈悲なる師父が娘を救ってくださり、娘に新しい生命を授けてくださいました。ここで、もう一度師父に感謝いたします。大法にご感謝いたします。
(明慧ネット「法輪大法が伝え出されて20周年記念」応募作品)