文/吉林省の大法弟子 水袖
【明慧日本2012年6月10日】
(五)真相資料を編集する中で自分の修煉の道を歩む
真相ビラの編集を担当してきた同修が迫害を受けた後、私は地元の真相ビラが少ないことに気づきました。たまにビラを見かけても、地方の迫害の情報以外に、重要な真相に関する情報はあまりありませんでした。私はこのプロジェクトに参加する意欲があっても、読み書きの能力が低く、文章力も乏しく、タイピングすらうまく出来ないことに悩んでいました。しかし真心さえあれば、大法は私たちに無限の智慧を与えてくれると信じています。
私は『天地行論壇』でワードの使用方法について質問し、同修はすぐにビラの文字組みの方法に関する電子マニュアルを送ってくれました。私は文字組みの作り方から学び、ビラ作りを始めました。ツールボックスの各ボタンの使い方が分からず、画像の形式も分からないので、せっかく編集した内容を消してしまったり、時には時間をかけて、もうすぐビラが完成する直前に、またもや編集内容を台無しにしてしまったこともありました。私は原因を探すために文字組みの電子マニュアルを何度も参照し、時にはパソコン画面の半分で真相資料を開き、もう半分に電子マニュアルを開いて作業しました。その間、私はよく夜中まで編集を行い、それから、2時間の煉功を終え、やっと床に就くころは大体、早朝の4時過ぎでした。
しばらくの練習と模索の後で、私の作った冊子やビラは完璧とは言えないものの、問題がない程度の出来栄えになりました。地元の市民に多くの真相を知ってもらうために、私は文章を書いて明慧に投稿すべきだと思いました。例えば、悪人の悪事を暴露する文章、善悪には報いがあるという文章、また、迫害を受けた同修達の迫害前後の心境の変化や、迫害の具体的内容を題材とする文章などで、市民に真相を伝えていくべきだと思いました。これらのことを実行することは、中卒の学歴レベルの私にとっては難題でした。師父は『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』の中でおっしゃいました。「皆さんが法を実証し、衆生を救い済度するという願いから行なうことは、私はすべて認めるのです。しかも、私の法身にしても、神にしても、あなたが行なってさえいれば、行なったことが更に偉大になり、更に素晴らしくなるようにあなたを助けます」人類の歴史は大法弟子が衆生を救い済度するために按排されたもので、私たちは常人の観念に阻まれてはなりません。私は毎晩、多くの時間を利用し、明慧の文章の一つ一つを注意深く読み、文章の書き方についての本も参照しました。私は常人の勉強は10年しかしていませんが、大法の中ではすでに十数年間、修めてきました。師父も私を見守ってくださり、大法弟子にできないことがあるのでしょうか?
私は文章を書いて明慧に投稿し、間もなくその文章が発表されました。明慧で編集された部分を私は詳細に調べ、そして、自分が作った文章の不足な点を見つけるように努めました。さらに最も重要なのは、自分の心性の不足を見つけることでした。徐々に、私が投稿した文章は、編集されることなく発表されるようになり、その後、迫害を暴露する文章だけでなく、交流文章も書くことができるようになりました。2回、私の文章が「明慧週刊」に掲載されたことがあります。私はこれが師父の激励であると思っています。
時には文章を書きながら、本当に師父によって加持されていると実感することがあります。一度、当地の国家保安局の責任者に手紙を書いた時、本来、タイピングが苦手な私なら、2晩はかかるはずの手紙を1晩もかからずに完成させました。「母の日」の前夜、私は「母」を題材にした文章を書こうと思い、その中に迫害の真相を書き、迫害を受けた同修達の母親の心情に訴えるものにしようと考えたのですが、どのように書くべきか悩んでいました。私は発正念をしながら、師父にご加持をお願いしました。迫害を受けた同修や、嘘偽りに騙されている常人のことを思いながら、一気に文章を書き上げました。家族(同修)はそれを見て感動し、涙を流しました。数日後、私の文章はいくつかの単語が修正されただけで、ほぼ原稿通りに掲載されました。この文章は本当に私が書いたと言えるのでしょうか? 私は大法が超常的であると感嘆すると同時に、自分に歓喜心を起こさないよう、全てが大法と師父により与えられたものだと言い聞かせています。
私は明慧で発表された文章を、当地の真相ビラや冊子にまとめて作りました。当地の国家安全局の責任者は、自分の悪事がネットで暴露された後、自身の悪行を少し改めるようになりました。その責任者は迫害を受けたある同修の家族に言いました。「明慧ネットに私に関する文章が掲載されました。私はそれほど悪くないですよ。誰か明慧ネットに声をかけて、その文章を削除してくれませんか?」地元の610弁公室のあるメンバー×××は、悪報を受けて癌を患い、さらに明慧で悪行が暴露された後、態度がかなり良くなり、悪事をあまり働かなくなったとある同修の家族が話していました。
様々な原因により、私はたいてい1人で修煉しています。複雑な環境による心性の摩擦やトラブルがなく、同修との接点も、メールでの簡単な交流または同修に頼まれて資料を整理するくらいです。一度、ある同修から私の仕事が他の人に引き継かれることになったというメーセージがあり、私はドキッとしました。その一瞬、自分の心が動じたことで、私は自分に名利心、自分を実証する心があることに気づきました。このメッセージがなければ、私にこのような汚い心がまだあることも知りませんでした。私はすぐに自分の心性を正し、いかにスムーズに仕事の引き継ぎが行えるかについて、その同修と交流し、文字組みの電子マニュアルも先方に転送しました。しばらくして、真相ビラが1回も出てこないので、協調人から引き続き私がこの仕事を担当するようにと言われました。実際、この一連の出来事は私の良くない心が取り除かれるよう、師父が巧妙に按排されたものだと思います。
私が深く認識していることは、大法の仕事をするのは目的でなく、大法を実証し、衆生を救うと同時に、自分をよく修めることが私の当初の願いです。仕事をいくら多くしても、それは自分の修煉にとって代わることは出来ず、法をよく学び、正念を発し、自分をよく修めてこそ、大法の仕事をする際に、その神聖さを保つことができるのだと思います。
編集を行う過程で、師父のご加持により私は徐々に成熟し、同時に、毎日全世界の大法弟子と一体になっている幸せも感じています。私は益々、この仕事の神聖さと誇りを認識し、真相資料の編集の過程で、自分の私心を取り除き、衆生を救い済度する善念を持って、この道程をより良く歩むよう精進したいと思います。
(続く)
(明慧ネット第7回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)