二十年説法
 

(李洪志、二〇一二年五月十三日 米国ニューヨーク)

 

 (全員起立し、熱烈な拍手。師父は何度も皆さんに着席を促される。)

 皆さん、こんにちは!(弟子の皆さん:師父、こんにちは!) 皆さん、ご苦労さまでした!(弟子の皆さん:師父、お疲れ様でした! 拍手) やはり私が立っているほうが皆さんははっきり見えます。(弟子の皆さんが拍手) 長い間皆さんと会っておらず、皆さんも私をはっきり見たいと思っているので、やはり立ちましょう。(弟子が笑って、拍手。師父は合掌で礼を返される)

 年に一度のニューヨーク法会にいつもたくさんの人が来ています。会場は限りがあるので、たくさんの人を収容できません。すでに彼ら(事務局)に伝えましたが、今後、法会のとき、体育館を探しましょう。(弟子が笑って、拍手)

 大変と言えば、皆さんは本当に大変です。法を正すというこれほど大きな出来事は、史上に前例のないことです。実は、歴史上、文化的な大きな出来事や異なる時期の修煉者、覚者が現した状態は、いずれも大法弟子のための参照であり、大法が広く伝わるための基礎です。言い換えれば、古から今まで、いずれもこのことのためです。もっとはっきり言えば、この五千年の中華民族の文明は直接、最後のこのことのために基礎を築いたのです。これほど大きな出来事なので、皆さんに考えてほしいのですが、この出来事は全宇宙の衆生が救われるかどうか、すべてがだめになったときにこのすべてを救えるかどうかのことに関わっています。宇宙で法を正すことが始まる前に、このことが成功できるかどうかは誰も確信を持っていません。当初、私がこのことを行なったとき、多くの神もこのように考えていたのです。神たちはいつも「ご成功を祈ります」と言っていました。その言葉に別のニュアンスがあります。今までこういうことはなかったと言ってくれた神もいました。それらにもこのことがどれほど難しいのかが分かっているのです。

 実は修煉の中で大法弟子が受けた迫害は宇宙が組み立て直される中、正と負の生命の激しい衝突の常人社会での現れなのです。つまり、邪悪が大法弟子に加えた迫害の恐ろしさ、大法弟子が正しい信念を持ち続け、迫害に反対する中で衆生を救い済度することは、巨大な宇宙で法を正す過程で世間に現れたわずかな現象だけです。実はこのことは非常に巨大で、言葉で言い表せないほど壮観なのです。宇宙は組み立て直されており、各空間で行われており、各空間でそれぞれの現れ方があります。新旧の衝突、善悪の衝突に衆生の各自の態度が現れ、人間の世はこの空間だけでの現れです。以前皆さんに話したことがありますが、大法弟子の修煉の出来具合は衆生を救い済度することの力を決めており、この世で協力して法を正すことの成否も決めています。実は各空間は法を正すことに協力しており、同時に行われ、法を正す進展の足並みはそろっているのです。人間は大法弟子のこの世での現れしか見ることができませんが、ほかの空間で現れた状態は異なっており、それは直接、生命の解体、生命の存亡、宇宙と天体の更新過程を現しており、人々を驚愕させています。人間だけが修煉できるので、大法弟子は大きな使命を背負っていても、人間が修煉しており、人間が行なっているため、絶対多数の人はこれが見えず、わずかな人だけが小さな範囲の出来事しか見ることができず、その人の状態で、人間という特殊な状態の中で邪悪の圧力を感じ取り、魔難の中で行うべきことを行うしかありません。

 歴史から見れば、これほど大きな出来事なら、どういう準備をすればいいのかを皆さん考えてみてください。実はすでに細かく按排されました。大法弟子一人ひとりがどのように自身の道を歩むのか、様々な状況に遭遇した際、どのように進み、どのように退くのか、そしてあるべきではない状態が現れたらどうするのかまで、非常に細かく按排されました。いずれにせよ、一人の生命にとって、自分で自身のことを決めなければなりません。修煉したいとか、手に入れたいとか、行いたいとか、行いたくないとか、ほしくないとか、いずれも自身で決めなければならず、そのため難しくなっています。一人の大法弟子が修煉が良くできているかどうか、先史の誓約を果たせるかどうかに関しても同じです。一人の常人にとって、大法弟子への迫害を前にして、国家のすべての機器を総動員して弾圧し、すべてのメディアが虚言をでっち上げ、大法と大法弟子を誹謗中傷している状況下で、人間だから、政府を信じるべきだと思っています。特に、中共邪党は従来から虚言をもって悪事を隠し、嘘偽りをもって「素晴らしい情勢」と偽の英雄人物を際立たせる邪悪政権であり、長期にわたる嘘と欺瞞の中、中国人は本当に真偽を見分けることができません。ほかの角度から言えば、旧勢力は宇宙がだめになり、人間もだめになったため、罪業の大きい人がこの迷いから、虚言から抜け出さなければならないと思っています。すべての人が邪党を助長したので、人間はそのすべての責任を負い、そのすべてに耐えなければなりません。抜け出したら、助かることになりますが、抜け出せなかったら、淘汰されます。実はこのすべては、この世でこれほど邪悪で恐怖のように見え、人々が大事件だと思っていますが、実はこれは宇宙で法を正す中の一つの小さな空間での現れに過ぎず、巨大な天体が組み立て直される中の小さな出来事です。これでも厳格で厳粛な法を正す中で大目に見ており、人を救うとき、救える人は助かりますが、救えない人は見捨てられます。

 大法弟子として、皆さんはすでに目にしましたが、現在の情勢は急速に変化しており、これも宇宙で法を正すことのこの世での反映です。99年7.20に大法弟子への迫害が始まったとき、上界の異なる空間からのしかかった邪悪のもの、それらの異なる空間や、各宇宙で淘汰されるものが全部のしかかってきて、あなたはそれを消滅しなければなりません。これは大法弟子に巨大な圧力をもたらしました。あまりに邪悪で恐ろしかったのですが、皆さんは乗り越えてきて、終わってみれば皆さんも分かるようになり、師父はそれを言う必要もありません。さらに、中共邪党の毒悪さも相まって、この圧力は歴史上かつてなかったものです。しかし、法を正す中の修煉の基準が更新された後、神に厳しい要求があり、このすべては新宇宙の基準と要求なのです。しかし、法を正されていない生命は以前の宇宙の法理で行動し、それをもって大法弟子を量るのです。大法弟子が自身が認めている基準に達してからはじめて、それらの生命は納得し、大法弟子が妨害されずに向上し、それらを救う資格を持つようになると思っています。実は異なる次元で宇宙を主宰している王も旧い基準で法を正すことを阻害しており、自分が納得できる、それらが設けた基準に達してから、合格させています。中に自分も法を正されている最中だと分かっている旧勢力もいれば、自身こそ最高の主宰者だと思っている旧勢力や、法を正す要求を認めない旧勢力もいます。認めても認めなくても、法が正された後の状況を分かっていません。各次元の神々もこの状態であり、各次元の生命もこのように思っています。「だめだ、基準に達していない」とそれらが思うと、能力の範囲内の基準に達していないすべてをその能力で直接壊滅させます。法を正す状況も含めて、それらは本当に法を正すことを妨害できませんが、阻害の作用を働くことになります。何ができるのかは別として、壊滅させようとしています。実はこのようなことは無数回も起きましたが、法を正すことと大法弟子、そして人類を壊滅させることはできませんでした。法を正すことを阻害できませんでしたが、多くの厄介なことをもたらしました。これらの厄介はこの世に反映され、妨害となるのです。このようなことはずっとありました。

 もし、大法弟子がしっかり行うことができず、自身の修煉基準を下げてしまえば、旧い高次元の生命、各次元の無量無数の神、無数の王が皆このように行えば、皆さんに考えてほしいのですが、法を正すことにどれだけの困難をもたらすのでしょうか? 根絶の過程で、それらの神と王が解体されると同時に、それらの管轄範囲にいる無量無数の衆生も救われないのです。もし、天体全体がこの状況であれば、誰も救われないのです。これは法を正すことと大法弟子が遭遇した困難であり、この世に各種の厄介なこととして反映されます。皆さんは私たちの師父に絶対的な能力があり、法を正す中で師父の思うようになると思っています。しかし、皆さんは考えたのでしょうか。このすべてを救うならば、救われる者が本心からそう思っていなければできません。強制的に行うと、本質は変わらないのですが、強制的に変えることはすなわち、新しい生命を創ることになります。それは簡単なことですが、一つの生命を救うことこそ最も難しいのであって、新たに創るのは非常に簡単なことです。

 ご存知のように、釈迦牟尼佛は、佛の一念は一つの世界を生成することができ、中に無量の衆生がいると話したではありませんか。彼の範囲内であれば、彼はこれほど大きな力を持っているからです。彼のいる次元の最もミクロのエネルギーから最も大きな顆粒のエネルギーまで備わっており、それほど高い密度もあり、小さいエネルギーから大きいエネルギーまで、各次元で同時に行なっており、彼の世界のすべてを構成する能力があり、生命を含めて何かを作るとき、一念ですぐできてしまいます。法を正すときもこのようにすれば、すべてを再び作ることになり、従来のものが存在しなくなり、法を正し衆生を救い済度することではなくなります。相手を救おうとするならば、救うとはどういうことでしょうか。生命が本心から変わりたいと思わなければなりません。宇宙と世間のこのすべてがだめになり、このすべてを救うのはなんと難しいことでしょう。ですから、時に皆さんが魔難に遭ったとき、なぜこれほど大きな魔難に遭ったのか、師父はこの難を取り除いてくれないのかと思う人がいます。私もこのように考えたことがあります。大法弟子がひどく迫害されたにもかかわらず、正念が足りないのを見て、本当に難を取り除きたくなります。しかし、取り除いたなら、関を乗り越えられなかったことになり、耐えるべきものも耐えなかったことになり、修煉も向上できませんでした。すべてを取り除かれたら、すべて台無しになり、何にもならないのです。修煉者でも大法弟子でもありません。しかも、すべての人は生々世々の輪廻の中で満身の業力を持ちながら転生しています。生々世々に師父が見守っているとは言え、業力は小さくありません。もし、歴史上、願いを立てることがあったり、または借りがあったり、何か厄介なことがあったりすると、どれもなかなか解決できないものです。それでも解決しなければならず、やらなければなりません。これらのことはなかなか難しいので、修煉中の多くの苦はこれらのことが原因なのです。一つの生命を救うのは思っているほど簡単なことではありません。

 しかし、いくら難しくても、救い済度される生命が救われる前にいくら妨害し、難を設けても、大法弟子に自分の道があるのです。一人の大法弟子として、以前いつも話していましたが、大法弟子にこれほど大きな歴史的使命があり、衆生を救い済度する責任を果たさなければならないため、必ず通じる道があります。この道は基準に達する道であってはじめて、宇宙の衆生が感心し、妨害できなくなり、あなたはこの道で厄介なことに遭わず、順調に進むことができるのです。そうでなければ、各種の執着と人心を持っていれば、この道で様々な厄介なことに遭い、厄介なことに阻まれ乗り越えられなくなります。実は道を正しく歩むことができないのは、一つは業力が原因で、その生命の背後にある厄介なこと、各種の恩讐、誓願、各種の生命との関係等々が含まれています。もう一つは自身の人心による執着です。特に形成された観念、形成された思考様式によって、なかなか無意識のうちに表れた人心に気づくことができません。気づくことができなければ、どのように放下するのでしょうか? 特に中国という環境で、邪党は中国の伝統文化を打ち壊し、邪党のもの、いわゆる党文化を作りました。党文化で形成された思考様式をもって宇宙の真理を認識するのは困難なことであり、場合によっては、一部の良くない考えと行為は世間の普遍的価値観と抵触していると認識することさえできません。多くの良くない考えに気づくことができないなら、どうしたらよいのでしょうか? 大法に従って行動するしかありません。

 以前、皆さんに話したことがありますが、現代中国人は歴史上、各民族の王や各時期の王であり、宇宙で天上から下りてきた次元の非常に高い王は皆、中国に転生したのです。彼が救われれば、彼が代表する背後の無量無数の衆生が救われることになります。これは小さいことではありません。彼一人が救われることによってたくさんの生命が救われることになりますが、この業力は誰が消すのでしょうか? この関はどのように乗り越えるのでしょうか? どのように行えば、旧勢力にあまり隙に乗じられないのでしょうか? どのように行えば、宇宙の異なる次元の旧い法理、旧い観念に従う衆生に納得させることができるのでしょうか? どのようにすれば、影響された生命の不満を解消し、あなたを阻まないのでしょうか? これは非常に難しいことです。師父は「弟子の正念が十分であれば、師父に回天の力がある」と話したことがあります。あなたの正念が十分で、誰かが何かをやろうとすれば、私たちが理に則っているので、師父は何でも解決することができます。自分が正しくなければ、師父はどのようにすればいいのでしょうか? あなたが正しく行なっていないのに、師父がそれらを取り除くなら、それではいけません。正しく行なっていなくても、魔難がやってくるとき、それを消滅してしまうなら、私たちは誰を救うのでしょうか? それではいけません。

 いずれにせよ、先ほど話しましたが、それは旧い理であり、すべて腐敗し、だめになったにもかかわらず、まだある普遍的な理があり、この世の人がそれを普遍的価値観と呼んでおり、天上では、全宇宙に普遍的な判断基準があるのです。それらがそれを認めないからといって、師父は全部消滅させてしまうのなら、私たちは誰を救うのでしょうか? 難しさはここにあります。私は私の要求と基準で行なってもいいのですが、どんな旧い者に対しても、このように対処すれば、いかなる生命も救うことができないかもしれません。すべてが取り除かれ、爆発させられたのです。それらを救いたいから、大法弟子が耐えていること、歩んでいる道はこれほど難しいのです。私たちが遭遇したこれらの魔難はすべて、衆生が救われるようにするためのものです。大法弟子が乗り越えることができるだけでなく、それらを救うこともできる、とそれらに満足させることができます。あなたがどのように考えているのかに関係なく、宇宙の各次元の生命は皆、このように考えています。各次元に王がおり、主がいるのです。比類なき巨大な宇宙生命は数え切れないほどおり、皆さんにはその大きさを想像することができません。これらの宇宙生命は各次元でこのような作用を働いており、各次元の生命は皆、このようにこの問題を見ています。皆さん考えてください。それでもそれらを救わないといけませんが、どのようにすればいいのでしょうか? 師父はそれらを根絶することができます。根絶してしまえば、何も残らず、乗り越えても、一つの生命も救わなかったのです。次の関になってもやはり同じ状況です。誰が反対するのでしょうか? 根絶してしまい、乗り越えてきましたが、一つの生命も残っていません。ずっとこのように行なっていれば、私たちはこのすべてを壊滅してしまうのではありませんか? ですから、大法弟子は自分の道を正しく歩んではじめて、衆生を救うことができ、衆生を救う中で乗り越えることができ、これほど難しいのです。衆生を救うことの難しさはこのように生じたのです。おこがましい人が衆生を救うと言っていますが、衆生を救うとは何かも知らないのです。

 しかし、いずれにせよ、大法弟子が衆生を救うことができれば、あなたは素晴らしいのです。そうですね。大法弟子はずっと歩んできて、法を正す中で一億以上の世の人を救い、非常に素晴らしいのであって、師父は非常に満足しています。多くの大法弟子は巨大なものに耐え、威徳も非常に大きいのですが、しかし、なぜそれほど大きなものに耐えなければならないのでしょうか? なぜあの人がひどく迫害されたのかと私に聞いた人もいます。彼の背後にいる生命のために耐えており、彼が守らないといけない生命、救い済度しなければならない生命があまりに大きくて多いのかもしれません。自身の要素と救い済度したい生命の要素でそうなったかもしれず、業力または受け持った歴史的要素が多いので、あるいは解決できない積怨、さらにまったく解決できない問題があるため、人間の生命で交換しなければならず、迫害される中でこの複雑な状況がもたらされたのです。旧勢力の仕業もありますが、妨害される中で師父も旧勢力の考えを逆手に取っています。どんな状況でも、師父には師父の基準があり、旧勢力はしでかしたすべてを償う必要があります。

 以前、話したことがありますが、三界内のすべては法を正すために存在しており、大法を認める人も認めない人も含めて、衆生は皆、法を正していると知っていますが、このことの大きさは誰も知らないのです。特にそれらの王や主、自分が大きいと思っている生命は自身の背後にさらに無量無数の宇宙が存在しているとは知らないのです。それらは皆、自分が偉大だと思っているので、恐れずにこのように行なっています。こうして非常に大きな困難をもたらしました。いずれにせよ、大法弟子は大量の衆生を救い、法を正すことは最後の段階に進み、さらに進むと、皆さんも目にしましたが、邪悪の力はすでに足りなくなり、旧勢力が大法弟子を試すための邪悪な環境、邪悪の圧力の下で衆生を救い済度するこの環境は徐々になくなります。なぜなら、邪悪が足りなくなったからです。旧勢力は大法弟子と世の人を試す力が足りなくなったと思ったなら、もう試練とは言えず、師父が旧勢力の妨害を利用して、大法弟子に衆生を救ってもらうことも終わりになります。救い済度されなかった人、この期間中に大法弟子が真相を伝えても耳を貸さなかった人、または真相を聞いても分からなかった人はもう機縁を失い、過ぎたことになり、次の段階はまもなく始まります。

 歴史の終わる日は、どんなことがあっても先延ばしされることはなく、具体的なことや、または過程に変化が現れることだけで、しっかり行わなかったことは後のことに影響しますが、全体のその時間が先延ばしされることはありません。これは師父が慈悲かどうかとは関係ないことです。実は、最後に救い済度される生命、組み立て直されたすべては私が手に入れたいものではなく、または基準に達していなければ、やり終えても無駄であり、消滅させなければなりません。あの時間を超えてはならず、救い済度されなかった生命にとって、仕方のないことです。

 ここまで話すと、大法弟子は以前に多くのことをしっかり行わず、いくらかの悔いを残したと思っているかもしれません。必ずこういうことになります。実はこのことを行う当初から分かっていますが、人類はここまで至り、さらに邪悪から大きな妨害があり、当初大法弟子を迫害したときに作られた虚言は世の人を惑わし、真相を伝えるのは本当に難しかったのです。そのときから分かっていますが、すべての人を救いたいというのは実は不可能なことであり、宇宙の衆生を全部救うのはなおさら不可能なことですが、私たちはほかでもなく、できるだけ多く、早く救い、時間がやってくる前により多くの生命を救うのです。

 ここまで話したので、修煉のことについて話したいと思います。大法弟子が行おうとするこれらのことに過程があるのです。時期が過ぎれば、もう過ぎたことになり、振り返ってみて、しっかり行わなかったことがあっても、やり直す機会はもうありません。もちろん、修煉はまだ終わっておらず、引き続き大法弟子として行うべきことを行い、今後のことをしっかり行い、あなたにとってまだたくさんの機会と時間があります。しかし、もしたくさんのことをしっかり行わなかったら、本当にたくさんの悔いが残ります。先ほどの発表で皆さんは神韻について話していました。実ははっきり言いますが、神韻は衆生を救い済度しており、これは皆さんが分かっています。しかし、考えたことがあるのでしょうか? これも師父が皆さんに協力し合うために与えた機会であり、表に出ていない人に与えた機会です。神韻は影響力の拡大につれ、皆さんが分かっているように、神韻は超一流の公演であり、現在の人類の公演は比べ物になりません。もちろん、比べ物になりません。皆さんも分かっているように、舞台で神まで助力しており、確かに人を救うことができ、これは誰にできることなのでしょうか? 誰にもできません。さらに、大法弟子が出演し、しかもアーティストのレベルはすでに世界一流になり、これは誰よりも優れたところです。しかし、各地の学習者は神韻の宣伝過程で、何かに遭遇したとき、皆さんはやりたくないわけではありませんが、やりたくなければ議論する必要もありません。皆やりたいのですが、この人はこのようにやるべきだと言い、あの人はあのようにやるべきだと言い、今やるべきだと言う人、後でやるべきだと言う人、お互いに譲りません。これらの強い人心でお互いに協力できなくなり、議論の中で人心の強い人がおり、人心に動かされ、けんかになり、無理して行なっても消極的になっています。

 皆さんに教えますが、ここ数年来、私はいつも大法弟子に非常に大きな能力があると言っていますが、どうしても信じない人がいます。なぜならば、あなたに見えないようにしているからです。あなたの正念の作用で、周りのすべてとあなた自身まで変化が起こりますが、あなたは試してみようと思ってもいません。旧勢力とそれらの邪悪な要素による妨害はつまり、皆さんの考えにある隙に乗じており、ここ数年来ずっとこのことをやっており、旧勢力が操っている卑しい鬼と邪党の要素はずっとこのようにやっています。皆さんの人を救うことができないようにし、なぜなら、直接対決をすると、あなたに勝てないからです。あなたが正念を発すると、邪悪が千軍万馬であっても、全部土となり、すべて消滅され、何者でもありません。このように続くと、卑しい鬼と邪党の要素の妨害は消滅され、大法弟子は念を集中させ、十分な正念で正念を発することができます。皆さん試してみてください。今日それができれば、現在の邪悪の半分がなくなります。様々な人心があり、協調が取れないため、邪悪は皆さんのこの隙に乗じており、皆さんのやるべきことを失敗させ、衆生を救い済度する中であなたの力を弱めています。邪悪は今、ほかの方法がありません。この世で現れたそれらの悪人は非常に悪いのですが、その人がそれほど凶暴なのは、背後で邪悪が支えているからです。その邪悪を消滅してしまえば、その人も凶暴でなくなります。もし大法弟子が皆力を合わせ、強い正念で行うことができれば、皆さん考えてみてください。それこそ神がこの世にいることの現れであり、邪悪にとってあまりにも恐ろしいことです。

 悪人は背後に邪悪の支えがあって悪事を働いたのです。皆さんはいつも表面のこの人がなぜこれほど悪いのか、この人がなぜこれほど邪悪なのか、この凶悪な警官がなぜこうなのか、この人がなぜこんなにも理性がないのか、とばかり見ており、いつも表面のことを気にしています。私はいつも皆さんに言っていますが、人間という袋は洋服のようであり、本当に人体を制御しているのは元神です。主元神も副元神もおり、しかも人間を制御できるのは元神だけではなく、各種の霊気を得たものはいずれも人間を制御することができます。大法弟子に悪事を働くものは表面に現れません。背後の要素を解決すれば、表面がどうなるかを見てみてください。人間に背後の要素がなければ、あなたの言うとおりになります。あなたは修煉者で、能力を持っており、神の道を歩んでいる生命であるのに対し、相手は常人で、力がないのです。ですから、いつも表面の人間ばかりを見ないで、背後の要素を解決してはじめて、根本から問題を解決することができ、情勢を変化させ、人間を変化させることができます。

 これまでチケット販売のとき、皆さんはとても難しいと感じていましたが、難しくてもあなたに歩む道があり、あなたがそれを探すかどうかの問題です。正念を発していればいいと言う人がいます。正念ばかりを発して、何もやらないのなら、それは修煉なのでしょうか? 本を読み、本ばかり読んで、大法弟子として行うべきことを行わない人と同じように、あなたは大法弟子なのでしょうか? それは大法の修煉ではありません。正念を発してすべて解決できれば、あなたに正念を発してもらう必要はありません。たくさんの大法弟子を集めてニューヨークで正念を発すれば十分です。すべてが解決されます。あなた自身が行動し、修め、実践しなければならず、苦労はあなたの修煉の一部であり、方法を考えてあなたが救うべき人を見つけなければなりません。このすべては大法弟子が行うべきことです。互いに協調を取り合い、相手にしっかり行わなかった部分があると気づき、または会議で話し合うとき、不完全な部分がありますが、あなたの意見が受け入れてもらえず、しかし、確かにこのように行うべきだと考えるとき、受け入れてもらえなくても、黙々とそれを良くすればいいのです。これこそ修煉者です。

 皆さんも知っているように、神韻はますます素晴らしくなり、影響力も拡大しつつあります。今年のアメリカ公演のとき、後半の公演はいずれも満席で、来年のチケット販売はかなりしやすくなります。広告を出せば、観客が来るようになったとき、皆さんに教えますが、皆さんがチケットを販売する必要はなくなります。「それはいい事だ。仕事が一つ減った」と思う人がいます。何もやらないのなら、それは修煉と言えるでしょうか? 師父は皆さんにこの道を歩むようにと教え、この機会を与えたのですが、あなたは実行したのでしょうか? もちろん、神韻に関わりませんでしたが、ほかのプロジェクトの仕事をしたのなら、それは問題なく、非常に良いことです。ほかのプロジェクトでこつこつと働き、しっかり行なっていれば、それは問題ありません。神韻に関わらなくても私は嬉しく思っています。しかし、一部の人は多くの仕事がないのに、しっかり行おうとしません。要するに、あなたは面倒なことを嫌がり、楽をしたいのです。言い換えれば、あなたは自分が行うべきことを果たしたくないのです。それではいけません。それは非常に危険なのです。大法弟子には大法弟子としての基準があり、あなたは修煉者ですが、正念が強いとき、一言で人を救うことができます。相手は常人だから、彼には彼の救われる基準があり、行くべきところがありますが、あなたにはあなたの基準があります。

 また、後期になって、多くの学習者はほかの空間に接触することができ、ほかの空間、場合によって自身が法を正すときに行なったことの光景まで見ることができます。道理から言えば、これも正常なことです。それぞれの条件が違い、それぞれの法を正す中で現れた状態が違うので、見える人がいます。皆さんに忠告したいのですが、以前にもこのように正しく判断できず、自分を台無しにしてしまった学習者がいました。見えても、人心に動かされた執着と各種の歓喜心で、かえって自分を台無しにしないでください。このことに関してすでに教訓があり、皆さんも気をつけるべきです。

 私はいつも言っていますが、大法弟子が受け持った宇宙の範囲は非常に大きいのであって、あなたはもしかして、どこかの宇宙の王であり、場合によってはさらに高い高い次元の覚者であるかもしれません。考えてみてください。この宇宙はどれほど大きいのでしょうか? 釈迦牟尼は一粒の砂に三千大千世界があり、その砂の中の砂にさらに三千大千世界があると言ったのではありませんか? その世界にさらに砂があるのではありませんか? その砂の中の砂の大千世界にさらに砂があり、その中にも河や湖、海があるのではありませんか? その砂にさらに三千大千世界があるのではありませんか? その砂の中の三千大千世界にさらに海や砂があるのではありませんか? その砂にさらに三千大千世界があるのではありませんか? 人間の体は宇宙の中で大きいほうです。なぜならば、人体の顆粒は粗いからです。もちろん、人間より体が大きい生命はまだたくさんいます。それなら、宇宙の最大から最小まで、一粒の砂にもこれほど多くの世界があり、実は空気も粒子によって構成されており、それらの粒子もさらにミクロ的な物質によって構成されています。これらのミクロ的な物質は人間の目で見た土や石のようなものではなく、その空間にある物質の状態であるに間違いありません。この空気も分子粒子で構成されており、分子はまた原子で構成され、原子はさらにミクロ的な粒子で構成され、ずっとミクロへと進んでいき、次元の高い神にとっても無窮無尽であり、それなら、空気にどれほどの粒子があるのでしょうか? 空気の中にさらに多くの異なる気体成分があります。実は人間が見えないところで、中にさらに多くの異なる要素があります。現在の科学の認識はあまりにも浅はかです。そうではありませんか?

 人間の概念では、足で踏んでいる地球の部分は地であり、踏めない部分は地ではないと思っています。神はこのように認識しておらず、分子で構成されたすべては地であり、土なのです。もし天上の神が原子または原子核で構成されていれば、その次元の粒子は宇宙のすべての範囲に存在しています。何かを見るとき、神は人間と違い、概念も違います。人間の目は分子で構成されており、わずかしか見えませんが、神は違います。その範囲内で神にできないことはなく、すべて見ることができます。この宇宙がこれほど大きく、マクロからミクロまで、どれほどの生命がいるのでしょうか? 一つの生命はどれほどの粒子によって構成されているのでしょうか? すべての粒子の中に世界があり、その次元も無量で数多くの宇宙によって構成されており、その中にどれだけの神の世界があるのでしょうか? 一つ一つの神の世界にどのくらいの歴史があるのでしょうか? 中にどれほどの生命の物語があるのでしょうか? 私から見れば、一つ一つの生命は伝記、歴史の小説のようで、各世が含まれており、しかも生き生きと演じています。全宇宙にどれほどの生命があるのでしょうか? 大きい生命もあれば小さい生命もあり、無量無数なのです。どの人も、どの神も、どの生命も自分の歴史があり、どれも物語のようです。生命の過程はすべての人にとって歴史の史書のようです。皆さん考えてみてください。この宇宙はどれほど複雑なのでしょうか? 皆さんが修煉の中で見たもの、接触したものはどこのものなのかが分かりません。しかし、あなたの目の前に現れ、あなたが接触できたとき、それがいくらミクロであっても、すべてが巨大な宇宙の形態なのです。なぜならば、その中に入り、その空間に身を置こうとすれば、その中の生命と同じ大きさになる必要があり、この世界が果てしなく広いと分かるのです。あなたもこの世界の考え方にしたがって物事を見るのです。どの環境に入っても、その空間の状態に従ってその世界を見るようになります。これ以上小さい世界がないほどのミクロ的な世界を見た人がおり、人間の大きさの概念で見ると、とても小さい世界ですが、中の神の現れ方、衆生の現れ方、現れた神の奇跡は大きい空間、形体の大きい生命と何の違いもありません。衆生は平等であって、形体の大きさに関係なく、同様にあなたの歓喜心を引き起こすことができ、「あら、素晴らしい」と同様に思うのです。実は巨大な宇宙天体では取るに足らないほど小さいのです。私が言った意味を皆さんは分かったのでしょうか?(拍手)

 つまり、この宇宙はあまりに大きいのであって、生命がたくさんあり、無量無数で、大きいものもあれば、小さいものもあり、その状態に入れば、その状態で問題を見たり、生命を観察したりするのです。場合によって修煉によって、あなたも神通を持つようになり、ひいてはそれらの神よりも神通が強くなり、能力を持つようになります。あなたに人身があるので、気をつけないと、「私は素晴らしいのだ」と人心が膨れ上がるのです。人間の言う現実に戻ったら、自分が素晴らしいと感じるのです。実は多くの人は宇宙のある点、ある部分、ある事を見たとき、心が落ち着かなくなります。当時、法を伝えたとき、一部の人は先天の信息が見え、「私も佛のようだ」と自分が佛だと思い込み、有頂天になってしまいました。講義に出席しなくなり、初期のころ、自分も佛であり、修煉する必要がないと言いふらし、修煉ができなくなりました。心が膨れ上がったからです。修煉の中で人心を取り除かなければ、いかなる物も人間の執着を引き起こすことができ、いかなる物も人間の修煉の妨害となるのです。いかなる心も生じさせないでください。師父は話したことがありますが、あなたには絶対に宇宙の全体の真実が見えないのです。低い次元の神も見えないのに、あなたはまだ人身を持っており、なおさら見えないのです。それらの世界の生命はあなたがあれこれと素晴らしいと言っても、円満成就するまでは何者でもありません。あなたはかつてそこにいた生命だったり、またはそれらの王だったりするかもしれませんが、それだけのことです。あなたは今、人間なので、戻ることができません。修煉の全過程を終えなければ、または修煉が失敗したら、元に戻れないので、いかなる心もあってはいけません。正念が十分で、正々堂々と行うべきことを行ってください。この宇宙はあまりにも大きいのです。

 言うのをためらっている話がありますが、皆さんがいろいろと連想してしまい、そのわけを聞きたくなったり、探索したりしようとし、執着が引き起こされることを心配しているからです。実は師父は皆さんに教えますが、われわれの宇宙、私が言っているのはわれわれの生命と関係している宇宙、この比類なき巨大な宇宙は実はずいぶん前にすでに私がやり終え、師父は次元の高いところでとっくに位に帰り、われわれの宇宙はすでにこの上なく素晴らしくなったのです。このすべてをやり終え、次のステップに進もうとしたとき、表面の世間はやはり解脱できないことに気づきました。なぜでしょうか? われわれのこの宇宙は想像できないほど巨大で、小さい範囲にいる生命でさえ数え切れず、広大な天体は言い表すことができないほど巨大なのです。ですから、説法のとき、宇宙の大きさについて話さなくなり、法を正すことが進むにつれ、ますます大きくなり、人間の考えと言葉でそれを表現できなくなりました。法を正すことが最後まで進んだとき、われわれの宇宙といかなる関係もないほかの天体にいる生命はわれわれの宇宙がここまで良くなり、宇宙で輝く宝石、金剛のようになったのを見て、誰もが素晴らしいと思い、この法をほしいと思い、この法を得ようと思っている、と気づいたのです。(拍手)

 以前、皆さんに宇宙の概念について話したことがあり、たくさんの銀河系が一つの範囲を構成し、この範囲は私たちが言う小宇宙のことです。数億の小宇宙が二層目の宇宙を構成しました。宇宙体系の最終的な大きさですが、一兆層の巨大な宇宙を一つの範囲とし、一兆の範囲を一兆の兆に並べ、一兆の兆を一つの空気の分子とし、会場のいたるところにこのような粒子があり、これほど多くの宇宙でも宇宙のある空間の目立たない小さな粒子に過ぎません。法を正す中で、私は最後まで進んだとき、生命の形式も下の次元の生命が認識するようなものではないことに気づき、昇華した法理は低次元の神でさえ理解できなくなり、あの境地とあの状態に到達しても、これも宇宙の一つの塵芥に過ぎないと分かったのです。

 私によく分かっていますが、一つの生命にとって、どの境地の生命も同じですが、生命は素晴らしいと思っています。もちろん、三界は除きます。大法弟子にとって、自らの使命を果たし、自身の修煉の境地で救い済度すべき生命を救い済度し、人間からあなたが救い済度しようとする生命を解脱させ、大法弟子の責任を遂げ、位に帰ったとき、この上ない光栄を感じ、自身の宇宙範囲が果てしなく巨大であることに気づくのです。このすべては神にとって、人間のような満たされない欲望がなく、人間の状態ではなくなります。神はどの境地にいても、もっと高い境地と取り替えてあげたら不機嫌になります。高い境地は自分と関係がないと思い、人間の考えではないのです。巨大な宇宙天体は想像できないほど大きいのであって、私は皆さんにこの巨大さについて話しただけで、妄想をたくましくしないでください。考えても仕方がありません。なぜなら、それはあまりにも大きいからです。

 時々思いますが、一つの生命にとって、見た目は極めて小さいのですが、それぞれ自分の物語を持っており、それが悲壮だったり、波乱に富んでいたり、楽しかったり、苦しかったり、慈悲であったり、善良であったり、生命のそれぞれの特徴を備えています。私はこれらの生命を非常に大事にしています。しかし、宇宙の異なる次元にいる王、異なる次元のさらに大きい神は、低次元の生命を重く見ておらず、神はこういう状態だからです。神は全体の基準だけを重く見ており、ある生命または大きい範囲に及ぶ生命群のことをまったく気にしていないのです。なぜなら、神はあまりにも大きいからです。今私は法を正すすべてを全部やり終え、すべて出来上がったので、ほかの天体の場合、それらが踏襲すればいいのです。しかし、法を正す全体の時間は先延ばしされることがなく、終わるべきときに終わるのです。

 以前は一部の大法弟子がまだ表に出ておらず、できるだけ彼らが表に出られるよう、待ってあげる必要がありました。この時間もますます少なくなりました。中国大陸から出てきた学習者に会うと、まだ表に出てきていない学習者が早く出てくるように働きかけ、また方向を見失った学習者に早く真相を伝えるようにと伝えています。そうしなければ、彼らに最も惨めな結末が待っています。修煉なので、子どもの遊びではありません。特に、大法弟子はそれほど大きな歴史的使命を背負っており、この使命は無量無数の生命の存亡に関わっているので、一大事ではありませんか? 非常に大きいのです。世間では真相を伝えることや、邪悪の迫害を阻止することとして現れていますが、しっかり行わなかったとき、人心をもって量っています。この世間は迷いの中にあり、修煉者も信じるか、信じないかの中で修煉しています。本当に自分を修煉者として見なし、着実に強い正念で自分のことをしっかり行うことができれば、それはすでに非常に素晴らしいのです。なぜなら、これは人間のこの世がこういう状態だからです。神と同じように行えば、修煉にならないのです。それなら、山にいるこの世の神に行なってもらえばいいのであって、または最初から大法弟子の功を開かせればいいのです。それではいけません。そのように行なっても行なったことになりません。迷いの中で人を救い、人類社会は迷いの中にあるので、人類社会の状態に合わせて人を救う必要があります。これも創世のときに意図的にこのように造ったのです。

 師父はたくさんのことを話しましたが、理解できたでしょうか?(熱烈な拍手) 一部のことは本当に人間が想像しているようなものではありません。邪悪は虚言で、あなたたちの師父は大きな能力を持っているのに、なぜこのように、あのようにやらないのかと言っています。私にはそれができますが、そのようにしてはいけません。私は衆生を救い済度しに来たのであって、いくら良くない衆生でも、私は機縁を与えます。あなたが悪くなり、こういう話を口にしたのも、世の風紀が堕落し、背後の邪悪の要素にこのように言わされたのです。一つの生命にとって、私はあなたのことを不憫に思い、慈悲深く思い、機縁を与えようとしていますが、このように行なってはいけません。しかし、このようにする必要があるとき、私は必ずこのように行います。実はそれらの神が行なってくれます。彼らはそれらの邪悪を見てすでに待ちきれないので、私が行うまでもありません。

 大法弟子がここ数年歩んできた道に師父は本当に満足しています。もちろん、しっかり歩まなかった人、表に出てこなかった人は今、まだ大法弟子とは言えません。乗り越えてきた人、しっかり行った人は本当に素晴らしいのです。それも旧勢力の妨害を否定し、邪悪に屈することなく、この未曾有の大法弟子に対する厳しい迫害、いわゆる試練の中で屈服しなかったのです。同時に大法弟子を鍛え上げました。魔難にしても、邪悪な迫害にしても、どのように歩んできたにせよ、皆さんは本当に乗り越えました。残ったものは大法弟子の全体を破壊する力がすでになく、しっかり歩まなかった人に対して、一部の地区ではまだいわゆる試練があります。邪悪は人心を見つけると、それを利用して悪事を働き、旧勢力はこのように行うべきだと思っています。衆生を救い済度しながら、旧勢力の妨害をも否定しなければならず、それらはずっとこのようにやってきました。迫害に反対し、衆生を救い済度する中で大法弟子を成就させており、自身の最後の道をしっかり歩みましょう。

 皆さんに教えますが、歩んできた道、行なってきたこと、そして法を実証する歳月を大切にしましょう。歴史は過ぎ去り、二度と戻ってきません。もう一度あのような恐怖の環境を作って大法弟子を鍛えようとしても、もう不可能です。なぜなら、邪悪がそれほど多くないからです。法を正すとき、一つの次元、一つの次元と前へ進む過程で、絶えず大量にこれらの邪悪要素を根絶し、新宇宙が止まることなく構築されています。大法弟子でしっかり行なった人は、受け持った範囲と地区で大量の邪悪を根絶しています。ですから、これらの邪悪な要素はこれ以上何か大きな作用を働こうとしても、すでに不可能です。

 皆さんが知っているように、中国では誰もが中共邪党を罵っており、なぜだか知っていますか? 私たち年配者なら分かりますが、以前は誰に邪党を罵る勇気があるのでしょうか? 今は誰もが罵っています。なぜなら、邪党の邪悪な要素がもうすぐなくなるまで少なくなったからです。迫害が始まった当時、高い密度で覆っており、人間を監視し、場合によっては人間の身代りになっているため、邪党が良くないと言える人がいたのでしょうか? トイレにこもって扉を閉めても小声で邪党が良くないと話す勇気がなく、恐ろしいと思うのです。これはそれらの邪悪な要素が作用を働いていたからです。これらの邪悪な要素は大量に消滅され、なくなったため、正義のある人も勇気をもって声を上げるようになり、邪党が人を迫害しているのを見て、人々は非難できるようになりました。邪悪な要素がそれほど多くなくなったからです。つまり、この恐怖の環境がなくなり、旧勢力が造った修煉者を迫害するという環境、大法弟子を鍛えるという環境はだんだんとなくなっています。大法弟子に試練を与えることができなくなり、衆生を救い済度する圧力にならなかったとき、このことは終わりになります。師父が言わなくても皆さんも見ていますが、この情勢は急激に変化しています。いずれにせよ、修煉者はなんと言っても修煉者で、常人の政治に参与しません。大法のために良いことを行なった人は、神が認めます。もちろん、大法弟子も目にすることができ、それは彼が自身のために未来を切り開いているのです。

 このくらいにしましょう。皆さんありがとうございます。(長時間の熱烈な拍手)

 少し補足します。皆さんが見た師父の姿かたちは人間そのもので、人間の姿や人体の各部分を全部備えており、人間とまったく同じです。しかし、師父の体は各次元の宇宙でその次元の宇宙の生命と同じ姿をしています。ここでも同じです。皆さんに話したことがあります。ここは人間のところですが、師父の最も主たる部分がここにあるため、ここは全宇宙の法を正すことの中心になったのです。旧勢力にしても、私たちが救い済度したい生命にしても、宇宙の中の救い済度されたい巨大な天体はいずれもここに首を突っ込みたいと思っています。安全のため、まだ法を正されていない生命の真の命は私が全部預かっています。私の各次元の粒子から表面の細胞まで、それらの命を閉じ込めています。こういう状況であっても、皆さんに教えますが、法を正すことが終わる直前にならないと、師父は人間のように行動し、神のように誰かに接することはありません。もし私が今、神のようになってしまえば、皆さんの修煉の環境を破壊し、修煉の中で悟らなければならない迷いを破ってしまうことになります。皆さんが行なったこと、皆さんの修煉はもう認められなくなり、このすべてを台無しにし、衆生も救い済度されなくなるため、皆さんは人心で法を量らないでください。人間の考えで師父を見ないでください。師父が伝えたこの法は皆さんに修煉させることができ、皆さんはこの法の中で修煉し、この法と照らし合わせてください。法は間違っていません。法に最も表面の人間の文字、言語構造がありますが、決してこの表面だけに限られることはなく、各次元に法の内涵があります。

 ありがとうございます!(全員、長時間の熱烈な拍手)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/5/21/257867.html)