文/湖北省の大法弟子 洪微正
【明慧日本2012年6月20日】偉大なる師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
私は1999年1月に法を得ました。法を深く理解できなかったため、苦難に満ちた道をふらつきながら歩んできましたが、どんなに辛くても大法の修煉を続ける心だけは揺るぎませんでした。慈悲なる師父はそれを認めて、ずっと私を守ってくださいました。この場をお借りして師父に深く感謝申し上げます。
今までの中国大陸大法弟子の修煉心得交流会は、地元で簡単にまとめた修煉体験を発表するだけでした。私の修煉状態は平凡で特別驚くようなこともなく、自身を正していないところがたくさん残っているため、長い間明慧ネットへ投稿しませんでした。
この度、第8回中国大陸大法弟子修煉心得についての投稿の応募要綱を見て、このような大規模な法会は大法弟子が法に溶け込めるよう師父が按排された正法の修煉だとわかりました。法会は自己を実証するものではなく法を実証する機会です。法に溶け込んでいない観念と私心を取り除き、邪悪の迫害が中国大陸に与えた封鎖を突破して全ての大法弟子が一体になるためのもので、真に全体の向上を図り、師父の期待を円融していきます。毎回の法会に形式的に参加するのではなく、正法の角度から心を正して師父の期待をよく理解しければなりません。正法を目的とする全ての大きなプロジェクトは、大法弟子一人ひとりの使命と責任に深く関連していると再認識できたので、今回初めての投稿に至りました。この法会をお借りして、修煉中のわずかな経験をまとめて同修達と交流しながら師父にご報告いたします。
一、法を広める
私は法を得るまでたくさんの病に付き纏われ、苦しみの中でむやみに「医」を求めていました。病気の苦痛を取り除くために他の気功をいくつかを学んだ事がありますが、病気が治らないばかりか邪道を歩んでいました。それを見た家族は恐怖感を覚えたようです。その時は私の主意識がまだ少しばかりはっきりしていたので、もうそれ以上気功は続けないと決めました。そうすると良くない要素も次第になくなっていきましたが、病気の苦痛からずっと脱け出すことはできませんでした。
1999年1月のある日、幸運にも私は大法に出会いました。大法の本を少し読んだだけで、この本は普通の気功の書籍とは違うとすぐ分かりました。読む事を通じて他の気功を習って問題が起きた原因が見つかりました。私はその場で法輪功を修煉しようと固く決めました。
他の気功を学んで大きな問題を起こした前科があったため、今回は家族に猛反対されました。父親は私に気功をやめさせるために自宅まで駆けつけました。私は大法の本を出して父に見せながら「これは一般の気功ではありません。まず読んでみてください」と説明しました。父は半信半疑で私の安全のために読み始めました。30ページあたりまで読んだところで煙草の味がまずくなり、80ページくらいまで読むとお酒も喉を通らなくなりました。「どうしてなのか?」と父に聞かれた私は「いい事です。お父さんは大法に縁があるということです」と喜んで話しました。父も大変嬉しそうに、私の修煉に反対するどころか父自身も煉功を始めました。
私は病気になってから修煉を始めましたが、病気を治すという執着心を全く持っていませんでした。ひたすら良い人になり心を修めることが自分の修煉だと認識しました。1カ月もしないうちにたくさんの悪い習性が正されました。妻は私の変化を見て、内心では大法が如何なるものか良く分かるようになりました。まもなく妻も自ら修煉を始めました。それから弟夫婦、姪、妻の母が相次いで法を得て、正法の中で修煉の道を今日まで順調に歩んできました。
私と私の家族は大法からたくさんの恩恵をいただきました。より多くの人に大法の恩恵を受けてほしいというのが私の願いです。私の責任と使命は「法を広める」ことで、多くの縁ある人に法を得てほしいと思いました。私と同修である妻は協力し合い、妻に店番を頼んで私は他の大法の愛好者や懸命に法を広める同修達と力を合わせて、師が法を正すことを手伝いました。
まず県の同修を鎮まで誘い、大法の看板を立てて一緒に煉功しました。それから数人の同修と一緒に自転車で各村と鎮に行き、法輪大法の概要を伝えて大法の功法を見せました。これは大変良い評判を得ました。功を学ぶ人が増えてきたところで煉功点を設立しました。3、4カ月の短い間に6カ所の煉功点ができました。多くの縁ある人が大法の門に入る事ができ、その過程で自分自身も各方面で向上しました。大変貴重な日々でした。
二、法を実証する
1999年7.20から邪悪が天地を覆うような勢いで大法を迫害し始めました。当日の午後2時頃、私は連行されました。法輪功を中傷する番組を強制的に見せられ、もう法輪功の修煉はできないと告げられました。しかしその時、恐怖感はまったくありませんでした。法輪功はいかに良いものか、師父が私達に良い人になるように教えてくださることは間違っていないと極力説明しました。しかし政府は理解しようとしませんでした。その時「政府が強制的に禁止しているのに、それでも続けるつもりか?」と聞かれました。「こんなに素晴らしい功法の修煉を止めるわけにはいかない。絶対に修煉を貫きます」と固い決意を示しました。私の揺ぎない毅然とした態度をみて(当時の心性レベルはそのくらいだった)、当日の夜保釈されました。帰宅後は、これまでにない身の軽さを感じました。師父のご加持と励ましだと分かりました。
師父は『精進要旨二』「大法は堅固にして破壊不可能である」の中で「大法弟子はなぜ、邪悪によって残酷に虐待されているのか、それは彼らが大法に対する正しい信念を堅持し、大法の中の一粒子だからです」と説かれました。それ以降、邪悪は気が狂ったかのように猛威を振るいましたが、大法の修煉を続けるという一念だけは動揺してはならないと思いました。むろん誰にどんな状況において聞かれても「大法を貫きます」と答えました。公の場で「大法を貫く」と口にして法を実証しました。
2000年2月の初めに、旧勢力は私の身に一つの病業現象を起こしました。一日中数え切れないほどトイレに通いました。白い便や赤い便が出て、その苦痛はとても言葉で表現できませんでした。その当時はなんの理も悟れませんでしたが、ただし「苦」が悪い事ではないことだけは自覚できました。命取りになることはないので、薬や点滴などの治療を受けようと一度も思った事はありませんでした。しかし邪悪による迫害だとは悟っていませんでした。4カ月間ずっとベッドの上で痛くて眠れず、汚くて辛い日々でした。
ある日、私は邪悪に拘置所に連行されました。昼間は気が紛れてそれほどでもありませんが、夜になると頻繁にトイレに行きました。私の苦痛の様子があまりにもひどいのを見て、監視人は当番の警官に通報しようと思うほど驚いていました。その時は、病業の仮想現象は、師父が悪いものを外へ出してくださっているとすぐに悟れませんでした。反対に法輪功の修煉者は病気がなく、健康保持の良い効果が得られるというイメージに泥を塗らないように「平気、すぐ治る」と強気に言いました。
翌日、嘘のように全てが正常に戻りました。その事実を目の当たりにした皆は、大法の不思議さを実感しました。それ以来、私は彼らに真相を伝え始め、だんだん彼らも大法の経文を暗唱し功を学び始めました。
2001年3月、私は再び拘留所に連行されましたが、断食をして迫害に抗議しました。それから麻薬中毒回復所に移送されましたが、そこにはたくさんの人が収容されていました。環境は比較的自由だったので、ここで真相を伝えて衆生を救い、法を実証すべきだと悟りました。そう思い立って、すぐに断食をやめました。まず普段は公共場所の掃除をきちんと行いました。特に、足の踏み場がないくらい汚れていた公共トイレを、ピカピカになるまで掃除しました。薬物治療を受けている人たちが、目を丸くして私を見ていました。「法輪功修煉者は本当に良い人ですね」という声が彼らの心から聞こえてくるようでした。
それから私は一人ずつ真相を伝え、人間としての基本的な道徳基準について話しました。その内容は彼らにとってわかりやすいものでした。その情況を見て、個人面談ということで私は幹部に呼ばれました。私は率直に幹部に真相を伝えました。それ以来、幹部は監房の外に出られる時間を利用して、私が皆の前で真相を伝える事に気づいても反対しませんでした。だんだん私達の学法や煉功の環境も緩やかになりました。男女の同修は普段は会えませんが、監房の外に出られる時間に私達が交流しても、幹部は目をつぶってくれました。実は大法弟子が衆生を救うという、法を実証する気持ちさえあれば、師父は必ず助けてくださいます。
(続く)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)