文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年6月23日】最近、甲同修と現地の警察の悪行について交流する中で、私は今まで気づかなかった問題を発見しました。
現地の警察に関し、甲同修は「彼らは乱暴者だ」と言いました。それは、警察官は元来性格が悪く、乱暴な人達だという意味です。私も以前似たような考えを持っていました。
長い人生経験の中で、人々は往々にして、苦痛の記憶を忘れたいと思い、戒める心も薄くなります。特に共産党の文化に深く毒害されている環境で、共産党はいつも「一致団結して物事を前向きに見て、過去を忘れよう」等と唱え、自分たちの悪行を忘れさせようと洗脳しています。修煉者は、常人の中で辱められたり、不当に対応されても慈悲で寛容ですが、しかし修煉者の寛容にも基準があります。常人が大きな悪事を働けば天が許しません。無制限に悪事を働くことは、善悪の基準がないに等しいのです。
大法弟子は宇宙大法を修煉しており、師父は旧勢力の按排したすべてを認めないので、我々も当然迫害を認めません。共産党が迫害を発動したことや、大法弟子に対する警察官の妨害や迫害はすべて犯罪です(もちろん、迫害を受けた私たちに心性の問題があるかどうか、内に向けて探すべきです)。私たちは悪行を暴露して、彼らの犯罪を制止しなければなりません。同時に、その悪行の背後に存在している旧勢力の黒い手や卑しい鬼などを見破らなければなりません。警察官の悪行は、ただ本人の性格が悪く、品性がなく、乱暴だからだと決めつけるなら、これは旧勢力を認めることになります。
私は刑務所を出てから長い間、この変異した観念に遮られて、警察官の悪行を暴露しませんでした。これはある意味で悪人の気勢を助長したのです。
真相を知らない警察官は、迫害に参与して罪を犯したので、目覚めなければ自分の未来を失います。私たちは慈悲を持って本人に真相を伝え、迫害に参与しないように説得し、自分の過ちを認識して共産党を脱退すれば、よい未来があることを伝えなければなりません。大法弟子が迫害を暴露することは、警察の背後にある共産悪党の要素や旧勢力を取り除き、世人を救い済度する行為なのです。