文/中国の大法弟子 重帰
【明慧日本2012年6月23日】皆さんもご存知のように、中国古代の人々たちは承諾を非常に重要視していました。「一諾千金」という言葉があるように、ある人は一言の承諾のため、命を捧げることも惜しみませんでした。しかし現在の中国社会では、中共の党文化に害され、人々はうそ偽り、建前、自分の言った話をひっくり返すなどのことが日常茶飯事で、承諾に対して心から重視していません。
大法弟子は厳格に心を修め、特別に道徳の昇華を重んじていて、古代の人々よりも優れていなければなりません。ですから、承諾を守ることは至極当然のことです。しかし、私は一部の同修たちと大法の仕事を行うとき、同修に承諾したものの、最後にはあやふやになってしまうことがあります。このような状況が現れることは、幾つかの原因があります。主に今の生活環境と変異された道徳水準に影響されたからです。
承諾を果たさなかった場合、小さく言えば、他人のその人に対する見方に影響を与え、信頼感が落ち、互いの協調にも影響を与えます。大きく話すと、修煉の過程で解けない結びになってしまって、最後の円満に影響を与え、甚だしきは、この漏れが邪悪に乗じられ迫害されるかも知れません。ですから、このような状況に気を抜いてはなりません。
実はこの状況を解決することは難しくありません。これはただ、どのように人間の基本的な基準に符合するかの問題です。まず承諾の重さを理解し、軽く承諾せず、承諾してから本当にできない場合は、すぐ相手に説明し、相手を配慮して対応したほうがいいです。絶対に、何の反応もせず、あやふやになるように望んではなりません。
当然のことながら、いかなることも極端に走ってはなりません。承諾に関して、同修の間では互いの交流、調整が必要です。私たちがいる環境は絶えず変化しており、私たちの認識も絶えず調整しなければなりません。修煉は絶えず自分を向上させ、自分を正すものです。最初のやり方、考え方が絶対に正確だとは言えず、間違ったら訂正し、調整しなければなりません。肝心なのは人間の低下した手段と基準で処理してはならず、法の上で理性的に処理しなければなりません。