文/広州の大法弟子
【明慧日本2012年7月1日】
2、正法の旗をかける
この数年来、私が広州の市街地で掛けた正法の旗は百十ほどで、「法輪大法はすばらしい」、「真、善、忍はすばらしい」、「共産党がないと、新しい中国がある」、「中共は人類史上最大の邪教」、「天は中共を滅し、脱党することで救われる」などがあります。私が掛けた旗は広州の邪党に衝撃を与えました。警備員や公安警察が巡回する時の動きから、それが分かりました。「敏感日」になると、一部の道路清掃人は、夜に道の側にしゃがんで監視し、掃除をするときにはよく頭をあげて木の上を捜していました。
この人口密度が極めて大きく、夜中でも明るく照らされた都市では、大勢の警備員とたくさんの現代的な監視カメラがあり、正法の旗をかけることの難易度は結構高いのです。しかし絶えず継続し、たくさんの経験を積み重ねる中で、私が旗を掛けるスキルにも奇跡が起こりました。
今年の7月1日の早朝、省と市の委員会の地域では、白地の旗に青い字で「天は中共を滅す」と書かれた正法の旗が掛けられました。邪党がわずかな利益を餌に、真相を知らない民衆を組織して祝いの歌を歌うこの特殊な日に、「天は中共を滅す」と書かれた旗が掲げられたことで、彼らに大きな一撃を加えました。広州の邪党は非常に驚きました。その後、私はたくさんの警備員が巡回する時に、懐中電灯で木の上を照らしているのを見ました。ある警備員は、走って飛び跳ねて、3、4メートルの高さの木々を打ったり叩いたりしていました。これは間違いなく、正法の旗を捜しているのです。これを見た私は「私が掛けた旗は低すぎて、警備員が飛び跳ねたら落ちてしまう。どうすれば旗をもっと高くに掛けられるだろうか」と考えていました。
それまで、私は旗を木の4~6メートルの高さに投げて掛けていました。私は巻いた旗の上に、カモフラージュのためにもう一つの濃い色の布を巻いていました。濃い色の布の開口部にテープを貼り、そうすれば木に投げてから、しばらくして旗が自動的に開かれます。どんなテープを上の布を貼ればよいかの知識もあります。マスキングテープの粘着性は弱いので、旗が開く時間が短いです。貼ってから約30分から1時間くらいの間で、自動的に開くことができます。時々家でテープを貼って、目的地に着いた時にはもう開いてしまっていて、再び貼らなければなりませんでした。両面接着テープなら、旗が自動的に開くまでもう少し時間的猶予があります。透明テープの粘着性は一番良くて、一般的に雨が降る日に使います。雨で布がぬれて、透明テープの粘着性がなくなります。
インターネットで、同修が卵ぐらいの大きさの石は比較的高く投げられると言っていました。しかし、広州は人口密度が高いし、どこに行っても人がいて、卵ぐらいの大きさの石が落ちたら人を傷つける恐れがあります。私が使っていたのは卵の半分くらいの大きさの石ですが、これは高く投げられないのです。しかも、力を大きく使うと、動きも大変大きく、人は遠くから私が木に物を投げたのが分かります。
その数日間、私はずっと「もし投げる時に動きが大きくなくて、旗を高く投げられる方法を見つけられたらいいな」と考えていました。大法から与えられた知恵により、私は物が回転する時の遠心力を思い出しました。すなわち、「物が速く回転すればするほど、遠心力が大きくなる」ということです。旗の先端に石を結び、その石を回転させる時の遠心力を利用すれば、旗を高くまで投げられます。しかも石を投げる動作が大きくないので、私の後ろにいる人に、気づかれないのです。
それで、私は旗を手に持って石を4~5回、回転させ、石が上に向いた時に手を離して、旗を3階ぐらいの高さに投げることができました。この方法で、私は再び邪悪を驚かせる正法の旗を高く掛けました。
3、爆竹を鳴らして江沢民の背後の邪霊を取り除き、この世を正念の場で覆う
広州市では、邪党が爆竹を鳴らすことを禁止しています。都会で爆竹を鳴らすと治安管理条例に違反し、警察に捕まります。市街地でも爆竹を買えません。しかし江沢民が死亡し、皆が喜び祝う日に、爆竹を鳴らさなければいけないでしょう。インターネットで同修たちの交流文章を読んで、これも人々を救い済度し、この世を正念の場で覆う一つの方法だと認識しました。
私はもう一人の同修と、遠くの田舎まで行って爆竹を買い、いくつかの爆竹を鳴らしてお祝いをしましたが、なぜか残念な気がしました。これほど喜びに満ちた雰囲気を都会に持っていくべきで、広州市民に対して悪の限りを尽くした政治のならず者・江沢民が死んだことを知らせて、皆で一緒にお祝いをするべきでしょう。しかし、どうすれば都会で爆竹を鳴らしても、邪悪に捕まらないのでしょうか。大法が開いた知恵により、いつも私は良い方法を見つけることができました。蚊取り線香で爆竹を鳴らす時間を延ばせば、私は現場を離れる時間が十分にあります。
この方法で、私は都会のいくつの場所で、「悪の限りを尽くした政治のならず者・江沢民が死亡し、人々は喜んで祝賀する」というメッセージを貼った爆竹を鳴らしました。私は爆竹を人通りのない場所に置いて、例えば大学の運動場の壁のはずれ所(ちょうど夏休みの期間なので、学生がいませんでした)、あるいは人が少ない道路の緑地帯や高速道路沿い、人が来なくて使われていない死角などの場所に置きました。私は蚊取り線香を挿した爆竹が設置してから、近くに座ったり立ったりして待ち、爆竹を鳴らし終わった後に離れました。爆竹の音が久しぶりに広州市で鳴り響いて、この祝いの音が、長年沈黙に包まれていた広州市を呼び覚ましたかのようでした。
ある夜、私は「悪の限りを尽くした政治のならず者・江沢民が死亡し、人々は喜んで祝賀する」というメッセージを貼った爆竹を、歩道橋の階段の花壇に置きました。夜にここを通る人はいないので、ここを選びました。爆竹を置く時、うっかりして蚊取り線香が爆竹の導火線に接触してしまい、爆竹はすぐに破裂し始めました。通りの向こうには公安支局があり、その時、私のカバンの中には他に二つの爆竹がまだありました。私はすぐに正念を発して、速やかかつ安全にその場を離れました。
このことを通して、私が再び体験したことは、師父が法を正すことを助ける大事な時に、自分の正念さえあれば、私は不思議な功能が持つことができ、超常の人になることができます。なぜなら、私が大法の修煉者であるからです。
師父が法を正すことを助け、人々を救い済度する中で出会った不思議なことは、まだたくさんありますが、ここでは一々全てを挙げることはできません。超常的な功能は、自分が功能を体験したいと思っている時には表れません。超常的な功能は、ただ自分の正念があるその時にしか表れません。たくさんのことを経験した後、このようの認識が出てきました。これらの奇跡は表面上、師父が法を正すことを私が助けたように見えますが、実際には奇跡の背後に表れたのは、法の神聖さです。それは慈悲なる師父の心のこもった加護と、師父がくださったものでした。師父は弟子が自分の威徳を樹立することを助け、弟子が人々を救い済度する中で、自分の世界を円満する機会をくださったのです。修煉すれば修煉するほど、師父の恩恵に感無量です。偉大で慈悲なる師父が期待されていることは、ただ弟子の皆さんが円満成就できることだけだと思います。弟子の私はただ努力して精進して、師父の恩恵に感謝するしかできないのです。
師父、ありがとうございます。同修の皆さん、ありがとうございます。
(完)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)