【明慧日本2012年7月22日】武漢市の法輪功修煉者・劉運朝さん(56)は、範家台刑務所に約3年間拘禁され、残虐な拷問を受け続けた末、今月7日の午後7時に死亡した。家族の話によると、劉さんの両目はほぼ失明し、会話は出来なくなり、意識がもうろうとしていた。多くの箇所に殴られた傷跡があり、足や手、背中の皮膚は紫色に変色し、無数の水ぶくれもできていた。毒薬を投与された疑いもあるという。
劉運朝さん |
湖北省沙洋範家台刑務所は悪行を積み重ねている。同刑務所はかつて、省内在住の鄭捍東さん・陳啓季さん・シン光軍さん・江中銀さん・郭正培さん・鄭忠さんの6人の法輪功修煉者を迫害し、死亡させた。また刑務官が拷問の際に薬物を使用することでも知られている。薬物の種類は非常に多く、チンキ・錠剤・粉剤などがある。多くの法輪功修煉者は、薬物による拷問を経験したことがあり、彼らは内臓や神経、消化機能、排泄機能、皮膚などに異常が現れた。
2009年4月、劉さんは黄石市下陸区裁判所から懲役7年を言い渡された。上訴したが裁判は行われず、懲役3年に減刑された後、范家台刑務所に送られた。区長の肖天波は「転向しなければ酷い目に遭うぞ」と劉さんを脅した。劉さんは拷問により半身不随になり、排泄さえ自力で出来なくなった。劉さんは生命の危険に晒されたため、刑務所病院に送られ、緊急措置が取られた。しかし河岸区610弁公室主任・胡紹斌は「あいつをそこで死なせろ」と話したという。
刑務所は責任から逃れるため、瀕死の劉さんを一度帰宅させた。地元の地域・町内の悪人は、劉さんが重傷を負っているにもかかわらず、絶え間なく嫌がらせを行った。そのため劉さんの傷はさらに悪化した。
范家台刑務所で暴行を受け、病院で緊急措置
2009年8月、劉さんは範家台刑務所に拘禁された。劉さんは修煉を続ける意志を貫いたため、日常的に警官と受刑者から拷問を受けていた。刑務所長の肖は非常に残酷な人間で、かつて法輪功修煉者を3人死亡させた。彼の指揮のもとで、劉さんは生命の危機にさらされた。
拷問の実演:暴力 |
2010年7月24日、警官の指示で受刑者・羅丹は順番に修煉者を殴った。羅丹は残酷無情で、マフィアの元用心棒だった。羅丹はまず数人の腹心を率いて法輪功修煉者・王徳林さんを、気を失うまで殴り続けた。引き続き7、8人が劉さんに向かって繰り返し暴行した。受刑者らは殴ったり蹴ったりしながら、大声で「幹部に殴れと言われたから私達は従う。なぜなら減刑されるから」と叫んだ。
その後、劉さんの身体は日増しに衰弱し、ついにある日、突然に腰掛けの上から崩れ落ちた。警官は劉さんを刑務所病院に送り、20日間あまり応急措置をとったが、病状は悪化する一方だった。刑務所は責任から逃れるため、電話で劉さんの家族に知らせて「脳溢血を発病した」と嘘をついた。
病床の劉運潮さん |
まだ回復していない傷 |
腫れた手 |
刑務所「この事を言いふらすな」
刑務所は家族に、「直ちに救急車・酸素を用意して迎えに来てほしい。すでに危篤になって、遅くなれば刑務所で死んでしまう」と言った。しかし翌日、刑務所は家族に「迎えに来なくていい」と言った。事態を把握できない家族は混乱した。
2010年8月28日、家族が刑務所病院に駆けつけた時、本人はすでに骨と皮ばかりに痩せこけ、足は青紫に変色し、意識はなかった。家族は何度も叫んだが、劉さんはため息をつくだけで、返事すらできない状態だった。
刑務所は悪行が暴露されることを恐れ、劉さんの家族を他の法輪功修煉者に接触させないように命じ、「この事を言いふらすな」と脅迫し、電話を不通にさせた。
610弁公室主任「あいつをそこで死なせろ」
家族は武漢市での治療を求めたが、刑務所は、「関連部門の30あまりの許可印が必要」と答えた。
2010年8月30日、家族はやむを得ず武漢市に引き返し、610弁公室・派出所・町内などに、印をもらいに走り回った。家族が河岸区610弁公室主任・胡紹斌にお願いしたところ、胡は無情にも「そこで死なせろ」と言い放ったという。
刑務所は責任逃れ
2010年9月7日、劉さんの兄が劉さんを迎えに来た時、刑務所は、早期治療を望む家族の心を利用し、医療費を負担させた。また家族が書面に署名した様子をすべて録画した。劉さんを迎える車に乗せた後、刑務所は「何があっても刑務所は一切責任を負わない」と再び家族に署名させた。
帰る途中、3台のパトカーが随行した。病院に到着し、入院手続きがまだ終わっていないうちに、警官らは去って行った。直後、劉さんの様子が急変した。家族は当時の光景を思い出しながらこう語った。「刑務所は薬物を投与したかもしれません。そうでなければ、なぜ途中で容体に変化がなかったのに、警官らが帰った後に突然悪化したのですか。しかも警官らは急いで逃げていったのです」
地元の610弁公室・派出所からの絶え間ない嫌がらせ
劉さんは数年間ずっと迫害を受けていた。妻は圧力に耐えられず離婚した。医療費は親戚中から集めたお金で支払われた。9月7日から14日までの1週間の医療費だけで、すでに1万元を超えた。
この時の劉さんはすでに心身に深刻な損傷を負い、下半身不随となって、排泄も自由にできず、会話はできなくなり、両手は固まって伸びたままになっていた。また意識はもうろうとしていて、迫害のことを言及すると、気分が不安定になって大声で泣き出したという。
劉さんがこのようになったにもかかわらず、地元の610弁公室・派出所などは絶え間なく嫌がらせに来た。彼らは転向の署名をするように強制し、意識がはっきりしていない劉さんの様子を見て、修煉者ではない兄に署名するよう脅迫した。しかも周囲に監視員を配置し、他の法輪功修煉者と会わないようにと警告した。劉さんの兄は常に弟を心配し、恐怖と不安に満ちた生活を送っていた。
両目がほぼ失明、両足は不具に
中国共産党が法輪功を迫害して以来、劉さんは長年迫害を受け続け、体に障害を負った末に死亡した。
2000年、劉さんは武漢市の百歩亭留置場に拘禁され、監獄に半月閉じ込められた。警官は強度のサーチライトで劉さんの目を刺激し、失明寸前になるまで障害を負わせた。劉さんの目で見える範囲は1メートル以内になってしまったという。出所した時、劉さんの両足も不具になっていた。
同年、劉さんは労働教養2年を強いられ、武漢市の何湾労働教養所に拘禁された。そこで、劉さんは非人道的な拷問を受け、警官に連続35日間吊るし上げられた。刑を終えた劉さんは、1カ月後の2003年1月、再び洗脳班に連行された。
2009年、黄石市第1留置場で、劉さんは苦しめられ、長期にわたって食事を充分に与えられず、虎の椅子と呼ばれる拷問器具に3日間縛り付けられた。
薬物を投与された可能性
劉さんの遺体には通常では見られない皮膚の損傷があった。足・手・背中の皮膚がすべて紫色に変色し、水ぶくれができていた。実情を知る他の法輪功修煉者の話によると、毒薬を投与された疑いがあるという。
多くの法輪功修煉者は范家台刑務所で毒薬を投与されたことがある。情報によると、監禁されている法輪功修煉者は、高血圧・臓器機能の衰弱・寒気・発汗・失禁・口から泡が出るなどの症状が出たという。刑務所の警官はさまざまな物に毒物を混入させる。ベッドの下敷・掛けもの・寝台の縁・壁・服・茶碗・トイレットペーパーなど。匂いのする薬物があり、あまり匂いのないのもある。これらの薬物は人の内蔵を破壊し、神経・血液などに異常が現れるという。
かつての乱暴者は法輪功を修煉して謙虚になった
身長180cmの劉さんは、子供の頃はよく喧嘩し、大人になっても性格は乱暴で、周囲にとって怖い存在だったという。劉さんは幸い法輪大法と出会ったため、生まれ変わり、常に他人のことを優先して考えるようになり、人生の意義を悟った。
修煉してからの劉さんは、「真・善・忍」の基準で厳しく自分に要求し、商売をする時にはルールを守るようになった。劉さんは自ら経験したことを他の修煉者に語ったことがある。「ある日、私は大変苦労して三輪車で太った親子を送った後、2人はお金を払わずにその場を去ろうとしました。私が、運賃がまだですと言うと、相手は口汚く私を罵りました。私は怒りが込み上げて殴ろうとしましたが、自分が修煉者だということを思い出し、修煉者なら殴られても殴り返さず、罵られても罵り返しません。私は怒りを抑えました。お金を儲けられませんでしたが、心性が向上したのだから、大いに価値があります」
「またある日、私は3人のお客さんを送っている時、道路の状況が非常に悪くて、お客さんは途中で降りようとした。私は自分が修煉者で、どこでも他人のために考えるべきだと思って、自分が降りて三輪車を引いて目的地まで送りました。お客さんは感激してお金を余計に渡しましたが、私は余分のお金を受け取りませんでした。利益の前で心を動じませんでした。あの時、私は大変心地良かったです。着実に修めるだけで、無私の楽しみが感じられます。私の妻も私が完全に生まれ変わったと褒めてくれました。普段の生活の中で妻に優しくしてあげているから」劉さんがこう語った時、目には涙がにじんでいたという。
元凶を処罰し中国共産党から離脱する
劉さんは迫害され死亡した。劉さんの家族と友人は悲しみや義憤を感じ、徹底的に加害者の責任者を追及する意思を固めている。中国共産党の悪質な迫害は、許されることではない。