【明慧日本2012年7月24日】黒竜江省七台河市の茄子河区の小学校元校長・李興平さんは、法輪功を学んでいるという理由で、1998年に学校から解雇された。1999年7月以降、労働教養処分を受け、3年の獄中生活を強いられた。2008年、以前勤めていた小学校が合併された際、中共(中国共産党)の弾圧政策のもと、圧力をかけられた小学校からボイラー室の熱湯工事係になるよう命じられた。
以下は、当人の証言に基づく迫害の真実の状況である。
私は、1996年に法輪功を修煉するまで、七台河市宏偉鎮の嵐峰小学校の教師を務めていました。そして、茄子河区紅衛鎮の小学校の校長に就任しました。その後も法輪功を学び続け、仕事はもちろん、いつでもどこでも「真・善・忍」の信条に基づいて自己を律しました。また、修煉するにつれて持病が全快しました。
しかし1998年、法輪功をやめないという理由で、同区教育局に降格を命ぜられ、一般教師として辺鄙な村の小学校へ左遷されました。1999年7月以降、中共の弾圧政策のもとで、地元の修煉者と同様に、警察により頻繁に嫌がらせなどをされました。その卑劣な迫害手段は、不当尋問や強制的な書類への捺印、また身分証明書などの没収に及びました。今もなお身分証明書は戻らず、生活においてさまざまな不便が生じています。
2000年2月、地元派出所の所長に指示された人に、派出所まで連行されました。そこでは、暖炉のスチールに手錠でつながれたまま、ひどい殴打や罵りを受けました。顔と口は血だらけになり、惨めな姿にさせられました。続けて、茄子河区公安支局での不当拘留を経て、七台河市留置場へ収容され、3カ月にわたって拘禁を強要されました。その間、給料の支払いを差し止められ、校長職を取り消されたうえ、辺鄙の村の小学校へ左遷されました。
2003年4月22日、茄子河区公安支局の政保科科長は、嵐峰派出所の所長と結託して、警官数人を引きつれ、私の家に無断で押し入りました。彼らは家族の反対を押し切って、私に手錠をかけ、茄子河公安支局へ連行しました。そして、「社会秩序転覆罪」という罪で公訴された私は、3年の労働教養処分を科されました。七台河市留置場での不当拘禁を経て、黒竜江省綏化市労働教養所へ移送されました。
3年の獄中生活から出所後、私は家に戻りましたが、茄子河区教育局の局長は、教職員の私に仕事を与えず、月300元の生活費の支給をすると言いながら就職活動を妨害しました。結局、こうして3カ月も妨害され続け、家から40キロも遠く離れた雲山小学校への職を手配されました。
また、区の教育局に教職の資格を剥奪されました。2008年、中共の弾圧政策において、圧力をかけられた元勤務先の嵐峰小学校から、理由もなく、教職を降ろされボイラー室の熱湯工事係に命じられました。
修煉者は、中共の弾圧政策において社会から誤解され、生活妨害や嫌がらせなどの迫害を受けています。一家離散や、労働教養処分による不当拘禁というような悲劇に遭い、身内を巻き込んだ嫌がらせ、拷問、拘禁、罰金、家財の没収、解雇などで精神的、肉体的にひどく痛めつけられています。私は、自分で命を断とうと考えたことがあったほど苦しめられました。
しかし、法輪功の書籍にしたがって自殺を考えるのを止めました。「ですから自殺は罪なのです」(『シドニー法会での説法』)、「殺生というのは非常に微妙な問題で、煉功者へのわれわれの要求もかなり厳しく、煉功者は決して殺生してはいけないのです」(『転法輪』)と書かれています。
1999年7.20以降、法輪功が中共により弾圧されて以来、私は中共当局による一連のひどい迫害を受けてきました。今までの迫害で、少なくとも26万元(300万円以上)を失いました。