【明慧日本2012年7月24日】江蘇省南京市に在住の法輪功修煉者・呉順珍さん(58歳女性)は、法輪功を学んでいるという理由で、中共(中国共産党)当局に14回も不当に連行され、南京精神病院、南京青竜山精神病院、南京刑務所、江蘇文東女子労動教養所、南京女子刑務所などの施設に累計8年あまり拘禁された。
呉さんはかつて、幸せな家庭を築いていたが、夫は中共当局の圧力に耐えられず、呉さんと離婚してしまった。現在、娘はアメリカに留学している。そして、呉さんの母親(80代)は10数年間、娘のことを毎日心配し、辛い日々を過ごしてきた。
2000年前後、呉さんは法輪功への迫害停止を求めて北京に行き、政府に法輪功の真相を伝えたが、中共当局の警官に不当連行され、刑務所に2カ月ほど拘禁された。その後、刑務所から出られた呉さんは直接、南京精神病院に移送され、1カ月間拘禁された。この間、呉さんの勤務先は中共当局からの圧力で、呉さんを解雇した。
2000年9月、呉さんは不当に連行されて青竜山精神病院に3カ月間拘禁された。
2001年9月、呉さんは人々に法輪功の真相を伝え、真相チラシを配ったという理由で、警官に不当に身柄を拘束された。呉さんは法輪功の信条を放棄するよう強要されるも屈しなかったため、再び青竜山精神病院に1カ月間拘禁された。
2002年11月29日、「真・善・忍」の信条を堅持する呉さんは、南京市白下区光華路派出所から労働教養3年を宣告された。2003年11月、呉さんは江蘇省女子刑務所第3大隊(法輪功修煉者を迫害する組織)に移送された。呉さんは労働教養所で即時に洗脳(信条を放棄することを強制する)を強いられた。
労働教養所側は呉さんを「転向」させるため、2004年2月、5月、11月の3回にわたって、呉さんを独房に拘禁し、拷問を行った。警官は受刑者を利用し、呉さんに対して1日24時間暴力を振るい続けた。呉さんはスタンガンでの電気ショック、長時間のしゃがむ姿勢、寒い日に屋外に立たされる、トイレへ行かせない、睡眠の剥奪などの迫害を加えられた。また呉さんは、殴打されて大量の髪の毛が抜け落ち、右目を負傷し、蛇やサソリで脅かされ、蚊取り線香で背中と腰を20数カ所焼かれたという。
これらの拷問を受けても、呉さんの意志は変わらなかったため、警官は呉さんを精神病院に拘禁した。しかし呉さんは依然として屈することはなかった。その後、警官は呉さんを独房に拘禁して誰とも接触させず、排泄や食事もすべて部屋の中で済ますようにさせた。
2006年、呉さんは刑期を満了した。警官は法輪功を放棄する旨の書面「三書」を書くよう強要したが、呉さんが拒否したため、警官から残酷な手段で迫害され、刑期を延長された。
その後、ようやく帰宅することができた呉さんは、4カ月後の2006年7月12日、再び南京市610弁公室と双塘派出所の警官らに不当連行され、南京市刑務所に拘禁された。
2007年8月、白下区裁判所は呉さんに懲役2年の不当判決を言い渡した。呉さんはすぐに上訴したが、中共当局の高裁から、原裁判を維持するという結果を下され、呉さんは南京市刑務所に拘禁された。
2008年7月、期間満了日を迎えた呉さんは、610弁公室の警官に南京市刑務所から省の興化洗脳班に移送され、3カ月間拘禁された。
2009年7月23日夜、呉さんは新街口で人々に法輪功の真相を伝えていた際、華僑路派出所の警官に不当に身柄を拘束された。その翌日、呉さんは南京市刑務所に拘禁された。その4日後、呉さんは労働教養1年を宣告され、江蘇省女子労働教養所に収容された。同施設で呉さんは迫害に抗議したため、1カ月間、期間を延期された。
2010年8月、呉さんは釈放された。同年12月、呉さんは他の法輪功修煉者2人と一緒に、法輪功の真相資料を配る際、江寧陶呉派出所の警官に身柄を拘束され、南京市刑務所に拘禁された。その後、呉さんは労働教養1年6カ月を宣告された。
2011年3月、呉さんは南京市刑務所から市洗脳班に移送され、5カ月間洗脳を強要されたという。
中共当局の迫害は、呉さん本人はもちろんのこと、呉さんの家族にも多くの苦しみを与えた。
呉さんの母親は癌を患ったことがある。病弱の母親は10数年間、警官が家に来るたびに恐怖を感じ、毎日を恐怖や不安、心配の中で過ごしてきた。
呉さんの娘は小学校5年生から、母親と一緒に過ごしたことが少ない。正月、祝日も母がいない日が多かった。また娘はいつも警官に尋問され「お前を大学へ進学できないようにする」などと脅迫されたこともある。
現在、呉さんは自宅にいるが、毎日、中共当局から監視されているという。