文/甘粛省の大法弟子
【明慧日本2012年8月26日】
三、広く真相を伝え、人々を救い済度する
中国共産党(中共)が大法を迫害して13年が経ちましたが、我が県の大法弟子も真相を伝え、資料を配ることを13年続けてきました。毎年全ての県に資料を何度も繰り返し配りました。遠く離れた山奥の小さな村にも真相資料を配り、小さな店でも真相紙幣を手にすることができました。私たちは相次いで三つの資料点を作りました。基本的に皆独立して運営し、良くやっていました。同修たちは皆自らの技術や才能を活かして、堅実に真相を伝え、三退を勧めてきました。私は政府機関に勤める機会を利用して、上司や同僚、学生、請願者、手続きに来た人などに真相を伝えました。三退をさせた人は県の幹部や科長、局長、一般職員、警察などを含め、610弁公室の人もいました。身分や地位を問わず、みな私が救い済度すべき相手として、必ず人を救おうと思っていました。私は数人の局長や書記に真相を伝えましたが、大部分の人は三退をしました。ある書記は真相が分かってから『転法輪』を学んで、感慨深そうに「本の中に書いてあるのは全て良い人になることで、党が反対するようなことは一つもありませんでした。私たちは党に騙されていましたね」と言いました。彼は自分が三退するだけでなく、家族4人のために三退をさせてくれました。去年、彼は書記の仕事をやめて退職し、完全に邪党と縁を切りました。
今年の6月のある日、私はパーティに参加しました。会場に着いてから上席の人に呼ばれてそこに座りました。上席に数人の局長と書記がいましたので、私は真相を伝えようと決めました。どのように話したらいいかと考えているうちに、ある局長が先に「私は咽喉に腫瘍ができたので、気管の切開手術をして1年過ぎたけれど、まだ少しかすれ声です」と言いました。「中央テレビで放送された焼身自殺事件の劉思影さんは、気管切開術を受けてもはっきり話したり、歌を歌ったり、インタビューまで受けましたよ」と私は冗談で言いました。皆が笑いました。その局長は「あれは全く噓です。私は身をもって体験しましたが、気流が全然声帯を通らないので、どうやって声を出すのですか? その時はすごく痛くて、大きく息をすることもできませんでした。焼身自殺は全部ウソでした。一目見てわかります」と言いました。私が焼身自殺事件の幾つかの疑問点を話すと、皆は納得しました。局長たちは共産党があまりにも腐敗しており無能だと罵りました。火遊びをする者はいつか必ずその身を焦がすもので、共産党は必ず崩壊します。彼らが真相を分かって、私はうれしく思いました。
このことを通して私が悟ったことは、人を救う心さえあれば、口を開いて話せば、師父は全て按排されますから、必ず成功するのです。ただ時々、私は多くの人心に妨害され、前に進むことができず、人を救う多くの機会を失ってしまいました。
四、明慧ネットへ積極的に参加する
明慧ネットは大法のウェブサイトです。ここは慈悲で偉大な師父が私たちのために開いてくださった修煉の交流の場で、師父は、重要な問題は明慧ネットの方向性を見るように言われました。私は2003年、職場でグーグル検索をして明慧ネットに接続し、資料をダウンロードしたことがありました。その後、私はパソコンを買い、2006年7月に資料点を作り、その時からインターネットを安定して見ることができるようになりました。2008年に私は不法に労働教養を科され、2年間明慧ネットに接続することができませんでしたが、それ以外は基本的に毎日明慧ネットに接続し、修煉の向上において大きな力になりました。
修煉者として、ただ求めるだけで返さないのはいけないと思い、私は2004年から修煉体験や悪人を暴露する資料などを明慧ネットに送りました。明慧ネットが何かを必要とする時、私はいつも積極的に情報を集めて送りました。私は以下のことをやりました。一、迫害の証拠を集める。私は政府機関で働く便利な条件を利用し、県の委員や610弁公室から送られてきた文書をスキャンしてアップロードし、邪党の迫害活動を暴露しました。二、悪人と警官のリストや電話番号を収集する。それは国内や海外の同修が真相電話をかける資料になります。三、同修が迫害を受けた情況を暴露する。四、悪人や警官が応報を受けたことを伝えて、世の人々に警告し、邪悪を怖がらせます。五、世の人々が真相を理解して福を得た例や、周りに起きたことを伝えて、彼らを目覚めさせ救われるようにしました。
五、修煉の道を正しく歩み、良い手本になる
大法弟子はあたかも、それぞれが生きている真相資料だと思います。常人社会では、人は直感的に大法弟子がやることを見て大法を評価します。ですから私はいつも真善忍の基準に従って、自らの言うこととやることを要求し、名利を淡々と見て常人と争わず、日常生活の中で大法弟子の素晴らしさを実証しました。2001年、職場で資金を集めて住居を建てる特点がありました。多くの若者には住居ビルの割り当てがない上、たとえ登録しても条件の良い階をもらえませんでしたが、私は自発的に配分された条件の良い2階を譲りました。
2002年から、私は制度改編を行うある企業を管理する仕事を担当しました。労働者の身分を変えることから、残った問題の処理、会計まで各方面で私は労働者のために尽くして、できるだけ便利な条件を提供しました。ある時、局長は裏で手配して、2万8千元を横領して2人で分けようと私に提案しました。私は修煉者として絶対に不正な利益を得てはいけないと思い、局長の言うことに従いませんでした。そのため局長は、私が大法を修煉しているという理由で私を迫害しました。私は何度も彼に大法の真相を伝え、正念も発して迫害を終わらせようとしました。師父の慈悲なる加持のおかげで、まもなく局長は転勤になりました。企業の改編が終わった後に、私はそのお金を全て出しました。新しい局長がそのことを知り、労働大会の時に私のことを褒めました。「制度改変を行った別の企業は、会計がめちゃくちゃになってしまい、大部分は赤字になりました。しかし○○さんが管理するこの企業はさまざまな問題をよく解決できて、余剰金までありました」と彼は言いました。その後、この局長は私に敬意を持って、いつも裏で私を保護してくれました。一部の労働者は私が馬鹿で頑固だと言っていましたが、私は何も釈明しませんでした。皆は私がいつも厳しく自分に要求して、真面目に働き、貪欲なところがなく占有もしないのを見ました。ほかの人は多くのレポートを何度も繰り返して出しましたが、私は一回だけで済み、上司もとても満足していました。そのため、皆は私のことを裏で話さないようになり、私のことを称賛しました。私が真相を伝えるとき、彼らは喜んで聞いてくれました。多くの人が真相を知り、素晴らしい未来を選びました。
師父の慈悲なる加持の下で、私は法が正されるなかで12年間修煉しました。私は歩みながら転んだり起きたりしてきましたが、師父の最新の説法『大法弟子とは何か』の中で要求されることにはまだまだ遠いと思いました。精進している大法弟子に比べると、三つのことは少しだけやって、ごくわずかなことでした。それに私はまだ多くの人心があり、顕示心、歓喜心、闘争心などをまだ取り除いていないのです。私は最後の限られた時間の中で真面目に学法し、精一杯修めて、三つのことをよくやりたいと決意しています。時間を大事にして人々を救い済度し、仕事と責任を尽くし、誓いを叶えて、師父とともに家に帰ります。
師父、ありがとうございます! 同修の皆さん、ありがとうございます! 合掌。
(完)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)