文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年9月10日】2005年8月、私は家庭での資料作りの拠点を作りました。仕事の時間が調整され、二人で交替勤務になり、私は休みの時間が半日できました。十分な時間があったので他地区の同修に技術を学びに行きました。自分にこの心があったので、師父が手伝ってくださいました。分からないことがあったら、同修が教えてくれ、私はすぐインターネットにつなげて、資料をダウンロードして、真相資料、お守り、大法書籍を作ることができました。
時間的に余裕があると、トラブルもやってきました。同僚の女性は用事があるといって、私の時間を占用しがちでした。しかも、私の当番のときはいつもハードな仕事でした。修煉の道で偶然なことはありません。私は自分の心の容量を増やすときになったのだと思いました。心が穏やかになり、同僚の勤務交替の電話があっても、うらむ心がなく、黙々と行うことができ、休憩のときは着実に学法をしました。他人は、なぜいつも私一人で働いているのかと聞いてきますが、その時、私は穏やかな心で、彼女は家で用事があると話しました。年末に、会社の役員が「あなたは本当に他人と違い、こつこつと働いています。会社はそれなりの補償をしたいと思います」と言いました。後で、会社から一袋の米と小麦粉、油の樽と500元もらいました。これは、師父が私を励ましてくださっているのだと分かりました。
上司の一人が、私が大法を修煉していることが分かってから、私と話し合いました。私は簡単に、大法を修煉してからの自身の変化を話しました。彼は何も言いませんでした。ある日、私は用事があって彼を尋ねると、彼は武術小説を読んでいました。彼は私を見ながら「あなたの師父はこの本の主人公と比べて、どちらのカンフーがすごいですか」と軽い調子で話したので、私は厳粛に「私は非常に師父を尊敬しています」と話しました。その後、彼は再び私に冗談を言いませんでした。
私は、同じ休憩室を使う4人に真相を伝えて三退させました。一人は師父の説法を聞をいたことがあり、ほかの一人は『転法輪』を読んでいると話しました。以後の付き合いの中で、私は自分がよく行わないことで、大法に泥を塗ってはならないと常に修煉者の基準で自分を律しました。常人の生活の中でトラブルは避けられません。常人同志が互いに腹を探り合って暗闘する中で、自分も知らずに口を挟みその中に参与していることに気づき、口を修めなければならないと思いました。その中に参与しているということは、自分にもその執着があり、すべて因縁関係があり、修煉者の角度から見ておらず表面の理で是非を見分けようとしました。
その後、彼女たちに、修煉の物語を話し、大法が素晴らしいと唱えるとよい報いがあるなど、善悪には報いがあることを話しました。同僚間にトラブルが生じた時、私は互いに寛容にすべきだと勧め、善で悪を制止する伝統文化の道理などを話し、みんな互いの縁を大事にすべきだとも話しました。この8年間、後方勤務部門は、トラブルで上司に報告した人はおらず、部門管理人にも負担をかけませんでした。会社の社長は私が大法を修煉していることを知り、私と話し合いましたが、彼は現実的な利益の影響で、大法を避けようとしました。しかし、私のことを非常に高く評価してくれました。ほかの部署の人に、みんなが私のような態度で仕事に望むと、自分は安心すると言いました。
こつこつと働き、利益の方面では他人に譲り、仕事場は非常に良い環境でした。社長は私たちと会食したとき、みんなの前で私を褒めました。正しい思惟、正しい理念など連続して「正」の言葉を使い、最後に真に精進していると話しました。私は、これは師父が弟子を励ましてくださっている言葉なのだと分かりました。
(完)