文/山東省の大法弟子 香蓮
【明慧日本2012年10月5日】
三、真相を伝え、衆生を救う
最初、私は真相資料を配るだけで、常人と対面して真相を伝える勇気がありませんでした。2009年、神韻のディスクを手に持って、どのように常人に紹介すればよいか悩んでいました。
ある日、苦しそうに歩いている若い男性を見て、「あ、チャンスだ」と思って彼に近づき、礼儀正しく「こんにちは、足が痛いのですか」と声をかけました。
「いいえ、痔が痛いのです」と彼は答えました。
「あら、私も以前は痔が痛かったのですが、今は治りましたよ」
「そうですか、どのように治療したのですか」
「法輪功を修煉したのです」
「法輪功? テレビで言っているあの……」
彼が言おうとすることを遮って、私は法輪功の病気治療と健康保持の効果や、いかに良い人になるかについての教えと、大法がどのように広まったか、天安門焼身自殺の真相などを一通り話しました。彼はとても驚いて真相も分かり、とても喜んで神韻のディスクを受け取りました。これは私が初めて知らない人と対面してディスクを配った経験です。その日、私は5枚も配り、ついに第一歩を踏み出しました。
ある日、道端で休憩中の10数人の出稼ぎ労働者のところに行き、資料を出して真相を伝え始めました。「資料は要らない」という若者に、ある年配の労働者が「もらっておきなさい。どうして要らないのですか。こんなに良いことが書いてあるのに」と言いました。私が彼のところに行って聞くと、彼も含めてここにいる10数人の大半がすでに「三退」をしたそうです。私は残りの人に脱党を勧めて、2人が同意しました。
時には、真相が分かって目覚めた常人も、進んで真相を広めてくれます。同修から聞いたことですが、ある農民は真相資料を見た後に脱党したいと思いましたが、どこに行ったら脱党できるかわからず、政府に行きました。政府の役人は彼に「あなたは法輪功か」と訪ねると、彼は「いいえ」と答えたので、「法輪功ではないのに、なぜ脱党するのか」と聞くと、彼は「以前、罪もないのに留置場に拘禁されて殴られた上、500元(約1万円)の罰金を受けたことがあります。だから、邪悪な共産党から脱退したい」と役人に告げました。彼は真相資料を自転車のハンドルに貼って、どこに行っても真相を宣伝してくれています。
常人と対面して真相を伝える中で、正念の偉大な威力も現れています。ある日、私は幹線道路の電柱に真相資料を貼った時、1台のパトカーが3メートルほど先に止まりました。私は心の中で「師父、私はこの警官に業力を作らせたくなく、彼を救いたいのです。どうか、彼をここから離れさせてください」と師父に助けを求めました。そして絶えず心の中で発正念の口訣を念じ、パトカーの反対方向に歩いていきました。そのパトカーはいつの間にか去っていきました。
明慧ネットに『爆竹を鳴らして祝おう』という文章を掲載した後、私達はその文章を印刷して、神韻ディスクの中に入れて配りました。これは法を正すことがここまで進んできたということで、つまり天象の変化だと私は思っています。『転法輪』のなかで師父は「もし天象変化の下でその通りに動く人がいなければ、常人社会にある種の状態がもたらされることがないのですから、天象の変化とはいえなくなります」と説かれました。配る時に私は「江沢民はすでに脳死しており、共産党は情報を隠しています。爆竹を鳴らして、邪気を追い払えば福を得ることができます」と説明をします。
四、衆生を救う中で心性を高める
数日前、ある同修は一束の真相資料を私に貼ってほしいというので受け取ったのですが、なぜ自分がやらずに私に貼らせるのかと少し不満に思いました。私は団地に入って、マンションの扉に1枚貼りました。扉は路面まで6段の階段がありましたが、私は階段のことを忘れて、貼り終えて振り返って前に一歩踏み出しました。師父のご加護がなければ、私はきっとそこで転んだでしょう。家に帰った後、私は内に向けて、自分の不満の心を探し当てました。真相資料を貼ることは本来すべての大法弟子の責任なので、それを頼んできた同修には感謝すべきなのに、私はかえって彼女を不満に思いました。団地に貼りに行ったのですが、考えが法に則っておらず、結局転びそうになって、師父に迷惑をかけました。本当に申し訳ありませんでした!
もう一つは、私と同修Dさんが一緒に外で資料を配り、真相を伝えた時のことです。私は最後に残った少数の資料をDさんに渡して、「あなたの状態は私より良さそうなので、これを全部配ってくださいね」と頼みました。Dさんは少し嫌だったのかもしれませんが、何も言わずに向こう側から来た男女に配りました。その2人は私服警官で、Dさんを掴んでなかなか手を放しませんでした。私はその男性に、「お兄さん、あなたはとても善良な人のようなので、私たちはあなたに真相を伝えようとしたのです。このおばちゃんを放してください」と頼みました。彼は「あなたたちはこんなに年を取っているから、かわいそうだね。今日は放してあげるので早く帰ってください。あなたたちは被害者だ」と言いました。私は両手で合掌して涙を流し「本当の被害者はあなたたちです。私たちはあなたたちを救おうとしているのですよ」と話しました。
帰り道で私はDさんに「2人で早く内に向けて探しましょう。どうしてこんな事が起きたのか」と言いました。家に帰ってから探すと、私はやはり自分に不満の心が見つかりました。夫が亡くなった後、私は1人暮らしをして、どんなことがあっても頼れるのは自分しかおらず、同修たちは助けてくれないと普段よく思いました。また、午後の出来事も、Dさんが資料を配る時に、理性的なやり方ではなかったので私服警官に捕まったのだと思った瞬間もあり、Dさんのせいにしていました。
師父は『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』の中で「皆さん考えてください。私は話したことがありますが、あなたが行なったことは法に則っていなければ、法の力がなければ、あなた自身がしっかり修めることができなければ、そのことを円満に行なうことができません。あなたはそのことを行なったかもしれませんが、そのことは作用を働かず、人を救うことができず、邪悪の要素を解体することにもあなたは作用を働くことができません」と説かれました。師父の言葉と照らして、私は本当に恥ずかしくなりました。午後の出来事は、私が法に則っておらず、人心を帯びたせいで招いたのかもしれないのに、Dさんのせいにするなど、私は本当に師父に合わせる顔もなく、自分の使命に合わせる顔もありません!
また、このようなこともありました。ある日の交流の時、私の発言を聞いて、同修のEさんは「あなたのやり方は、常人に業を作らせることと同じだ」と批判しました。私はその言葉に耐えられず、人心を持って彼と口論し、最後にはかんかんに怒って、扉をパタンと閉めて出ました。帰り道に他の同修は「あなたの今日の振る舞いは、普段の修煉状態とはまったく別人のようです」と言いました。
家に帰って冷静になって、人に批判されたくない心、独りよがりの心を見つけました。幼い時から私は負けず嫌いで、何事も自分の思う通りにしたく、自己中心で反対意見を聞くことができず、人の批判も受けたくないのです。修煉してからも、これらの欠点が直っていません。今日のことも、私の修煉の至らないところが現れたのです。翌日、私は誠心誠意Eさんと交流して、彼の提案と批判に耳を傾けました。私が正しく行なっているため、彼も昨日のことを一笑に付しました。自分の悪い物質を取り除いたため、思想の境地が昇華して、体もうんと軽やかになりました。私の胸は師父に対する感謝でいっぱいでした。
以上は自分が三つのことをやり遂げる中での些細な体得です。正しくないところは同修の慈悲なるご叱正を仰ぎたいと思います。
師父、ありがとうございます! 同修のみなさん、ありがとうございます!
(完)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会原稿)