文/中国東北地区の大法弟子
【明慧日本2012年11月1日】私はひたすら学法し、時には一日に3講読みます。師父は『転法輪』の第四講で「あなたは他人の生活に干渉し、他人の運命を左右することができるはずがありません。妻や息子、親、兄弟な どのような家族の人たちの運命も含めて、他人の運命があなたの思い通りになることがありえるでしょうか?」と説かれました。なるほど、ここ数年間、私はずっと妻と息子の生活を左右しようとしてきました。しかし、しようとすればするほど、妻と息子は私の話を聞いてくれません。世の中で、自分は誰を左右できるのでしょうか? 自分をしっかり修めれば、はじめて天国に戻ることができます。そこで、私は妻と息子を左右しようとする考えと、情に対する執着を放下するように努力し始めました。腹を立てたり妻と息子に自分の考えを押し付けたりしようとする時、私は心の中で「放下します、放下します、徹底的に放下します!!」と強い一念を出します。発正念をする時も、「表面から最もミクロの次元まで、妻と息子を左右したい観念を一掃します」と、放下したい観念を狙って正念を出した時もあります、毎回発正念してから、心の中が広く明るくなったと実感しました。
息子は内気な性格で、進んで私と会話をほとんどしません。息子との関係が冷たいと、妻はよく「毎日自分のことしか考えないあなたは出家したらよい」と私を責めます。私の情緒が不安定な時に息子をしつけたら、息子との間の壁はさらに厚くなったと感じます。私は慈悲と善がなく、「情」で息子をしつけようとしていますが、「情」からは良い効果を収めることができません。かえって相手の気分を悪くさせるだけです。
息子がネットカフェに溺れて数日帰宅しない時、私と妻は商売そっちのけで探し回りました。家を中心に10キロ範囲内の百軒近くのネットカフェを一軒ずつ、一日中探しました。夏場は暑くて、妻の顔は日焼けをして、疲れて辛くなり、道端に座ってヒステリックに泣きました。この一幕を見て、人間になるのは本当に苦しいと感じ、息子に大きな恨みを持つようになりました。「息子が警察に捕まればいい。刑務所の中でひどい目に遭えばきっとおとなしくなって、私たちもしばらく楽になるだろう」と望みました。
何回も息子は夜になっても帰らないので、深夜12時の発正念が終わった後、私は門をロックしました。妻は「彼はまだ子供なので、あなたは彼を外に追い出すのと同じだ。それでもあなたは煉功者なのか」と私に怒りました。時には、息子がせっかく夜中に家に帰っても、門に入れないので、またどこかに行ってしまいました。そして私に「私はただネットカフェに行っただけなのに、そこまで冷たい仕打ちをするのか」とメールを送ってきました。
ある日、私が学法をしている時、妻は「もう夜9時過ぎだ。息子はまだ帰って来ていないのに、あなたは探しもせずに、ずいぶん利己的だ」と言ってきました。修煉者は最も「利己的」と言われたくないので、私はすぐ服を着て、息子がよく行っているネットカフェに行きました。秋風は少し寒く霧雨が降り、街は静まりかえっています。「おまえのせいで私は学法さえちゃんとできない」と、私は心の中で息子に文句を言っていました。
道路を横切る時、私は左右を確認した上で歩き出したのに、突然一台のオートバイが右側から私にぶつかって、その後10数メートル先で転倒しました。私の左足に激痛が走り、全身の感覚が麻痺しました。その時、頭に湧いてきた第一念は「大丈夫だ! 私はきっと大丈夫だ!」でした。私は左足の状況を全然見ずに、歯を食いしばって立ち上がり、オートバイの運転手に向かいました。
その時、『転法輪』の中で学習者が車にぶつかった時のことが書かれた部分を思い出して、絶対にしっかりと心性を守ろうと決心しました。運転手は地面にしゃがんで、両手で頭を抱えて苦しそうな表情をして、「私はもうだめだ、立ち上がれない」と言いました。突然、彼は怪我をしておらず、嘘をついていると私は分か りました。「立ち上がってください。私は法輪功を修煉しているので、怪我をしていません。あなたも帰っていいですよ。ただ『法輪大法は良い、真善忍は良い』と覚えてください。もし私が法輪大法を学んでいなければ、今日のことはただでは済まないですよ。弁償してもらわないといけません」と彼に言いました。彼は、自分は出稼ぎ労働者だと、酒の匂いをぷんぷんさせながら言いました。彼は「お兄さん、あなたは本当に良い人だ、あなたに叩頭したい」と言いながら私に跪きました。
こんなことに遭った経験のない私は驚いて、「とにかく立ち上がってください。『法輪大法は良い、真善忍は良い』を覚えれば、災難から逃れることができます」と言いました。彼も快く私の言葉を受け止めました。
私は彼のオートバイを支えるように起こすと、彼は体を揺らしながらオートバイに乗り、突然、大きい声で「法輪大法は良い! 真善忍は良い!」と叫びました。風は先ほどと変わらず吹いて、雨も変わらず降っていましたが、私の心の中はとても熱くなりました。彼を見送ってからやっと自分の体を見ると、上着の前面は引き裂かれて、ズボンには手のひらほどの穴が開き、ふくらはぎの皮膚が黒紫色になっていました。そこは3年経ってもまだ青みを帯びた紫色のままでした。
家に帰ると、なんと息子はとっくに帰って来ていました。彼を探すためにぶつけられたと聞いて、「どうして私を探さなければならないのか? 私が自分で帰ることを知っているのに」と叫びました。妻はそばで「本当に役に立たない人だ。歩くだけで車にぶつけられるなんて」と私に怒りました。
この件を通じて、自分が生きていても死んでいても、身内や友達の生活は少しも変わらないこと、他人が私を左右することができないように、私も同じように他人を左右することができないこと、人の歩む道は異なるが、どの道も神の按排なので、人間は神の按排を変えることができないという理を私は悟りました。それから私は、観念を絶えず変えて、情を絶えず放下しました。大法弟子として、私は良くない個性と観念を変えなければならず、穏やかな心理状態と慈悲の心で身内に影響を与えて、彼らに大法の素晴らしさを見せようと思いました。
学法して着実に修煉する中で、私の向上につれて妻と息子も良い方向へ変わりました。私は彼らの変化に固執しませんでしたが、すべて自然に変わっています。師父は『ヒューストン法会での説法』で、「皆さんが一つの家庭に転生するのも、この世にやってくるのも、旅館に泊まるようなものです。ただ一晩泊まって、翌日には別れてしまい、来世には誰が誰かを覚えているのでしょうか。あなたの周囲にもあなたがかつて愛した夫やほかの身内の人がいますが、あなたは覚えていますか? その人たちはあなたを覚えていますか? 私が話したのは法理です。皆さんに親孝行をするなといっているのではなく、この心を放下するように言っているのです。いかなる心に引きずられても修煉はできません。それはあなたを執拗に引きずってあなたを修煉させず、成佛させません。この角度から見ると、それはあなたを邪魔しているのではないでしょうか? あなたが成佛するのを妨げているのではないでしょうか」と説かれました。
息子が変わって、家庭内に春風が吹き込んだと思った時、思いもよらないことに、息子は私たちに内緒で、こっそりと、もっと大きなお金の窃盗を企んでいました。
(続く)