――12年の修煉過程の一部
文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年11月4日】修煉して12年来、修煉体験を書いて投稿することも大法を実証することだとはずっと考えず、前の7回の中国大陸大法弟子の修煉心得交流会の中で、私は第1回と第7回しか参加しませんでした。この2回の参加も同修の励ましと師父の啓示の下で参加したのです。今回、明慧ネット第8回大陸交流会の応募が始まりました。私は思うには、投稿は自分を実証するのではなく、大法を実証し、大法の威徳を証明し、同修と共に更なる大きな範囲で比して学び、比して修する環境を作り、限りある時間の中でさらに責任をしっかり負い、多くの衆生を救い済度するためです。修煉体験を書いて投稿することは修煉の過程でもあります。以前、私はこの方面で漏れがあり、修煉の漏れを向上させるべきだと思いました。今回それを必ず補い、昔を振り返ると、本当に光栄の至りでした。
一、魔の妨害を突破し、幸いにも“真・善・忍”を得た
1998年5月13日、ある知人は彼女の家で気功講演の録画を見に来ないかと私を誘いました。私はこの誘いを受けましたが、以前、友達からこの気功、あの気功の講演を聞きに行くことを誘われても、私はいつも断り、そしてあの人たちの頭はおかしいと嘲笑っていました。
この日、私は知人の誘いに応じたことを後悔しました。午後2時半、相手は電話で「早く来てください」と促しました。そのとき、業力と魔は私の観念を利用し、私が法を得ることを妨害しました。電話を切ると、私は突然誰かに睡眠薬を飲まされたようにまっすぐベッドに倒れ、すぐ夢の中に入りました。夢の中で、私はこの知人の家に着き、彼女はドアの隙間を開き、私がドアの隙間から中を見ると、6~7人の主婦が1人の背が低い男性気功師を囲み、その男性は身なりを構わない人で、白髪が多く、ぼさぼさで、彼女たちに気功を話していて、隙間からドアの外にいた私を見ました。まだ修煉していない私は傲慢で、こんなにレベルが低い人は気功師にふさわしくないと思いました。
突然、電話がまた鳴り、私を夢の中から起こしました。その知人は「どうしてまだ来ないの? もうだいぶ上映しましたよ」と言いました。夢の中の気功師のイメージを持っていた私は「その録画の中に気功師が映っていますか」と聞きました。相手は「います」と答えました。私は早速走って知人の家に着きました。テレビの画面に映っていたのはハンサムで特別な風格がある方で、大変親切に右手を振られ、指で数えながら「これは宇宙の特性である真・善・忍です」とおっしゃり、声は力強く高らかでした。クローズアップされた大画面に先生の顔が映り、肌は赤ちゃんよりきめ細かく、きれいでした。私は大変驚き、心が大きく揺り動かされました。普段、画面に近ければ、肌のきめの粗さが見えるはずですが、この先生の肌と顔色はなぜこんなにもきれいなのでしょうか? そのとき、私の心底から大きな喜びと敬慕が湧き上がり、「こちらは私が探している師父なので、私は真・善・忍を愛しています」と言いました。
二、意外なところで宝の本である『転法輪』をいただいた
その日、私は知りませんでしたが、自分が認めた師父は当初、多くの人に法を教えられ、名声が中国に広く知れ渡っている李洪志先生その方で、真・善・忍は法輪功なのでした。翌日、当時34歳で、仕事の忙しさで子供の勉強に関して何の面倒を見ていなかった私は、突然思いつき、子供の宿題を見てみようとし、学校のカバンを取りました。不思議なことに、子供の大きなカバンから一冊の『転法輪』が落ちました。私の目線は『転法輪』に集まりました。私は、この本はどうしてこんなに厚いのでしょうか、しっかり読んでみようと考えました。
読むと、私は食事、睡眠、仕事、子供の宿題のチェックを全部忘れ、一気に本を拝読しました。それから、私は開眼、法身、修煉などが分かりました。私は子供に「『転法輪』は宝の本ですよ、あなたは縁があり、しっかり学んでくださいと言いました。しかし、息子はまじめな様子で、「お母さん、あなたの縁はさらに大きいですよ。他の人は師父の法身に本屋へ連れていかれ、本を購入したのですが、あなたは違い、師父はこの宝本を直接あなたの手に届かせました。しっかり修めましょう」と言いました。
三、大法の不思議さが現れ、私は修煉する決心を固めた
1998年8月3日、私は外国に視察と観光に行く前、『転法輪』をスーツケースに入れました。列車に乗車した後、私は本を開いて拝読し始めました。しばらくして、一行一行の文字が純金のネックレスのようにきらきらと光り、その後、字の裏から金の光が放たれて本が消え、紙が消え、字も消え、字は広い野原に行ってしまい、小さい文字は大きくて芸術的な立体文字になりました。私は静かにその立体文字を拝読し、字の後ろには果てしなく広がっている田畑が見え、田畑の中に木の列、動物のようなものがありました。私は拝読すれば拝読するほど夢中になり、そのために京九鉄道が大洪水によって破壊され、列車が停車し、12数時間遅れたことを全く知りませんでした。
列車は翌日の2時に広州駅に到着予定でしたが、朝8時、「漢口で下車するお客様は降りてください」という車内放送がありました。私は「え?」と思い、車掌に聞きました。車掌は洪水のせいで列車が12時間遅れたことを教えてくれました。この列車に乗り続けると午後の4時に広州空港に到着することは不可能だとわかり、私は「もうだめだ、出国できない」と思いました。ある乗客が、漢口に天河空港があり、そこから広州に飛ぶほうがいいと勧めてくれました。私と主人は下車し、タクシーで天河空港に到着しました。そのとき、1人の男性が2枚の航空券を持ってキャンセルに来て、私たちはこの2枚の券を手に入れ、予定通り広州空港に到着しました。158人の団体旅行でしたが、洪水のため到着したのは98人でした。私たちが集合場所に着くと、多くの友達は喜んであいさつに来ました。
山西政法大学の教授は握手をしながら、私が手に持っていた『転法輪』を指して、「早くしまってください。上にこの先生を迫害したい人がいるよ、私たちの政法界ではすでに、このことがひそかに伝えられたよ」と言いました。私は「この功はすばらしいです。良い人となることを教えているのです」と言いました。
タイのバンコクのホテルに入った後、私はこの法輪功の本があまり不思議だと思い、バンコクでの旅に全て参加せず、ホテルの部屋でこの本を拝読することにしました。主人と友達がみなホテルを出ると、私はすぐドアを閉め、本を立て、師父の法像に向かって、「師父、私も修煉したいです」と真剣に大声で言いました。当時、私は「佛性がひとたび現われると、十方世界を震わす」(『転法輪』)を知らず、前回のビデオを見た時はただ心の中で思っただけなので、師父はお知りなられないため、今日は大声で言い出し、私を弟子として扱っていただくよう師父にお願いいたしました。
(続く)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)