文/屹然
【明慧日本2012年12月27日】「尊厳」は人生の価値の中で非常に重要な部分で、それを第二の生命と見なす人もいます。大法弟子として、「真、善、忍」をすべての基準にするほか、私たちは自分の尊厳を重視する必要があるでしょうか? どのような視点で修煉者の尊厳を見るべきですか? 次のいくつかの事例を通じて、自分の観点を述べたいと思います。
例1。私が労動教養所に監禁された時の出来事です。ある日、女性警官Aが私たちの部屋に入った際、部屋にいる人は全員起立しました。他の部屋から移動してきたばかりの私はわけが分からなくて、うっかり起立しました。しかしすぐ分かったのは、10数人の大法弟子が整然と起立して迎えたAは、ただ雑談の相手を探すために来たのです。みんなはずっと体操の時の「気をつけ」の姿勢で立っています。私はある同修に理由を聞くと、同修は「これは彼女らが決めたルールで、彼女らが許可するまで、時間の長短に関わらず、私たちはずっと立っていなければなりません」と教えてくれました。この話を聞いて、この上ない恥辱感が胸を襲って、これは大法弟子の尊厳に対する大きい侮辱だと感じて、私は直ちに座りました。Aは「あなた、彼女らが皆立っているのが見えないのか」と言いました。「彼女たちはみんな間違っているのです」と私が答えると、Aは「起立して」と命令して、私は承知しませんでした。Aは私を引っ張ろうとして、私は抵抗しました。私をどうしようもないと見て、Aは隊長を呼んで来ました。隊長は私に起立しない理由を聞き、私は「Aは私たちを故意に侮辱しますから」と答えました。すると、Aはなんと「誰がなんと言おうが、とにかく私はあなた達を侮辱したいのだ」と言いました。その話を聞いて、大法弟子の尊厳を守る決心がいっそう強まって、私は「これからあなたたちに対して、私は絶対起立しません」と言いました。隊長はAを叱って、Aは泣いて走って部屋を出ました。
翌日、Aはうっぷんを晴らすために仲間2人を連れてきて、2人も私に「どうして起立しないのか」と聞きました。私は沈黙を保つと、彼女たちはなかなか帰ろうとせず、しかも何回も何回も私に答えを強いました。大法弟子の尊厳がこんなに侮辱されることに心を痛めて、私は彼女たちの目を直視して、「起立したくないために起立していません! 分かったのか?」と一字一句で答えました。2人は一言も言わずにがっかりして帰りました。そして当日に、隊長は警官たちを集めて、今後私たちの部屋に勝手に入ってはいけないとのルールを伝えました。これは大法弟子が起立しない権利を認めることに等しいです。それから用事がある時、警官らは入り口で話して、誰もが勝手に私たちの部屋に入ったりしなくなりました。大法弟子たちももちろん警官らのために起立することがなくなりました。一方、一般刑事犯を拘禁しているほかの部屋では、警官が入るたびに、囚人らは通常とおりに起立しなければなりません。
ある日、隊長は私に「当時、なぜあなたはどうしても起立しなかったのですか」と尋ねました。私は「大法弟子はみんな良い人ですが、良い人とは、虐められてもいいというわけではありません。良い人には尊厳があります。悪い人は良い人を虐めると罪になるので、大法弟子の尊厳を侵害すると、さらに重い罪になります。だからあなたたちのために考えても、大法弟子は起立しません」と答えて、隊長は笑みました。
例2。去年のある日、近くに住むある中学生の保護者から電話がかかってきて、息子に英語を教えてほしいと頼んできました。彼女の家は我が家の近所で、息子は我が家にとても来やすいですが、息子が階段を上り降りするのが疲れると思い遣って、私に彼女の家に来てほしくて、つまりお金を使って「家庭教師」として私を雇いたいということでした。私がきっぱりと断ると、彼女は「給料を倍にします」と言いました。私は「お金の問題ではありません。私は誰かの家に行って家庭教師なんかしません。学びたいなら私の家に来てください」と言いました。彼女は不愉快になって「今の時世、お金を出せば教師も雇えないはずがありません」のようなことを小さな声で呟いて、電話を切りました。
家庭教師のことに関して、私はこのように思っています。道徳水準が低下した現在、生徒の家に行った家庭教師は、金を稼ぐための使用人と同じように見られます。生徒と保護者が高い身分になって、教師はかえって居候になったようで身分が低くなります。常人でさえ自分の尊厳を考えますが、大法弟子はなおさら考えないといけません。生徒として勉強したいなら、まず勉強の態度を正しく持たないといけません。自分が進んで先生の家に来るのが正常ですが、お金を使って先生を生徒の家に行かせること自体が間違っていると思います。大法で判断すれば、「家庭教師」の現象は、実は正統な道徳に違反する変異した理念で、変異した社会現象です。ただ現代人はみなこのような変異した理念の中で生活しているので、変な事だと思っていません。人類の文化と道徳理念が正しい道に復帰した時、「家庭教師」の現象は存在しなくなると私は思います。
数日後、その保護者は高い給料を出して家庭教師を雇ったと聞きました。しかしその息子はとても世話をしにくくて、家庭教師に対してけちをつけて、なんとすぐその人を解雇したようです。それを知った後、当初自分の決定が正しかったとあらためて感じました。常人の物事を判断する基準はみな利己的なもので、自分の利益のために、金を使って雇ってきた人を気の向くままに欠点を探すわけです。大法弟子は尊厳がある人なので、彼らに気ままに使われるわけには行きますか? それから、その母さんは息子を連れて私の家に来て、とても誠意のある態度で息子に英語を教えてと頼んできて、私はやっと承諾しました。
この事を通じて、私は下記のことを悟りました。常人に「地獄の沙汰も金次第」とのことわざがあって、金さえあれば人を好きなように指図できるという意味です。特に現在の変異した社会では拝金主義が横行して、大人から子供まで、お金が万能だと思っています。しかしお金は大法弟子の前では万能ではなくて、大法弟子はお金のために何でもするわけではありません。そして、大法弟子はみな良い人で、良い人は当然人に尊敬されるべきで、大法弟子は自分の尊厳を守る権利があります。
(続く)