文/湖南省の大法弟子 李善慧
【明慧日本2013年1月21日】
資料点と協調人は大法を最重要視すべき
きちんとした学法は大法の作業を行う際の基本的な保障です。同時に資料点の安全の保障でもあります。私達は安全面を配慮して同修の間では一方通行の直接連絡方法をとっています。何か重要事項があれば対面して問題を解決しました。間接的な協調人として、乙さんが中間に立って協調をやりました。乙さんは若くて考えが純粋で協調の仕事において修煉者の責任を果たし、協調のお手本を見せてくれました。その後は各事情により協調人が何度か変わりましたが、皆それぞれ責任を果たして協調の仕事をよくやりました。特に近年は年配の丙さん(70歳前後)が一度も不満を漏らさず、資料の配達の仕事まで引き受けて、協調の仕事を立派にこなしました。皆が法を師とみなし、大法を一番に重要視する事を守ってきました。知らせて良いことをきちんと伝達し、知らせてはいけない機密を守り、自然の成り行きに任せて何事にも執着しませんでした。
協調人は何度か変わりましたが、どの任期でもきちんと期限をもって協調の仕事を行い、普段の会話の中で次の協調人について触れず、他の同修に誰が協調人かを知られないようにきちんと守ってきました。たまには次の協調人との間で意見が一致しない場合でも、協調人同士が口を修め、乙さんと丙さんを通じて皆の意見を聞き、私達もその都度きちんと学法し、十分な正念を発して明慧に掲載されている同修の切磋琢磨の文章を勉強するようにして全体が向上しました。同時に協調人が乙さんと丙さんを通して集めた意見に対して一々回答してくれました。このように交流ルートを作り上げ、即座に問題解決の目的に達することができました。資料点の稼働は私達が終始明慧ネットに要求されているように、直接連絡の方法をとり、徹底しました。同時に私が「これは安全かつ理性的に真相を伝えると同時に自分の顕示心を取り除くためで、他の同修の好奇心(資料点の私達に会いたがる同修がいる)を取り除き、口を修めるためだ」と悟りました。11年間資料点は順調に歩んで来ました。
私には取り除いていない不足がたくさん残っています。私たちが神になる道を歩んでいる修煉者である以上、試練は各方面からやってきます。最も重要なのは大法を貫くことであり、衆生を救う需要を目的とすべきです。
例えば、たまには他のところから明慧と違う内容を資料にするよう要求して来られることがありますが、最初は同修への情を放下できなくて断りきれず、そのまま作ってしまいました。それ以来頻繁に持って来られるようになり、最後は同じ資料を二、三度持って来られ、返却してもまた持って来て、きちんと原則を守らなかったため、ここまで発展させてしまったと深く反省しました。同修の人心を助長した上、このやり方は大法と同修に対して無責任で、同修を大法の外へ押し出してしまっていると認識できました。修煉は厳粛で少しの水増しも許されません。すぐに同修に注意して、歯止めの効く内に止めてもらいました。それからすぐ明慧に掲載されている同修の切磋琢磨の文章を勉強して全体が向上しました。それ以来、同修は二度と同じ事をしてきませんでした。資料点の仕事も積極的に協調するようになりました。「自らのきちんと修めていない一面、情の執着を取り除かなかったせいで、同修の修煉の道に障害物を作ってしまい、大変危ないところだった」と悟りました。
同修の皆さん、私たちのやっている全ては先史の誓約を実現しています。全ての関を突破することは法の中で昇華した結果となります。
私たちは衆生を救うために偉大かつ神聖な事をしています。心を込めてやっていけば師父に与えられた神通が目の前に現れて問題は自然に解決されます。よくよく考えてみれば、全ての関を突破する時に師父が助けてくださっています。資料点がここまで安全、平穏に歩んでこられたのも例外ではありませんでした。私は「真に大法を修めて師父の言われた通りに従い、常に心の中に師父と大法が入っていれば如何なることでも師父は弟子を助けてくださる」と悟りました。心を込めて法を学び、きちんと理解し、十分な正念を持ち、師を信じ法を信じていれば師父はずっと弟子のそばで加護してくださいます。心より師父に感謝申し上げます。言い表す感謝の言葉が見つかりませんが、唯一できるのは行動をもって三つの事をきちんとこなし、師父に恩返しをしたいと思っています。
不適切なところがありましたらご叱正ください。合十!
(完)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)