文/山東省の大法弟子 蓮韻
【明慧日本2013年1月23日】
四、希望の光
私は息子に「修煉者は殺生してはならず、人を殺すことはなおさら許されません。あなたは父親の息子として、こんな度を過ぎる言葉を今後控えてください。罪を犯したら、自分が償わなければなりません。私がお父さんにそのように言ったのは、過ちを改めさせるためで、私たち3人が今後また今まで通りに暮らしていくためで、本当にお父さんをどうこうしようという訳ではありません。大法弟子は離婚をしないので、心配しないでください」と話しました。息子は頷いて、「私は大法の佛光を浴びる人間です」と言いました。
1カ月後、姑は白内障で入院して手術しました。これは姑が物事の白黒を分別する目がないために受けた報いだと私が夫に教えたら、夫は怒って納得しませんでした。
また2カ月過ぎて、夫は突然頸椎ヘルニアを患い、死ぬより辛い痛みで苦しみました。彼は徹夜で坐り、まったく寝ることができず、あまりの痛みで恐ろしい悲鳴を上げています。起きて排尿することさえできない夫に、私は何の文句もいわず、ペットボトルを切って排尿をしてもらいました。彼が入院したいと言ったら、私は送迎して、病院まで付き添いました。夫はたいへん感動して恥かしくなり、氷のように凍った心が溶け始めて、少しずつ私に近づいてきました。
今回の病気を機に、夫は大法の不思議な力を体験できるかもしれないと思いました。私は「病院はあなたの病気の表面の症状しか治すことができず、根本は治せませんよ。大法以外に、あなたを救えるものは何もありません。これから誠意を込めて『法輪大法は良い、真・善・忍は良い』と念じてください」と言いました。夫はそれから本当に念じ始めました。そして2日かけて、私は彼と一緒に師父の説法録音を聞きました。彼はまた進んで神韻公演のDVDを見たがりました。
私はできる限り機会を掴んで夫に『党文化の解体』、『中国共産党についての九つの論評』、伝統文化、大法の音楽、修煉体験などの明慧ラジオを聞かせ、また『明慧週刊』、『九死に一生』物語などを読ませました。夫の痛みは軽減し、体調が好転して回復し、彼は徹底的に大法に対するマイナスの印象を変えました。
今年5月12日、師父の誕生日の前日に私たち3人家族は明慧ネットを通じて偉大なる師父に祝賀カードを送りました。夫はまた明慧ネットで世界各地から送られてきた法輪大法デーの祝賀カード、祝辞を漏れなく見て、パソコンの前で2時間も座り、強く心を打たれたようでした。その後、夫は『洪吟』を読みたいと言ってきました。
翌日の5月13日は「法輪大法デー」で師父のお誕生日でもあり、明け方に夫は早々に新鮮な果物を買ってきて、枝と緑の葉が付いているのを選んで洗い、大きな皿にきれいに並べて、恭しく師父に捧げました。
それから、夫のメンツのためにかつての不倫事件を私は二度と口にせず、夫を思い遣って細心の心遣いをしました。夫が食事を作ってくれたら、私と息子は直ちに感謝して励まし、帰りが遅くなったら、彼に美味しい食事を残して待ちました。彼は仕事の関係でよく外で食事をしますが、私は理解して彼の自由を制限せず、疑ったり尾行したりしません。だんだんと、夫はますます良い方向に変わっています。週末にはたまに彼に付き添って朝市に買い物に行ったり、山に登ったり、あるいは3人家族で日帰りの旅行をしたりします。外出の機会を利用して私が真相電話をかけると、夫は協力して自分の携帯電話の電池を抜きます。私が疲れると、夫は優しく「少し休みましょう、発正念の時間になるとあなたを起こすから」と言ってくれます。
今年の夏、姑は突然脳卒中で入院して、わずか半日の間に、すっかり病魔に変えられました。私は姑に「法輪大法は良い、真・善・忍は良い」を念じるように教えました。夫の前例があるため、姑は信じて徹夜で念じました。翌朝、「治った」と医者に教えられました。姑はそれからもっと信じるようになって、いつもいつも「法輪大法は良い、真・善・忍は良い」と念じています。今、姑の顔色は白くてほのかに赤く、皮膚も柔らかく、先日また他の老人と一緒に旅行に出かけました。
夫の実家の会食や誕生日パーティーに、我が家の3人はできるだけ参加して、法輪大法が我が家にもたらした睦まじさをみんなに見せています。去年の大晦日の晩餐会に、姑は乾杯のコップを挙げて、「我が家ではまず蓮韻さんに感謝しなければなりません。長男の嫁として、彼女はみんなに良い手本を見せてくれています」と言いました。今年の旧正月に夫の3人兄弟はそれぞれの妻、息子を連れて各家を回って新年の挨拶をしました。3人兄弟の円満な家庭を見て、姑は喜びと誇りでいっぱいです。
五、結び
風雨を経験してやっと美しい虹に会うことができ、執着を塵のように払って、やっと昇華したあとの喜びが分かります。
この交流文章を書く中で多く感激しました。原稿を書くのは単純に文章を綴るのでなく、一年来の修煉を振りかえって、不足を探し経験を総括して、人心を除去する過程でもあります。師父は私の心に鬱積した物を除去してくださり、私は百脈が貫通した痛快さを感じています。毎回難関を突破することは、私の学法と心性に対する試練であり、大法弟子としての威徳を立て神通力を使う機会でもあります。法理が分かって苦境を乗り切り、転機を迎える時、私は何度も心から、修煉して本当に良かった、修煉して本当に良かったと感嘆しています!
師父、ありがとうございました! 同修の皆さん、ありがとうございました!
(完)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)