――真に法をよく学べば、できない事はない
文/北京の大法弟子
【明慧日本2013年2月23日】
五、小弟子の面倒をよく見て、家庭で自分をよく修める
「あなたが接触する職場の環境、家庭の環境はいずれも、あなたの修煉環境であり、あなたが歩まなければならない道であり、必ず対処し、しかも正しく対処しなければならないことで、どのこともいい加減にしてはいけません」(「各地での説法7」『二〇〇六年カナダ法会での説法』)と、師父はお話になりました。師父が私のために按排してくださった修煉環境を、私は成し遂げなければなりません。
私の息子は、5歳の時、私たちと一緒に学法・煉功を始めましたが、私たちが迫害されたため、息子は修煉を中断しました。私たちが皆、帰ってきた時、息子の魔性が大きいことがわかりました。学生を殴り、頭の中はみな、恨みや仕返しばかりで、書いた日記も多くがこのようで、勉強に反対し、先生の忠告を聞きませんでした。幸いにも、息子は私と夫の言うことを聞いてくれ、大法によって息子が変わることを、私たちは信じていたので、一歩ごとに息子を学法に導いていこうと考えました。私は夫と合意に達し、一方では息子の行いを正しい道に立ち返らせ、息子が間違っている時は指摘し、もう一方では、息子とたくさん交流し、法の上から、そして道理の上から息子に話をしました。
私は、「息子(小弟子)と交流し、1つの問題を正した後、すぐにまた向上が必要な新しい問題が現れた」と、感じました。援助を始めた当初、息子は何かを好きになること、いわゆる「好み」を取り除き、やがて、テレビを見る執着を取り除くまでになり、息子の極端に勉強に反対する態度を正し、幾人かのクラスメートに対する息子の恨みの心を修煉して取り除くまでになりました。一つ一つの過程の中では、毎回何度も私たちは息子とたくさんの話をしなければならず、私たちは毎日、息子とがんばって一緒に学法しました。息子が恨みの心を取り去った時、私たちはずっと、師父がお話になった「一挙四得」の理を息子に気づかせましたが、子供にも強い観念があり、「見えなければ納得したくない」と、息子は思いました。私は明慧ネットの「小弟子が体験して得た理解」をダウンロードして息子に見せました。ある日、息子はクラスメートと仲直りしたことを私に話しました。どうしたの? と私が息子に尋ねると、息子は明慧ネットで「小弟子が体験して得た理解」を見た後、自分も同じように試してみると、クラスメートが親切になったことに気づき、自分もクラスメートに対して親切になったというわけです、と息子は言いました。パンフレットを印刷する時、それを息子に見せることの役割が大きいことに、私はまた気づきました。息子もパンフレットを見るのが好きで、息子は何も言わなかったですが、だんだん息子の状態がずっと良くなってきたことを、見ることができました。
今年の上半期、クラスメートとの大きなトラブルが、息子に発生しました。人と喧嘩をし、人を追いかけ、その人の喉をつかんで、殺すと叫びました。ちょうどクラスメートのお母さんが見ていて、クラスメートの親がクラス担任を見つけ、クラス担任は私を見つけました。そして「またこのようになったら、彼を殴るぞ!」と、クラスメートの父は私に喝を入れました。その時、これが1つの試練であると私にはわかりましたので、ひたすら謝罪する一方で、心の中では相手に対して少しも恨みはなく、ただ息子に少し我慢が出来ないことがあっただけだと思いました。話が少し重いために、息子はその時泣いていました。クラス担任の調停のもと、クラスメートの父は少し落ちついて、彼は私の息子としばらく話をし、私の息子にいい子でいてもらい、喧嘩をしないようにと言いました。この件が過去のことになった前後、「小同修を導き、私の子供を真に修煉させなければならない」ことに、私はいっそう気づきました。私の息子の思想を理解するために、私は毎日時間を作って息子と話をし、私の子供が何を考えているのかを聞いて、私の見解を言いました。祝日には、私たちの学法時間は増え、正午は毎日、一緒に師父の説法の録画を見て、午後や夜には各地の説法を2時間学び、子供も毎日2、3の『洪吟』の詩文を覚えることを始めました。
学法により息子は変わりました。息子は今までのようにクラスメートと闘争するような事件は起こしたくないと思うようになり、やるべきことをたくさんやるにはどうしたらいいかと思うようになりました。息子は自ら家事をし、服を日に当てて乾かし、洗濯物を取り込み、私たちが出かける時間がない時、子供が買い物を手伝うので、野菜売りのおばさんはみな、子供と知り合いになりました。私たちが真相資料の仕事をする時、子供も製本や折りたたみを手伝います。
新学期が始まり、息子が6年生になって幾日かが過ぎた時、かつて息子が追いかけて暴力を振るったあのクラスメートが、「あなたは法輪功を学んでいるのではないですか?」と、息子に言いました。息子が、どうしてわかったのかと聞くと、「君がよく勉強できるのは、きっと法輪功を習って修煉しているからだ」と、クラスメートは言いました。息子はそれを聞いてとてもうれしくなり、帰宅して「これからはクラスメートに真相を伝えるので、クラスメートにもパンフレットをあげたい」と、私に言いました。中秋節の2、3日前のある日、私はドアの鍵を忘れ、息子を探しに行った時に、息子のクラス担任の先生に会いました。「息子はこの数日どんな様子でしたか?」と聞くと、「とてもいいです」と先生は説明しました。先生が息子を褒めてくれたのはこれが初めてでした。大法が息子を変えたのだと私は知っていました。ちょうどその場に、私は神韻のディスクを1枚持っていたので、先生にあげると、先生は喜んで受け取りました。
1年の間、あまりに多くの事があって大変でしたが、学法を重視する過程の中で、自分の変化が大きかったことを私は体験しました。法をよく学んでいなければ、これらのことはあり得ず、できなかったわけで、まさに師父がおっしゃった「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を打破することができ、法は正念を固めることができるのです」(『精進要旨(二)』「妨害を排除せよ」)のようです。
次元には限りがあります。正しくない所があれば、同修の皆さん、慈悲深い指摘をお願いします。
ありがとうございます、師父!
同修の皆さん、重ねて感謝いたします。
(完)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)