文/中国の大法弟子
【明慧2013年5月25日】様々な原因によって、修煉の中で、多くの修煉者にそれぞれ乗り越えられない“堅い壁”があるようです。その壁を認識できる人と、全く気がつかない人がいます。私達は学法と修煉して、根本から修煉を阻む物を解決し、自分の生命を更に純潔し、三つのことを行わなければなりません。
私の修煉経験を書こうと思ったのは、私達が大法を更に理解し思考を広げ、大法が異なる階層の生命を測る基準を知るためです。
人によっては、私の経験を読んで、真実味があって素晴らしいと感じるかもしれません。しかし、これらは当時の私の次元で現れたことであり、多くは真実ではなく、更に全面的なものではなく、当時の私を悟らせるために見せられたものです。もし修煉者がこれをもって修煉の指導とするならば、道を逸れてしまいます。本当に人の修煉を指導できるのは師父と大法であり、皆さんは法をもって師としてください。
何年も前の事になります。私は十数名の同修が集まって学法するグルーブに参加していました。お互い名前も聞かなければ、家庭の事情を聞くこともせず、学法が終わると各自帰って行きました。
学法グルーブにある夫婦がいました。夫婦ともに修煉者ですが、言い争いが絶えません。夫は口達者で毎回妻の問題を指摘しました。妻は引き下がらざるを得ず、内に向けて探しました。皆が夫の善の心が足りないと感じ、いつも遠まわしに指摘をしました。夫はいつもニコニコと受け入れていました。
一年が過ぎて、私は出張が多く仕事で忙しかったので、しばらく学法に行きませんでした。久しぶりに学法に行く途中で、こんな光景が見えました。
内容は豊富でしたが、見える範囲は狭く、目を縦にした時のような狭さでした。
私はある高い階層に来ました。黄色い袈裟を着て、学法グルーブの夫とよく似た顔をしている生命が立っていました。しかし顔の表情が奇妙で、一目見て人に正直ではない、誠意の無さを感じさせました。
私が戸惑っていると、彼は目の前に来て軽く会釈をし、悲しそうに「いらしたんですね」と言いました。
私は何が何だかわけが分からず、「ええ」と返事しました。
彼は「私がここにいるのを、変に感じているでしょう」と言いました。
私はうなずき、確かに奇妙に感じましたが、しかし、なんと言ってよいのかわかりませんでした。
彼は、「私は学法グルーブのあの夫の生命が高い空間で変異した存在です。この階層は彼の生命の本源から近く、いくつも階層が離れていません。夫が下に下りる時、生命が少しずつ変異して、不誠実になっていきました。私も変異し、大法から逸脱した部分の存在になりました。私を不誠実と呼んで構いません」と話しました。
私は話を聞いていて、わかるような、わからないような顔で彼を見ていました。
彼は続けて「私という不誠実の存在があることで、この境界から人間界までの空間にみな、夫の生命に不正直さがついています。本当のことを言わず、やる事も嘘が多く、偽りの多い人です」と言いました。
私は「そんなことはありません。私は彼と知り合ってから長いですが、特に不誠実な人とは感じません。いい人だし、何かを指摘した時に受け入れてくれます」と言いました。
不誠実は苦笑いをして「それが不誠実なのです。隠すのが上手いのです。彼の本当の問題がどこにあるのか、みんな見極められず、それは彼の偽りが自分を覆いかぶせているからです。いずれにせよ、あなた達は問題が何であるか分からず、彼の急所に触れていないため、彼は自分を守ることができ、みんなが何を言っても、強く指摘しても彼は動じないし、笑っていられます。皆は彼がよく修煉出来ていると勘違いをしてしまいますが、それは不誠実の現れです。
妻と口喧嘩をするのも、皆は表面上に現れる表現を見て、彼に善の心が足りないと思っていますが、それは不誠実で誠心誠意でないことの現われです。毎回口喧嘩をする時、妻にも問題はありますが、夫にとっても内に向けて修煉をする機会なのです。
夫、妻そして皆が、不誠実である私の存在に気づいていません。特に夫は修煉の主体として、私の存在に気づかなければ、修煉を突破できません。それで私に邪魔されて、人間界では不誠実として表れます」と話しました。
私はびっくりして「どうしてそうなるのですか?」と聞きました。
不誠実は悲しそうに「それは私が彼の全体の生命の一部分だからです。そのため私の階層から下まで私が現れます。彼の生命の源に私のこのような不足はありません」と言いました。
私は疑問に思いながら「全てを知っているのなら、どうして自分から変わらないですか」と聞きました。
不誠実は「私は生命の一部分で、しかも大法から変異した部分です。修煉の主体ではないから、自分から変えることはできないのです。主体が修煉をしてこの境界まで戻ってきたら、私は大法に同化することができます」と言いました。
私は更に疑問に思い「彼はすでに修煉をして何年にもなるのではないですか? もう正せているはずです」と言いました。
私の言葉を聞いて、不誠実は更に悲しみ、声をつまらせて泣きながら「私もずっと待っています、彼に早くこの境界に戻って来てほしいと望み、そうすれば私も大法に同化できますし、変われるのです。私も純正、純潔になりたいのです」と言いました。
不誠実は続けて「しかし、彼はずっと隠そうとしています。本当に内に向けて修めようとしていません。ここまで戻るにはまだ遥かに遠いです」と言いました。
私は悲しそうな彼を見て、慰めながら「大丈夫ですよ。法を正すことはまだ終わっていないため、まだ時間と機会があります」と言いました。
不誠実は頭を横に振りながら何も言いませんでした。更に悲しんでいました。そして「確かに彼の不誠実さは私の要因があります……。しかし私も心から主体である彼に修煉を突破して戻って欲しいと望んでいます。私も変わりたい、大法に同化したいのです……。私はずっと人間界の彼を見ています、焦りながら待ち望んでいます。しかし……!」と言いました。
不誠実は私を見ながら、耐え切れず泣き出しました。
この一幕を見えたのは、ほんの一瞬の出来事でしたが、私は非常に震撼しました。意識が現実に戻り、どうしてよいのか分かりませんでした。学法グルーブでみんなと久しぶりに会い、あの夫婦もいて、会うことができて嬉しいと言ってくれました。
皆の優しい顔を見て、特に夫の情熱的で“真心のこもった”挨拶(しかし心から人に関心を持っているとは思えませんでした)を見て、私の心の中ではどう受け止めていいのかわからず、先ほど見た一幕も本当なのか、偽りなのかもわからずにいました。もし本当のことではなかった場合、話してしまえば、人にとっても、自分にとっても妨害になってしまいます。地元では以前にも天目や功能でいろいろと問題が起きました。今、皆は天目や功能のことになるとすごく慎重になっています。なかなか話せる状況ではありませんでした。本当のことでなかったら、夫から悪者にされてしまいます。同修達との関係もギクシャクしてしまいます。私も間違いなく皆から除け者にされてしまいます。本当のことだとしても、夫は“不誠実”の影響で言い訳をするだろうし、周りの同修達は元々物事を理性的に考えられないから、きっと私の話などは信じないし、間違いなく除け物にされます。そうなると今後の衆生の済度、同修と恊力して行う事は難しくなるのが目に見えています……。あれやこれやと考えていたら、学法の時間が終わり、皆それぞれ帰って行きました。
その後、まだしばらくしてから、何回か学法に行きましたが、ご夫婦に会えませんでした。偶然みんなが夫婦の話をした時、夫は一年前から病を患い、学法に来るのも辛かったようだと知りました。私は全く知らずにいました。病状が重く入院しており、点滴で生命を維持していて、面影もなく、もうあまり持たないだろうとも話していました。
私はびっくりして、すぐに私が見た光景を話しました。病院へお見舞いに行く同修に、夫に伝えるようお願いしました。しかし、遅すぎて数日後に夫は亡くなりました。
空を見上げて、私は不誠実の悲しみを理解できました。彼は最初から結果が見えていました。彼は最後の望みをかけ、力を振り絞り、私と会話をして挽回しょうとしましたが、私は修煉ができておらず、人の考えに作用され、夫が病を患っていたことも知らなかったため、事を遅らせてしまいました。
私が事を遅らせてしまうことも、不誠実には分かっていたのでしょう。事を成し遂げるには、様々な要素が揃っていなければ叶えられません。上からは全部お見通しです。だから不誠実はあんなに悲しみ、最後に奇跡が起こることを期待したのだと思います。
私としては、その後長い間自分を責めました。私達はいつも全体が一つになろう、師を助けて世間をゆくと言っていますが、実際には出来ていない時が多いように思います。