【明慧日本2013年6月2日】現在、オーストラリア・シドニーに住むフランス人トマス・ドブソン(Thomas Dobson)さんは、国内外を驚かせた“四・二五”を偲んで、感慨にふける。当時、彼は中国の長春で中国語の『転法輪』を読むために中国語を勉強していた。トマスさんはまた、当時すでに法輪功迫害の予兆を感じ、いくつかの迫害がすでに始まったことを感じていた。たとえば私服警察が街頭にいる人を捕まえ始めるなどで、彼はとても困惑を感じたという。
自由民主の国で成長した若者は、独裁政権である中共の不法な行為を理解することができなかった。どうしてこんなに良い修煉者が政府から圧力を加えられるのだろうか? どうして中共の政策は一貫性がなく、すぐに変わるのだろうか? 良知のある人は皆、中共が“真、善、忍”に準じる修煉者に罪名を着せようとする行為を理解できなかった。
ニューサウスウェールズ州の議会ビル前で、シドニー市民らの署名を手渡す請願活動に参加するトマスさん
1999年1月から、トマスさんは長春で暮らし始め、中国語を学んでいた。毎日彼は目が覚めると、吉林大学にあった法輪大法の煉功場へ行って朝の煉功をして、それから東北師範大学に行って英語を教える仕事をしていた。昼食の時間には、そこの学生達と一緒に煉功をした。毎日このような生活を続けていた。トマスさんは幸せな様子で、当時の平和で穏やかな修煉環境を思い出した。しかし素晴らしいすべては、ある日突然変わった。彼は当時を回顧して語った。「4月24日に発生した事は普段と異なりました。その日、私が早朝の授業を終えた後に、私の仲の良い友達が私に会いに来て、そしてすぐ彼女と一緒に行くように私に言いました。いくつかの出来事が起きたためでした。私が彼女について東北師範大学まで行くと、そこの法輪功修煉者達が一緒に何かを討論していました。私はある程度しか中国語ができなかったので、友達がその時の情況を私に訳してくれました。その時の討論の結果として、全ての組の修煉者が一致して、みな北京に行って事実を明らかにさせることに賛成しました、私自身も含みます。その時、友達は私に長春に残るよう提案しました。私は外国人であるため、恐らく面倒なことを招いてしまうかもしれません。そうなれば情況がますます収拾がつかなくなってしまいます。彼女は1989年の学生事件(天安門事件)を経験したことがあります。その時、彼女は母親が自分の子供に対するように私の安全と幸福を心配してくれました」
トマスさんは「あの日、長春各地の私が知っていた大法修煉者は、みんな一致して北京へ行き事実を明らかにさせようと思っていました。しかし最終的に、一人を除いて、他の大法修煉者は北京へ向かう途中、すべて警察に阻止されて帰りました。当局は積極的に彼らの基本的な公民としての権利行使を阻止しました。特に北京へ陳情に行く全国各地の大法修煉者の基本的な公民権です。その他に、長春と首都の間の電話線は切断されました」と引き続き、当時を回顧した。
トマスさんはまた、「もし北京に行きたいと思う修煉者が皆、北京へ行くことができたなら、あの時、100万人を容易に上回る法輪功修煉者が中南海まで陳情に行っていたでしょう。その日から、私服警官が私達の煉功場所に来て法輪功修煉者を捕まえ始めました」と語った。
その年の6月1日、トマスさんは長春から離れた。帰国した時は、中国から10年以上も離れることになるとは思いもよらなかった、中共が不法に法輪功修煉者を迫害しているため、トマスさんが再び長春を訪れることはできなかった。しかし彼は永遠に、長春の修煉者と過ごしたあの素晴らしい時間を忘れることができない。
トマスさんは、「私は永遠に長春での修煉と生活した日々を大切にします。長春で大法修煉者は皆、私に対してとても根気良く、とても喜んでお互いに修煉の体得を分かち合いました。私はとても恩を感じています。師父の私達に対する教えに感謝します。『真、善、忍』を修煉して、私は徐々に世間の中で身につけた良くないものから抜け出したのです。私は長春の修煉者達に感謝したいです。彼らは私に、大法によって美しく変わった長春を示してくれました!」と悲しそうに語った。