文/中国の大法弟子 慧蓮
【明慧日本2013年6月20日】尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
法を得て10数年経ちましたが、修煉の道でつまずいてしまったことが度々ありました。精進して、三つのことをしっかりやり遂げた同修と比べるとその差がとても大きいのです。周囲の古い同修はずっと私を励ましてくれました。私が交流文章を書くことは執着心を探し出して取り除き、心性を高める過程であると理解しています。ちょうど第9回の中国大陸大法弟子の修煉体験交流会に当たって、私は娘(同修)との間のいくつかの修煉における過程を書き出して、同修達と交流したいと思います。適当でない所があれば慈悲なるご指摘をお願いします。
私と娘(同修)の由来
私は1996年に法輪功を学び始めた古い弟子です。その頃、娘は8カ月になったばかりで、まだ母乳を飲んでいました。娘は生まれた日からよく笑いました。特に眠る時、よく夢の中で笑いながら目を覚ましました。夢の中で笑う娘を見て、どんな事でそんなに嬉しいのかと私は不思議に思っていました。
娘が5、6歳の頃のある日、娘は泣きながら目覚め、「私が死んだ夢を見た」と言いました。夢の中で娘はお金持ちの家の小さな使用人で、毎日強いられて働かされるだけでなく、よく殴られて、服はすべて破れてボロボロになっていたのです。私(私は夢の中でも娘のお母さんのようでした)は娘を助けようとしたが、結局娘を助けることができず、私も彼らに打ち殺されたと娘が言うのです。
娘が小学校に通う頃、娘wはまた私たち2人が山の中に住んでいる夢を見たそうです。前世も私が依然として娘の母親で、娘は16、17歳の女の子です。私達は山の中の破れた藁葺きの家に住んで助け合って生きていたのですが、生活はとても貧しくて、接ぎはぎの上に接ぎを重ねた服を着ていたのです。お母さん(私)はとても重い病気を患っており、娘は山の中へ柴狩りに行った時に、うっかり大きな穴の中に落ちてしまい、その後一群のサルに囲まれ、娘を引き裂こうとしました。それらのサルを追い払うため、娘は力を入れて腕を振り回しました。それから娘は目が覚めました。
娘が中学生の頃に、私も一つの夢を見ました。夢の中で私は7、8歳の小さい女の子で隣近所の女の子ととても大きな家の中で遊んでいました。外から1匹の黑豹が私達に向かって来たのが見え、壁の上に小さな穴があって、私は豹がその穴から入ってくるのを恐れていました。この時壁ぎわに1本のシャベルがあるのが見え、黒豹がすでに穴の口から見えたので、私はシャベルを取って、力を入れてむやみに突きました。場面は変わり、黒いTシャツを身につけた娘が血の海の中に横たわり、2本の腕は肩部からすっぱりと切れていました。娘は「私はあなたを探しにきただけなのに」と苦しんで泣いて言いました。私は手で娘の切断された二つの腕をしっかりと肩部に押し付けながら、はらわたがちぎれるほど悲しんで、「私はしっかりあなたを治します! 私はしっかりあなたを治します!」と、おいおい泣いて言いました。
修煉中の子供弟子
娘が1歳を過ぎた頃に、私は娘に煉功を教え始めました。その頃、娘はまだはっきり話ができませんでした。第3式の法輪を4回押し回す動作をするときに、私は娘に回数の数え方を教えましたが、娘は毎回「1回、1回」というのです。初めてあぐらをかいて座禅を組む娘は、ソファーの上に座って45分双盤しました。もちろん娘は入定をしていませんでしたし、手も印を結びましたが、足を下ろすと、痺れて痛いせいか、娘はわあわあ泣きました。
師父の『洪吟』が出版された後、私は娘に師父の詩を暗唱するように教えました。その時、娘は字が読めませんでしたが、一つの詩を3〜5回ぐらい教えると、娘はしっかり覚えることができました。間もなくすべての詩を暗唱し終わった時に、娘は師父が娘の小さい手を引いて、娘の幼名を呼んで天上に飛び、とても大きな地方に着いてから天上の果物を食べさせた夢を見ました。
1999年に中国共産党が法輪功を迫害し始めてから、私達は公に煉功ができる環境を失いました。2000年の夏に、法を実証するために、私達学法チームの5人の同修は勤務先の上司に真相を伝えて、公に煉功ができる環境を回復するように求めました。拒絶された後、私達は翌日から団地のあずまやの中で煉功をすることを決めました。その時、娘の叔父が交通事故のため入院して、夫は病院で看護をしなければならなくなり、私は早起きして煉功するので、娘を一緒に連れて行かなければなりませんでした。夜、私は娘にこう言いました。「悪人は師父と法輪功を罵っています。私達は法を実証しなければならないため、小さいあずまやで煉功するので明日早起きするんだけど、あなたは私と一緒に行きますか?」というと、娘はうなずきました。「では、私があなたを起こしたらすぐ起きなければいけませんよ」というと、娘はまたうなずきました。次の日、私が起きた後、軽く1回娘を呼んだだけで小さい娘はすぐに目を開きました(その他の時には、このようなことはほとんどあり得ません)。私達は手をつないで小さいあずまやの中に来ましたが、同修は5人のはずでしたが、3人しか来ませんでした。間もなく警官がやって来て、私達の腕をぐっと引っ張り、ここから離れるように促しました。娘は怖くなって、私のところに走ってきて私の服を引っ張りました。次の日、娘は「師父がまた天上に連れて行ってくれた夢を見た」と私に言いました。
1999年の末に、私は無実の罪を着せられた師父と法輪功のために、1人で北京に陳情に行くことを決めました。夫は修煉していないので、ふだん私が煉功することには反対しませんが、私が迫害されるのを恐れて、私が北京に行くことには反対しました。彼は私の苦しみを知っていて、勤務先からパソコンを借りて私にゲームをさせると言いました。あの頃、パソコンを使用できるところはまだ少なかったのです。夫がパソコンを取りに行っている間に、私は娘に北京に陳情に行くと言いました。娘は小さい頃からずっと私と一緒で離れたことがないので、私にとても懐いていました。しかし、4歳の娘はうなずいて、涙を流しながら、小さい手で力を入れて私を扉の外に押し出し、「ママ、早く行って! ママ、早く行って!」と泣いて言いました。一歩踏み出しましたが、どのようなことに出会うかわからず、生きて帰れないかもしれないと思いました。娘だけは捨て難いのです。もし娘が泣いて私を行かせなければ、私は出られなかったかもしれません。娘はこのように後ろから押して、私に大きな力を与えてくれたのです。自分がよくできなければ、娘に申し訳がないと思いました。私は北京へ行く列車の中で、心の中で、「陳情に行くのは公民の合法的な権利です!」という一念を発しました。北京について、陶然亭の近くにきたところで、警官が私を遮りました。私は泣きながら言いたいことを紙に書いて彼らに渡しました、彼らは必ず信訪局に手渡すと言ってくれました。このようにして師父の加護の下で、私は無事に戻ってきました。
修煉は常人の名・利・情を捨てる過程なので、関門を乗り越えようとする時は本当に心がえぐられるほど骨身が痛いのです。学法と煉功の環境がなくなり、同修が中国共産党に迫害され刑務所に閉じ込められたことに対して、私は大きな圧力を感じました。また、中共(中国共産党)当局は巻き添え政策を行い、夫も勤務先で大きな圧力に耐え、昇進にも大きな影響を受けたのです、家に帰ってくるといつも、わけもなく私に向かって爆発しました。私は我慢できない時に娘に愚痴をこぼし、甚だしきに至っては娘を抱いて泣きました。娘はよく私の頭をその小さい胸に抱いて、私の背をたたいて私を慰め、私の涙を拭いて、大法の法理で私を諭すのです。往々にして娘はすべての要点を言う事ができました。当時の状況下で、娘は完全に大法の子供弟子でした。今思い出すと、慈悲なる師父が娘の口を借りて私を悟らせ、弟子が修煉の道を歩む一歩を見守っておられたのです。
「もっと前に知っていれば、あなた達の家に来なかったのに」
娘が中学校に入った頃、娘の「思春期」と私の「更年期」が重なり、しばらく私達の家は戦場のように「硝煙」に蔽われて、「戦火」が絶えませんでした。強情な娘は完全に別人のようになり、小さいときから受けた教育をすべて捨ててしまいました。娘は私からのしつけを拒絶し、反逆者になりました。気性が激しく、嫉妬するようになり、対立が絶えませんでした。また、先生への不満を言ったり、人を罵ったり、路辺の屋台のものを食べ、着るものに執着し、成績もだんだん下がり、甚だしきに至っては中三の時に恋愛をするまでになったのです。家にいる時、顔色はいつも曇っていて、ちょっとしたことで物を叩きつけました。ずっと善良で何かあれば法の上に立って考えていた子供弟子が、このように変わってしまったことを、私は受け入れる事ができませんでした。彼女はすっかり変わってしまい、もう修煉者には見えず、常人の子供にまで及ばなくなったのです。娘への期待がとても高かった私はまったく絶望して、ひいては何度かの衝突で、生きていたくなくなりました。娘も少しも譲らず、飛び降り自殺をすると何回も言いふらしました。ついには、どのように自殺すればあまり苦痛がないかとよく考えていました。ある日、娘は悲しんで絶望的になり、「もっと前にこのようなことを知っていれば、私はあなた達の家に来なかったのに!」とまで言いました。その意味は、生まれ変わって私の娘になったことを後悔するというのです。
同修から私に問題があると指摘され、私はとてもつらくなって、「両親として子供のしつけ方を間違えたのだろうか? いくら悪くても常人に及ばないことはないだろう!」と、不平に思いました。私が師父に不平をこぼしたことは、覚えられないほどありました。「今後二度と彼女に構わない! 彼女が修煉したくなければ私には関係ない」と、毎回このようなことを言った後、車で外出して娘を捨てた夢を見ました。私がこのようにすることを師父が賛成されないことを知っていました。私はひざまずいて師父の法像の前に泣きながら訴えたのです。「どうして、このような生命を段取りして私の子供にされたのですか」と、師父に不平をこぼしていたのです! 「明らかに娘は私に服従しないのに、師父は私が娘を捨てることを許されないのです」 師父と駆け引きをするように、泣きながら訴えたのです。「私は当時、あの黒豹(娘)の善意を知りませんでしたが、しかし人と動物は言葉が通じないから、娘を傷つけてしまったのです。すべてが私の責任ではないでしょう? どうしても私は彼女のお母さんをしなければならないのですか?!」
(続く)
(明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)