【明慧日本2013年6月21日】
「ママ、あなた達の家に来られたことは本当に幸せです」
法輪功の素晴らしさを知っていながら、神仏を信じなかった夫は二度の大きな病を経て、2010年についに大法を修煉し始めました。師父は夫の体を浄化され、彼の体内から一つの霊体を取り出されました。師父は更に絶えず法理から私を悟らせ、私に何度生まれ変わっても切れない因縁関係を示してくださいました。私は師父が身の回りにいてくださるのをはっきりと感じることが出来ます。当時、煉功も発正念も学法もほとんどできず、せいぜい夫の病床の前で時間をさいて師父の『更なる精進を』『2010年ニューヨーク法会での説法』『明慧週刊』を学ぶことしかできませんでしたが、ことあるごとに以前に暗唱した法と『洪吟』の中の詩句がぐるぐると頭の中で回っていました。師父は『轉法輪』の中で小坊主に関して、「つね日ごろ苦労しているので、業を滅することが速いし、悟りを開くのも速く」と説かれています。私は毎日とぎれとぎれに2~3時間の睡眠しかとれない状況下で、休まずに2カ月近く看病を続けました。夫が奇跡的に退院した後、「すごいですね! 立派です!」と同僚達が私を褒めました。実はすべて師父がしてくださったのに、威徳を弟子に下さったのです。これは師父が弟子に与えてくださった最高の褒賞だと思います。私は10年間意気消沈していました。慈悲なる師父は私のような意気地がない弟子を待ってくださり、なんと焦っておられたことでしょう!
家に戻った後に、私と夫は時間を惜しんで学法と煉功をしました。頭の中にすべて法が入っているので、法の内包も顕現することが多く、一つの言葉がすべて以前に見えたことと違うようです。師父は何度もしっかりと学法をすることと、真相を伝え衆生を救うことを強調されました(以前はこれらのことの重要さをあまり身に染みていないか、自分とあまり関係がないと感じていたのです)。私は煉功すると、頭のてっぺんが明らかに回転しているのを感じました。師父が植えつけてくださった機能と機制は長い間空回りしていたようでした。功がすごい速さで上がり、天目もますます見えるようになりました。何かの事に遭遇したら、第一念は内に向けて探すことです。この時、再び娘の問題を見ると、以前とは全く異なっていました。
それから二つの事が発生したことがきっかけで、娘も目が覚めました。ある時、彼女は突然生理痛になり、冷や汗が止まらず、手足は氷のように冷たく、うずくまって地面で転げ回りました。私は心を動じず、彼女に早く内に向けて探すように言葉をかけて、同時に師父の助けを求めました。しかし、娘はますます痛みが増し、話をする力さえなくなったのです。私は座って発正念をしたのですが、効果が大きくありませんでした。私は師父の『精進要旨』を読みあげて娘に聞かせました。しかし私はとても疲れたように感じ、眠気と戦っていました。娘は弱々しい声で私に、「ママ、私は死ぬの?」と、聞きました。私は考えもせずに、「怖いの? 怖がらないで! 死んでも師父はあなたを見守り、あなたを良いところまで段取りしてくださるわ。でも、死ぬことを恐れれば恐れるほど死んでしまいます!」と、言いました。食後、私は娘と同じベッドで眠りました。昼寝をして目が覚めると、娘は完全に治りました。その後娘は、「ママに法を読み上げてほしかったのに、ママはぐっすり眠りについてしまった。私は元気がなくてママと叫ぶ力がなかったのよ。私が死にそうなのに、ママは本当によく眠れるね!」と、言いました。一方で邪悪は私が同修を助けるのを邪魔し、もう一方で修煉は厳粛なことだと、のちに私は悟りました。修煉者として、娘は難を前にして、必ず自分で直面しなければならず、自分で修めなければならず、自分で悟らなければならないのです。いかなる依存心もあってはならず、心性を高めることも着実にその基準に達しなければならないのです。
ある時、娘は学校から帰ってきて、泣きながら私に、「ママ、私はまだ元に戻れますか?」と、言いました。娘の話によると、同じテーブルに座るクラスメートは同性愛者で、長く接触しているうちに自分もおかしくなったような気がしたというのです。娘は同性愛が不潔なもので、最も早く淘汰されるのを知っています。私は法の上に立って娘と交流しました。なぜこうなったのか二つの原因があると思われました。一つは学校で法の勉強が少なく、自分を厳しく律することができず、クラスメートと付き合っているうちに闘争心や、嫉妬心、顕示心などの執着心が知らず知らずに生じてきたのです。汚染されればされるほど、確かに手落ちも多くなります。二つ目は旧勢力からの妨害と迫害です。その中に旧勢力と法を乱す鬼たちの険悪な心が見えるのです。それらは修煉者に執着心が生じるのが見えると、絶えずそれを強めたり大きくしたりして、大法弟子の空間場の中の隙がますます大きくなってくると、その「証拠」を掴み、修煉者を滅亡の淵に追い込むのです。それから、娘は夜眠る前に師父の説法録音を聴く習慣をつけ、神韻合唱団の歌を聞いたりして、状態はますます良くなりました。面白いのは娘の学法と修煉状態が良い時には、私が夢の中で娘と一緒に大学に入り、一緒に外出して旅行するのです。しかし、娘が良くできてない時は、私の夢の中に娘の姿がないのです。この時に娘に聞くと、やはり心性がしっかり守られていなかったこと、あるいは試験で忙しくなり学法をしなかったことが分かるのです。私は慈悲なる師父が1人の弟子も落伍させたくないのが分かりました。
私は忽然と悟りました。この生命は一回一回私と縁を結び、今生は私達がまた母と娘で、これは師父の按排だと私は突然悟りました。歴史上私達の間に恩と恨みがあっても、これはすべて重要ではなくなり、重要なのは輪廻転生する前に師父の前で誓った言葉と約束です。「もし一人が寝ついてしまったら、お互いに呼び覚まさなければなりません。師父は人の中で仏像として大いに現れて、娘にどこが間違ったかを教えることができないので、師父は私が子供弟子をよく世話するように按排し、子供は両親の話を聞くように常人社会の状態に合わせるのです。もしそれでも良くできなければ、『仏法無辺』であり、師父も方法がたくさんあるので、重い金槌でこの生命が目覚めるようにたたかれます。しかし、もし私もよくできなければ、それは師父の期待に背くことになり、師父の按排を乱してしまうのではないだろうか?」と私は思いました。私は再び師父の法像の前にひざまずいて、涙をほろほろと流しながら、「師父、私はきっとベストを尽くします!」と約束しました。
私はまたこのように悟ったのです。「大法弟子は師父が特別に育てた特殊な生命で、長い歴史の過程で、師父は私達をずっと導き見守ってくださいました。私達は最後に師が法を正し衆生を救うことを手伝います。
いわゆる「思春期」「更年期」というのは、ただ人類の道徳が悪くなった後の魔性の現れにすぎないのです。もし修煉者にこのような情況が現れるなら、きっと自分がよく修めていないことの現れです。娘の振る舞いは鏡のように、私の修煉状態と放下できない執着心を反映しているのです。10数年の修煉過程で、私は精進せず、修煉に揺れがあり、たくさんの執着心を放下することができず、恐れる心もとても重いのです。特に情に動かされたことがもとで、常人の生活を追求するようになりました。1999年の後に私はあまり煉功もせず、法も読まず、法理の現れもあまり見えず、真相を伝えて衆生を救うことに対して、恐れて口をなかなか開けることができず、ようやく勇気を奮い立たせてこそこそと1人に言ったのですが、その人は「三退」しませんでした。私の状態も直接娘に影響し、私と同様に表面上、ほとんど修煉者の姿は見えませんでした。
修煉者はいかなる偶然の事もありません。娘は確かに多くの事を間違えましたが、彼女の振る舞いも私に見せるためであり、私を内に向けて探させ、不足を探し出し、これらの良くないものを取り除くためです。いかなる執着心を持っても天へ昇れません。円満成就は言うまでもなくありえません。
たとえば、私は娘がうまく修煉できなくて、彼女が天国世界へ帰れないことを心配しているのです。私は法の基準に従って行い、学校から帰ったら多く法を学んで、事が起これば内に向けて探すことを娘に厳しく要求しました。しかしこの法門は常人の中で修煉し、この最も複雑な環境の中で修煉しなければなりません。子供も同じで、このように修煉すれば最も堅固です。彼女はこのすべてをやり遂げましたが、私自身はすべてやり遂げていません。このように他人だけを変え自分が変わらないやり方は、まさに旧勢力のやり方ではありませんか?
たとえば、私が虚栄心、競争心、顕示心、歓喜心、大法弟子を迫害する悪人への恨む心を持ちながら、娘に成績がよく、品行良く、琴もできて、有名大学への合格をもって大法を実証するように要求しているのです。これらの黒い不潔なものを持って、娘は辛くないでしょうか? 私達は、人の中の名・利・情のために来たわけではありません。
たとえば、私は自分が実現していない理想と願望をすべて娘に託して、自分の意志を彼女に無理に押しつけて、聞こえのいいように、「あなたのためです」と言っているのです。恩返しを求める心もあって、彼女を養育するため自分がたくさん代償を支払っているので、彼女は恩に感じるべきで、私達に親孝行をすべきだと思っています。しかし、師父は完全に他人のために良くすることを私たちに教えられ、他人に親切にするときは条件を言わず、報酬を重んじません。
師父は『轉法輪』の中でこのように説かれました。「あなたは他人の生活に干渉し、他人の運命を左右することができるはずがありません。妻や子供、親、兄弟などのような家族の人たちの運命も含めて、他人の運命があなたの思い通りになることがありえるでしょうか?」娘は娘の運命があるので、これは私が左右できないのです。まして彼女が修煉を始めた日から、彼女の人生の道は師父が新しく段取りしておられたのです。ある期間、彼女がしっかりと行えなかったり、あるいはある事はしっかりと行っていなかったとしても、彼女が修煉ができないと言うことではありません。彼女が修煉をしたければ、師父は彼女を見守ってくださいます。彼女は師父の子供弟子で、師父の身内です。師父が彼女を見捨てないのに、私はどんな資格があって彼女がダメだと言うのですか?
修煉の道で転んでつまずいたことが多かったので、とても苦労しました。特に師父が私と娘の因縁関係を示した後に、私は一度に業を返すことに執着してしまったのです。二度とこのようになってはいけないと思い、私は集中して法を勉強したり、法を暗唱したり、法を書いたりしているうちに、心性がいつの間に高まって、観念も根本的に変わりました。私は正念を発して情魔の妨害を取り除き、娘と一緒に法を学び、法理から正しく導き、彼女に問題の解決方法を教えます。事が起きても彼女を非難しないで、彼女の良くない振る舞いに動かされません。私は師父だけを信じ、大法を信じました。師父が見守ってくださっているので、万世のいかなる縁も全て善解されます。
出発点を正した後に、私は「正々堂々としている」ことの素晴らしさを体得しました。人心がなければ、私の言動は自然に正のエネルギーを帯びました。私は娘(同修)にこのように要求します。「一、法を学ぶことを第一位に置き、毎日時間をさいて学ぶ。二、学校でよく勉強して、いつでもどんなことに会っても法の基準で自分を律し、すべての有利な条件を利用して大法を実証し、衆生を救い済度する」
娘の不合理な要求を正々堂々と拒否し、間違ったことをしたら、厳しく叱ります。以前、摩擦を避けるために、あえて娘をしつけない時が多かったのですが、今の娘(同修)は喜んで私の教えを受け入れ、内に向けて探すことを習得しました。彼女の心性も高まっています。ある日、私は自分の不足を探し、こう言いました。「パパは新しい修煉者で、あなたは子供弟子なので、よくできなくても許しますが、ママは古い弟子なので、心性を守りきれなかったら、本当に許されません!」娘(同修)はそれを聞くと、すぐに「違います。私が間違いました。私も古い弟子です!」といいました。
休暇中に真相を伝えに出かけるときに、私は娘(同修)を連れて一緒に行きます。はじめて真相を聞く人は受け入れないので、娘はとても気落ちしました。私は大丈夫だと娘を慰めてこう言いました。「師父は結果に執着しないと言われたので、表面上は私達が優しい心と正念を持ってやっているのですが、本当に人を助けるのは師父です。すべての生命に私達は彼らに選ぶ機会を与えなければならないのですが、受けるかどうかは生命自身の選択です」真相を伝える過程で、私達も自分の不足を探さなければならず、自分を修めなければなりません。2回目は親戚を訪問した時で、私がまだ仕事に没頭しているのに、娘はすでにみんなの前で真相を伝え始めました。またある時、私が携帯電話を使って真相のMMS(メール)を送信するとき、娘はずっと発正念をしていました。私達はチームワークがとれ、とても順調に送信できました。
ある日、学法の後に、娘(同修)は私のそばに立って言いました、「ママ、私があなた達の家に来られたことは、本当に幸せです!」私は少し驚いて聞きました。「どうして?」
彼女は微笑んで「言いたくありません!」という一言を残して去っていきました。彼女の後ろ姿を見ていて、私も笑いました。
師父に感謝します! 同修にお礼を言います! ありがとうございます!
(完)
(明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉心得交流会)