文/中国の大法弟子
【明慧2013年2013年6月21日】少し前に、夫は自分の小さな店をオープンしました。最初の頃、儲けが多くても少なくても、彼はそれになんの反応もしませんでした。しかしここ数日、彼はなぜだか分かりませんが、少しでもお金を稼いだら、異常に興奮し、こうしようとか、ああしようとか、時には、理性すらも失ってしまったかのようでした。
私は、「あなた、もう少ししっかりできないのですか。人は評判に左右されるべきではないですよ」と言いました。私の言葉に、彼は聞く耳を持とうとせず、相変わらずの振る舞いでした。ある日、私は夜中に目が覚め、しばらく法を学ぼうとしました。熟睡している夫を一目見て、彼は本当に可笑しい、本当に面白い……と思いました。
しかし突然、夫のこの異常な言動から自分の問題点がダブって見えました。数日前、私はある同修の家族に真相を伝えました。とても頑固なその家族は、私と話し終わった後、私を「雄弁」だと絶賛し、話がとても分かりやすく、その上、私が彼女に内容の濃い授業を行ったと言い、「清華大学か北京大学から招いた先生でしょう」と同修に冗談を言ったそうです。それを聞いた私は、心が浮き浮きしてしまいました。
その後、私の頭の中に同修の家族の褒め言葉がしきりに浮かんできました。自分は真相を伝えるのが本当に上手だと思い、時々自分が言った言葉を思い出しては、じっくり味わったりもしました。表面にはまだ表れていませんが、私の心にはすでに生じていました。それは歓喜心と顕示心だと分かっていましたが、しかし、抑えても抑えきれず、雨後のタケノコのようにどんどん伸びてきました。発正念をしてこの良くない心を滅そうとしましたが、解決することはできませんでした。夫のこの何日間かの「得意気」な様子を考えてみると、これこそ私の状態ではないかと思いました。彼はちょっと稼いだら鼻を高くし、私は真相を伝えて、他人から認められるとうぬぼれる、同じことです。
「神:これらの問題はすでに非常に深刻になっていますが、彼らが相手のどうこうを見るときの目で、逆に自らを見ることができれば、と思います。」[1]
私は夫が可笑しいと見ていますが、師父と神々は私を同じように可笑しいと見ていらっしゃるでしょうか? もし私が法を得ていなければ、もし私が『共産党についての九つの論評』(九評共産党)を読んでいなければ、もし私が『党文化の解体』を聞いたことがなければ、もし私が真相資料を見たことがなければ、私は今日の中国人と同じように、中共(中国共産党)の毒害を受け、自覚しなかったでしょう。今、師父はすべてのことを準備してくださって、私はただ走り回って、口を動かし、世間の人々に真相を伝え、そして人々に自分で選択をさせる、こんな少しのことをしただけで、そんなに傲慢になる資格がありますか?
長い間、私の周りの多くの同修は、私が真相を伝えると説得力があると褒めてくれました。私もそれをずっと誇りにして、師父の要求に基づき、着実に、工夫を凝らして人を救いました。しかし、良くない心も芽生えてきました。それは傲慢な心です。それは数年来、ずっと影のように私に付き纏っていました。夫の振る舞いは、私に自分の問題点を見せてくれました。この良くない人心を本当に取り除くべきだと思いました。
これらのことを悟ることができて、私のこの傲慢な心は瞬時に消えてしまいました、なんと清々しい気分でしょう! 翌日、夫の異常な振る舞いも消えてなくなり、以前の正常な状態に戻りました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進の要旨』「時間との対話」